2006.11.7(その2)
森田実の言わねばならぬ[471]
マスコミを信用してはならない――日本のマスコミは政治権力と合体し国民を支配し圧迫する凶器と化した【26】
フリージャーナリスト斎藤貴男氏の憂国の発言に注目
「春秋の筆法」(日本の諺)
[公平で厳正な批判的態度の意]
『日刊ゲンダイ』2006年10月31日号をめくっていたら、斎藤貴男氏(フリージャーナリスト、『安心のファシズム』などの著者)のコラム「二極化・格差社会の真相」(9面)の見出し〈高校に競争原理を持ち込んだのは国ではないか〉が目に止まった。斎藤氏は正論を主張しつづけている数少ない硬派のジャーナリストの一人である。
以下、記事の要点を紹介する。
《ちょっとおかしくないか、このところの新聞紙面やテレビのニュース番組を埋め尽くしている、各地の高校の必修漏れ問題のことだ。》
《ルールを無視するド腐れ教師を正義のヒーロー・安倍首相がたしなめ、気の毒な生徒たちを救ってくれるという構図。》
《いまの教育はどうしようもないというイメージがとことん植え付けられてしまった。》 《この流れは演出が異常すぎないか。》
《安倍政権の下に「教育再生会議」が設置され、あるいは教育基本法の改正が国会の焦点になっている。いずれも愛国心をはじめとする規範意識、価値観の生徒への刷り込みと、政府による統制、教員管理の徹底が眼目だ。
一連の騒動は、こうした方向性の追い風になる。
「教育はやっぱり、学校任せではなく、政権(国)が強いリーダーシップをとってくれなくては」という雰囲気が醸成されている。
人間を“勝ち組”“負け組”などと格付けしたがるバカげた構造改革路線が各地の高校に道を踏み外させた発端なのに、放火魔が今度は火事場泥棒になろうとしている。》
《報道とは何だ。権力に都合のよい状況をつくり上げていくことなのか。》
斎藤氏の指摘は正しい。最後の部分をもう一度引用する。
《報道とは何だ。権力に都合のよい状況をつくり上げていくことなのか。》
安倍自公連立政権の手先となったマスコミに向かって、国民の怒りをぶつけよう!
マスコミの政治権力化を止めるため、起ち上がろう。不公正なマスコミは、勇気をもって拒否しよう!
「権力の走狗」と化したマスコミを徹底的に軽蔑し、非難しよう!