3日ほどホームページの更新できなくて苦戦していたがやっとさくらインターネットサポートから教えてもらい画像の更新ができた。原因は日本語の表記を認識していないことだとわかり納得した。ほんとに初歩の事がわかりほっとした。4年を超えてホームページ作成しているのにまだまだわからないことが多い。
それから音楽もやっと聞く事ができるようになった。ほんとに一歩ずつでもわかるようになるとうれしい。今後もあきらめずに色々な事に取り組んでいきたい。
2005年7月28日 13:47:25
昨日「戦争と平和を考える市民の会」の打ち合わせにでて「この子たちの夏」
の朗読劇が無事に終わってとても盛況であったこと満員御礼であった事が報告されて満足であったという感想があった。お知らせと協力にまわった二人の校長、加藤教育長も参加してくれた事がわかりとても有り難かった。また、次回のイベントとして高遠菜穂子さんを8月26日にお招きする事も決まりチラシとチケットも用意されていて早速受け取り今日、知人に声をかけたところ2枚売れた。草取りを2時間あまりした後高遠さんの講演会をWEBに載せた。きっと彼女の講演会も成功するだろうと思うとともに成功させなければと思う。私も彼女の考え方から行動も全面的に支持しているから。
あなたは05.8.1より人目のお客さまです。
2005年8月9日 11:51:44
この子たちの夏 感想
12歳 女
生きながらの死、生きている人と死んでいる人の見分けがつかないなんてひどい。
11歳 女 豊橋市
自分は戦争の事をよく知らなくて、原爆でこんな悲しいことがあるなんてわからなかった。昔の人がすごくかわいそうだった。
17歳 女
「死」について真剣に考えたことはあったが、今回いろいろな人の話を聞けて、今自分がここにいる実感が沸いてきた。去年、私の祖母がこの世を去った。今まで何一つしてあげることができなかったが、いなくなって祖母から与えられたものがたくさんあることを知った。もう一度会えるなら、今度は素直な自分で祖母と一緒にテレビをみて笑い、いっしょに肩を並べ料理を教えてもらいたいと思った。「死」が軽く見られてきている今日この頃、私は大事なあの人を心に思い、生きていこうと思った。
17歳 女
平和な日本しか知らない、戦後の時代に生まれた私。かつて、私が今生きるこの土地で人が殺し合い、死を間近に感じ生きていたことを、話に聞いていても、心のどこかで過去のことだと思っていた。でも同じ人間。少し時代が違っただけのこと。平和の意味と、今、自分が生きている幸せを改めて感じた。
13歳 女 豊川市
私は6年生の時に、劇で“ああ豊川海軍工廠”というのをやりました。その時に、戦争を知るという企画でお年寄りに戦争のことを聞きました。今日はその話よりさらに心にせまるものがありました。平和という言葉には、広い意味があるけれど、とにかく戦争をしないのが1番。世界が仲良くなるためにはどうしたらよいのか考えさせられました。
15歳 男 豊橋市
自分は戦争を経験していなかったが、その時の情景が身にしみるように分かった。自分たちの時代には、決して戦争を起してはいけないと思った。
11歳 女 豊橋市
少し難しいお話だったけど、とても悲しくさみしいお話でした。でもこれからは原爆やテロなどの人が亡くなってしまう事故はなくなり世界中のみんなが仲良く平等に暮らせるようになるといいなと思いました。
10歳 男 豊橋市
今回の朗読で昔の人は戦争の中を一生懸命生きていったことがわかりました。今平和な暮らしができるのは昔の人のお陰だと思いました。ぼくは、戦争がなく平和な暮らしができてあたりまえではないことだと気付いた。これからも戦争のない平和なくらしが続くといいです。
17歳 女 豊橋市
朗読を聞き、どんなに人々が苦しんだのかを思い知った。戦後60年になろうと、その悲しみは、決して消えない。こんな事はもう2度と起こってはいけない。私たちにできるのは、戦争の事実を伝え、世界の人と理解し合うことだけなのだ。
12歳 女 豊橋市
原爆で知り合いや子どもを亡くした人の気持ちがよくわかりました。今までも原爆の怖さはわかっていたつもりだったけれど想像上だけでした。そんな怖ろしい原爆で苦しんでいる人はまだたくさん生きているから、がんばって生きてほしいと思いました。
15歳 女 御津町
泣けました。苦しくて悲しくてでも目が離せなくて。原爆がどんなものか知っているつもりで、実は全くと言っていいほどに知らなかった。その事がとてもショックでした。あんなに苦しんだ人たちがいたのに今の私たちはそれを知らない。むしろ戦争にあこがれている。そのことが、今の私にはとても悔しいです。高校生の私には何もできないかも知れない。それでも何かしたいと思いました。
13歳 女 豊橋市
原爆の恐さが分かった。思ったよりもすごく残酷で、聞いているのが辛かった。本当に「平和」ということはすばらしい事だなあと改めて実感した。
15歳 女 田原市
いろんな人のいろんな思いがすごく伝わってきて悲しくて悲しくて泣きました。戦争のことを知らないわけではありません。だけどこんなに苦しくてつらいものだと改めて知る事ができました。戦争があったから今の日本がある。だけどできることなら、もう2度と戦争なんてやりたくない。戦争なんて起すべきでないと本当に思いました。
13歳 女 豊橋市
戦争はこんなに酷いものだとは思わなかったです。何人の人が命を失って、今の日本があると思います。だから私は精一杯生きようと思いました。
これからも「平和」を守っていきたいと思います。
朗読がとても上手で涙がでてきてしまいました。
13歳 女 豊橋市
とても心が痛みました。多くの方々がなくなり、その分多くの涙や血が流れた事を知り、あふれんばかりの涙が流れ落ちました。原爆は恐ろしいことを実感したので、これからはずっと平和でいてほしいと思いました。
18歳 男 豊橋市
1945年8月6日 広島 8月9日長崎それぞれに原爆が落とされ何十万人もの死者をだした。子供達は生き残ったが親を亡くされてとても自分はビックリで涙が出ましたし、もう2度とあってほしくはない。
15歳 女
広島の原爆ドームに行った事があります。その時見たことを思い出しました。とても怖ろしい時代の光景が目に浮かぶほど、強く感じるものがありました。もう二度と戦争なんて起こってほしくないです。世界の平和を心から祈っています。家族の大切さも改めて感じさせられました。
15歳 女
15歳という言葉が出たとき、私と同じ歳の子までもがこんな悲しい出来事ににまきこまれていたのかとリアルに感じて涙がでました。母と子のお話は、自分の母と私がもしこんなふうになったら、、、、、と考えてしまい、本当に悲しくなりました。