<注記>
『(プロローグ)EU指導層の「確固たる理念」と「その実践」への揺るがぬ決意』にかかわる【補足・訂正】が末尾に追記してあります(2008.9.4)。
【画像解説】
アンブロジオ・ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti/ ? -ca1348)『Allegoria del Gattivo Gererno(particolare)/善政の寓意』ca1338-1340 affresco、Palazzo Pubblico 、Siena より、『悪政のアレゴリー』
・・・この絵の全体はシエナ市庁舎の壁画で、この部分画像は「暴政」(暴君が支配する、目的が見えない悪政)の寓意を描いたものです。ここでクローズアップした部分は、「悪政のアレゴリー」の中心に居座る「暴君」の図像です。
・・・「暴君」の周辺には、御用学者、強欲な聖職者、令色で巧みに高給を食む官僚、隠微で慇懃無礼な徴税官など小心のクセに極めて保身の術に長けた人物図像が配置されています。
・・・一方、「暴君」の足元には「平和の擬人像」が拘束・抑圧された姿で寝転がされています。布と紐でグルグル巻きにされた憐れな「平和の擬人像」(弾圧・抑圧された都市市民たちの象徴でもある)を繋ぐ長い紐を手にした、強欲そうな悪人面の人物像は、過酷な戦争で捕虜を虐待する兵士らのイメージを呼び起こします。
・・・一方、鬼のように二本の角が伸びた「暴君」の薄ら笑いを無理に押し殺したように不気味な口元から漏れてくるのは「正義を実現するための善なる戦い」、「格差と排除なくして成長なし」などの恐ろしげな悪魔に魂を売ったヒトラー似の雄叫びです。つまり、そのテーマは「平和と生存権を奪われた一般市民の痛みと苦しみ」ということになります。
(プロローグ)EU指導層の「確固たる理念」と「その実践」への揺るがぬ決意
周知のとおり、市場原理の暴走を懸念するヨーロッパは、非市場部門(家庭、地域社会、公共の役割)を市場と対等に置くことを前提としており、しかも、その重要な市場経済の持続的活力が、これら非市場部門の健全な活動(=現実社会での上方・下方的因果の多様なあり方)の中から創生されるものであることを理解しています。
つまり、ヨーロッパの指導的立場にある政治家・学者・高級官僚・財界人などは、経済的付加価値を創造する源泉が社会における非市場部門での十分にヒューマンな活動(教育・福祉・医療環境等の充実)の中に存在するという信念を持っています。一方、米国型市場原理主義は、この両者の関係が転倒(倒錯)しており、しかも「弱肉強食の論理」(市場における神の手の存在、自由原理主義と欲望・格差・異端排除の論理)が前提されています。
そして、このような確固たる理念の下に、現在までの「EU(欧州連合)構想」を完成させるための取り組みが進められている訳ですが、アイルランド国民によるリスボン条約・批准への拒否(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080618)に見られるとおり、その目標達成への道程には未だまだ厳しいものがあります。
しかしながら、エンロン事件・サブプライム問題など米国型・ユニラテラリズム発の“金融市場にかかわる不祥事”が追い風となったこともあり、「企業統治」の根幹である「国際会計基準」について、米国(SEC/米国証券取引委員会)が欧州型をルーツとする国際財務報告基準(IFRSa)を受け入れる方向へ大きく舵を切ることとなり、今や、日本の立場が世界で孤立しつつあります(情報源:http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080424/154072、2008.8.29&2008.9.4付日本経済新聞・記事)。
EU(欧州連合)の出発点と位置づけられる「シューマン・プラン」(http://note.masm.jp/%A5%B7%A5%E5%A1%BC%A5%DE%A5%F3%8E%A5%A5%D7%A5%E9%A5%F3/)の具体化、つまり「欧州石炭鉄鋼共同体」(ESSC)を設立するための準備会議の場(1950年、夏)で、西ドイツ代表のウオルター・ホルスタイン氏が行った演説(その根本理念を創ったため「現代ヨーロッパの父」と呼ばれるジャン・モネの決意を回想した内容)は感動的です(出典:福島清彦・著『ヨーロッパ型資本主義』(講談社現代新書))。
『・・・ESSCは何よりも政治プロジェクトである。この会議に参加しているすべての国々が、この偉大な政治目標を最優先し、経済的な利害をその下位においてほしい。』
また、その後に初代のESSCの初代委員長に就いたジャン・モネ氏が『このホルスタイン氏の確固たる、威風堂々とした発言こそは、フランスとドイツが心底から相手を信頼していることを確証するものであった。』(出典:同上)と述べています。これらヨーロッパ統合の始まりの時代における指導層の人々の高い理念と実践に対する固い決意は、今もヨーロッパ各国のエスタブリッシュメント層によって引き継がれています。
(福田首相・退陣の真相/米国に舐められる“日本の指導層の確固たる理念と決意”の不在)
USTR、Susan C. Schwab
・・・この画像はhttp://www.daylife.com/photo/05HAgXKfaGcZTより
肝を潰す、あわわわ〜
・・・この画像はhttp://hikaru.blogzine.jp/dress_you_up/2004050214.jpgより
様々に報じられているので多言はしませんが、要するに、この問題の核心は『米国の意を汲む小泉構造改革路線への抵抗を小出しにしてきたため、遂にブッシュ政権の逆鱗に触れ、米国益のための傀儡政治グループ(公金(国庫金)横領を当然視しつつ米国の操り人形役に甘んじる擬装右翼一派)による圧力で潰された』ということです。その意味で、今回の茶番劇は一年前の『安部の美しい国』の瓦解の二番煎じです。このことは、下の報道◆が傍証しています。
◆「福田首相、4月すでに、辞めたいなあ、外遊もしたくない」、http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903ddm001010020000c.html
また、直接的な福田政権へのインパクトとして見逃せないのは、やはり「洞爺湖サミット」(7/7〜7/9)の直前にシュワブ米国通商代表が福田首相に仕掛けた「外交的パワー・ハラスメント」です。これは、昨年で7年次目にあたる「対日・規制改革要望書」に対するシュワブ米国通商代表(USTR Schwab)による厳しい「評価報告」(2008.7.5付)のことですが、アメリカは、これを意図的に「洞爺湖サミット」の開始直前に福田首相へぶつけました。その結果、福田首相は「福田首相、4月すでに、辞めたいなあ、外遊もしたくない」のダメを押されてしまったようです。
参考まで、この「評価報告」(2008.7.5付)のポイントを再録・転載しておきます。なお、この詳細については下記記事★を参照してください。
★2008.7.11付toxandoriaの日記/[机上の空論]パワハラ同然の「対日規制改革要望」評価の“二重擬装呼ばわり”に肝を潰す福田政権、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080711
・・・・転載、はじまり・・・・
(1)アメリカ合衆国は、アメリカ側から日本に対する諸要求が科学的検証に基づく国際標準であるにもかかわらず、農産物輸入制限を含む複数の<農業関連分野の改革に日本政府(福田政権)が失敗したこと>に大いに落胆している。 ← “ボクちゃんはヤーメた!”の安部は論外として、あのブッシュのポチ、小泉の時代が懐かしい!(これはブッシュのホンネのつもり・・・)
(2)同じく、<米国産牛肉の輸入拡大が実現しなかったこと>にもブッシュ大統領は大きな落胆を覚えている。 ← シュワブ米国通商代表は、この点について“I look to Japan to take quick action to fully resolve this issue.”(いつまでもグズグズせずに早くやれ−ッ、このノロマな福田め、サッサとこの問題を片づけろ!)と、大声で怒鳴るがごとく強調している
(3)攻撃的で持続的な規制改革と日本市場の対米開放は、日本の非効率な経済と市場を活性化するとともに日本国民にも大きな利益をもたらすことになる。 ← ホンマかな〜 ? 極端な格差拡大と弱者の切捨てじゃあないの? それに詐欺的商法とサブプライム・ローンやポンジー(ネズミ講的な擬装)ビジネスの蔓延じゃないの? 病気・ケガ(人の命)や福祉・高齢者までもがビジネス・ネタになるし・・・そうそう、厚労省関係でララ劇場・ララ首相の紙オムツ利権(高齢者福祉関連・改革派の利権?)なんて超ヒデ〜のもあったな〜・・・。コリャ〜、“コイズミの美学”が笑っちゃうゼ!!
(4)それにもかかわらず、規制緩和と市場開放を妨げて旧弊を死守しようとする一派が増えつつあることは由々しきことだ。また、福田首相が、「ダボス会議で自身が意志表明した規制緩和と市場開放の改革方針」と「その改革を妨げる守旧派」の両方の上に乗って足場固めをするような対米&対日本国民の<二重擬装政策>を採ることは、日本の将来にとって危険なことである。 ← これは、ナンダカとことん脅かされているようでイヤーな気分がする・・・。
(5)ただ、以下のような諸点では改善が見られることと、最近、「経済財政諮問会議」が示した「M&A」(企業の合併・買収)に対する規制緩和政策などは評価できる。 ← 特に、「経済財政諮問会議」のメンバーは、みんな、いい子チャンばかりだね〜!
●銀行での保険商品取り扱い ●非効率な医療を改善するための医療機器・医薬品分野での技術革新を支援・強化する政策 ●流通分野のコスト削減 ●世界で承認済みの食品添加物類の使用拡大 ●日本郵政会社の競争への準備 ●通信分野のサービス競争の促進 ●公正取引のための談合の縮小 ●画像アーカイブ・システムなどIT活用による予防医学体制の充実
・・・・・日本の歴史・伝統・文化・慣習の影響下で国民がダラケて働き方の効率が悪く、それ故に米国の利益にとっても役立たずの「日本社会と日本国民の確実なリフォーム(改造)」を要求する。そして、その“米国向け擬装”はビタ一文許さぬが、辛うじて、これら諸点については日本政府の努力の痕跡が認められる、とシュワブ女史のお墨付きを賜ったということ。要するに、「第七次・対日規制改革要望書」が掲げる『現代版廃仏稀釈』(=日本文化・経済・社会・国民の解体・改造)の進捗率の評価項目という訳である。
(6)今回の報告は、「洞爺湖サミット」の機会に米ブッシュ大統領と日本の福田首相の会談が行われる直前に公表された。 ← さすがにドスが効いてるナ〜 !
・・・・転載、終わり・・・・
(福田・退陣の真相をB層向け“お笑い化”で脚色し、小泉路線への回帰を誘導する民放テレビの国賊ぶり)
要するに、米国ブッシュ政権の真の意向は、日本の権力機構が「小泉構造改革路線」への回帰を明快に宣言することです。“上げ潮派”だか何だか知りませんが、“小泉派”あるいは“小泉チルドレン”と称される妙にテレビ受けする人々が、急に蠢きだした背景はこの辺りにありそうです。そして、再び、民放テレビ各社のワイド番組とニュース・ショー、普段から視聴率が高いお笑い番組などは、B層を総動員するための『カムバック○○桃色劇場』の脚色に驀進し始めたようです。
残念ながら、ヨーロッパのように確たる政治哲学と政治理念を語ることができる、そして使命感に燃えたエスタブリッシュメント層が不在の日本では、更に<多大な国民の犠牲>を量産せぬ限り、<国家政策の優先順位についての国民的な理解の深まり>を期待することは不可能かも知れません。そして、目立つのは、マスゴミどころか、殆どハイエナ化した民放テレビ各社が新たな餌食を求めてうろつく唾棄すべき姿ばかりです。
また、とても“お人よし”が多い日本の大衆一般およびB層の人々は、民放テレビ番組に煽られつつ、「小泉構造改革路線と呼ばれるサド侯爵の愛の鞭」が自らに再び振り下ろされることを期待し始めたようです。「小泉構造改革路線」を介して、日本社会をどのように危険なものに変えるつもりであるのかについては、下記記事■に纏めてあるので、ご参照ください。
■2006.6.15付toxandoriaの日記/[原理主義の罠]「総括・小泉改革」、それは冷酷な「日本のハイリスク・ハイリターン社会化」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060615
<補足・訂正について>
●下記のとおり、『(プロローグ)EU指導層の「確固たる理念」と「その実践」への揺るがぬ決意』の第四パラグラフの記述を(新・記述)の内容へ訂正してあります。
(旧・記述)
しかしながら、エンロン事件・サブプライム問題など米国型・ユニラテラリズム発の“金融市場にかかわる不祥事”が追い風となったこともあり、「企業統治」の根幹である「国際会計基準」が、米国型(時価会計主義)から欧州型(実需・経営利益主義)へ大きく舵が切られることとなり、今や、日本の立場が世界で孤立しつつあります(情報源:http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080424/154072、及び2008.8.29付日本経済新聞・記事)。
(新・記述)
しかしながら、エンロン事件・サブプライム問題など米国型・ユニラテラリズム発の“金融市場にかかわる不祥事”が追い風となったこともあり、「企業統治」の根幹である「国際会計基準」について、米国(SEC/米国証券取引委員会)が欧州型をルーツとする国際財務報告基準(IFRSa)を受け入れる方向へ大きく舵が切られることとなり、今や、日本の立場が世界で孤立しつつあります(情報源:http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080424/154072、2008.8.29&2008.9.4付日本経済新聞・記事)。
(補足・訂正した理由)
●各国の大手機関投資家が海外の証券市場に投資して所有する株式について時価基準を適用させようとする「時価会計主義」と「国際財務報告基準(IFRSa)(=事実上の国際会計基準)を受け入れること」はイコールではありません。日本経済新聞・記事(2008.8.29&2008.9.4付)は、この点についての書き方が曖昧、というよりも誤解に近い
(例えば、“国際基準は資産の時価評価を徹底していることなどが大きな特徴だ”の記述部分など → http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080904AT2C0300G03092008.html)ように思われます。
●要するに、時価会計にするか簿価会計(欧州伝統)にするかは「国際会計基準」の中での選択肢に過ぎず、ドイツ・フランスを中心とするEU圏諸国(欧州)は、アメリカが1980〜1990年代以降に強めてきた「株主のための企業」(時価からの発想による純粋資本主義)という考え方に対し、「企業の社会的役割を重視する」という立場からの批判を持ち続けています。つまり、この次元での米欧の対立は現在も続いていると見るべきです。
●しかも、日経(2008.9.4)も書いていますが、アメリカが欧州発の「国際会計基準」へ舵を切るということは、「国際会計基準審議会」の運営へ直接関与して、“事実上、国際標準の作成に影響力を発揮しようというアメリカの狡猾な意図”が窺えます。一方、各国の企業会計には、それが帰属する国や地域の歴史的所産であるという厳然たる現実があります。
●だからこそ、EU(欧州連合)は、グローバリズムの弊害等をも十分に視野に入れた「金融サービス行動計画」に基づいて「透明性指令」、「市場濫用指令」などの各種指令(規制法)を発し続けています。従って、我が国も、このようなグローバル動向を踏まえたうえで、今や矛盾が拡大しつつある時価会計の見直しも含め、今後の日本がどのような企業会計のあり方を進むつもりなのか(=どのような資本主義のあり方を目指すのか)、その根本的理念から構築することが愁眉の課題です。
●さもなければ、いつまで経っても「対日・規制改革要望書」のような“ご都合主義で身勝手な米国発の指令”によって右往左往させられ、民主的な手続きを経ないアメリカの遠隔操作で何人もの首相の雁首が刈り取られ、眼を血走らせハイエナ化した民放TV等のマスゴミが大衆騙しの「××お笑い劇場」を仕掛ける低俗芸能化した世相のなかで、真の国益(本物の国民の利益=その主権と人権、および日本の風土・歴史・文化に最適(most suitable)な資本主義の活力)が著しく毀損・消耗するばかりです。
(参考資料)
杉本徳栄・著『改定版、国際会計』(同文舘出版)
時価会計とは?、http://chiezou.jp/word/%E6%99%82%E4%BE%A1%E4%BC%9A%E8%A8%88
間違いだらけの時価会計(神奈川大学経済学部教授 田中弘)、http://www.kokuminrengo.net/2003/200305-econ-tnk.htm
ドイツ公会計制度の現状と問題(南山大学総合政策学部教授 亀井孝文)、http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j29d09.pdf
読み誤った時価会計の導入時期、http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/fujiwara/02.html
(参考/関連情報)
欧州中銀、担保基準を厳格化 資産の劣化防ぐ、http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080904AT2M0403G04092008.html
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080903