フジテレビの2時間ドラマ『誰かが嘘をついている』(10月6日(火)夜、オンエア)を見た。主演は水谷豊。
痴漢冤罪事件をテーマにしている。痴漢に間違えられて逮捕、起訴されていくサラリーマンを水谷豊が演じている。
周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』2007年1月20日公開)とよく似ている。こちらの映画も痴漢冤罪を扱った作品である。2007年度の映画賞を総ナメにした評判の高い作品だった。公開の日はちょうど、植草一秀氏が京浜急行車内で痴漢容疑で逮捕された事件の第二回目の公判の日(実質的審理開始)だと、『偽装報道を見抜け!』(ナビ出版)の高橋清隆氏が指摘している。
植草一秀氏のブログ「知られざる真実」09年10月9日付では、「ココログニュースが『誰かが嘘をついている』と植草事件の関連に言及したいくつかのブログを紹介し、いずれもドラマを好印象で捉えていると書いている。しかし、私は正反対である。
『誰かが嘘をついている』が問題を提起しているかのような善意のドラマではないと思っている。
映画『それでもボクはやってない』は、私はテレビの放映で見た。テレビ放映は2008年3月1日で、これまた植草事件の控訴審初回(3月17日)の直前のオンエアであった。なんらかの作為が感じられる。
高橋清隆氏の指摘によれば、『それでもボクはやってない』の撮影開始は2006年5月。完成したのは10月初旬。植草氏は9月16日に事件に巻き込まれた。「絶妙のタイミング」と高橋清隆氏派言う。
『偽装報道を見抜け!』はこう説く。
(引用開始)
事件を狙っての上映だとしたら、何のためにと問われるだろう。疑いを国家に向けさせないためとは考えられないだろうか。大阪の地下鉄でっち上げ事件と同様に。「冤罪だったとしても、権力がはめたのではない。都会の電車には、たちの悪い連中がいるのだ」と。
(引用終わり)
しかし高橋氏自身は、勘ぐり過ぎだろうか、確信は強くない、と言っている。私はこの「読み」は当たっていると思う。高橋清隆は自信を持っていい。
今度のTVドラマ「誰かが嘘をついている」も植草氏の釈放時に合わせてのオンエアだと思うが、氏の見解を聞いてみたい気がする。
今度のドラマ「誰かが嘘をついている」のオンエアは、ちょうど植草一秀氏が勾留地から解放された10月4日からわずか3日後である。あまりにもタイミングが合い過ぎだと私は思っている。
つまり植草一秀氏を拘置所から釈放するタイミングにあわせてドラマをつくり、放映したと思われるのだ。
植草氏が最高裁によって判決を決定されてから、収監まで時間があった。それは収監をすぐにせず、ドラマ作りの日程を調整していたのではないかとも思える。ドラマが放映できる日時がほど確定したところで、植草氏を2ヶ月収監する手筈を整えたと私は見る。
実際。
『誰かが嘘をついている』のホームページでスタッフがブログを書いている。
「放送日が急遽、金曜日から火曜日に変更になり、予定していた時期も早まり、こんなに色々あってバタバタした番組は今までありませんでした」
ということは、これだけでは前倒しの理由はわからないが、急遽予定を変更したことになる。金曜日つまり10月9日放送では遅い、というクレームがどこからか入り、大慌てで植草氏釈放の2日後に合わせた…その可能性はどうなのだろう。
そのほうが、植草氏自身にも支援者にもシンパにも印象は強い。
何の印象かといえば、植草氏やその支援者への一つには嫌がらせである。
ドラマのほうは実に不自然な(奇跡的な)証拠が、2審で出てきて、確実に(無実なのに)有罪になるはずの主人公が、大どんでん返しで無罪判決が出るストーリーなのだ。あまりにも変な、とってつけたようなハッピーエンドだった。
私は言うまでもなく、植草氏の無実を信じている、すでにブログでも書いた。(「植草一秀氏の収監と裁判員制度に抗議する」09年8月5日)
つまり権力側は、わざわざ高額のカネをかけて空想的なドラマをこしらえ、ほら植草は無罪の証拠が出せなかったじゃないか、だから有罪なのさ、とほくそ笑んでいる…と。
TVドラマ『誰かが嘘をついている』では主人公(水谷豊)が高裁で無罪判決を勝ち取って、家族と引き上げていく場面で終わるのだが、そのとき、傍聴していた被害者の女子高生が泣き崩れながら「それじゃあ、誰がやったというのよ」と言う。
このセリフは、結構重要だと思う。
先に『偽装報道を見抜け!』(ナビ出版)の高橋清隆氏が、周防監督の映画の目的を、「疑いを国家に向けさせないためとは考えられないだろうか。冤罪だったとしても、権力がはめたのではない。都会の電車には、たちの悪い連中がいるのだ」ということかと問うていることに、符合する。そういうセリフである。
痴漢にあった女子高生の「それじゃあ、誰がやったというのよ」とのセリフは、まさに「都会の電車には、たちの悪い連中がいるのだ」とのメッセージになるのであって、それが間接的に、植草氏もその一人だったのであって、決して国策逮捕じゃないぞ、と言う「脅し」にもなる。
ネットで調べもしない、まして植草氏自身の著書『勾留地にて』も読まない大衆は、それ以上考えようとはしないだろう。
また、ドラマだから極めて不自然な無罪判決で終わるけれど、視聴者に残る印象としては、「怖いなあ」「いったん痴漢を疑われたらもう人生お仕舞いだな」となるのではないか。
痴漢事件で起訴されたら、無罪になる確率は2パーセントしかないと言われれば、その印象のほうが強く残る。
フジテレビの2時間ドラマ『誰かが嘘をついている』は痴漢冤罪を扱ってはいるが、決して罪をでっち上げる警察、検察、あるいは判事を、それほど悪には描いていない。
法律に疎い視聴者の全体の印象としては、もっときちんと証拠を取り上げてあげればいいのに、主人公の話を聞いてあげればいいのに、と優しく思うのではないか。
あるいは、こんな状況に追い込まれても、家族の絆って大切ね、とか。
しかしながら、冤罪の本質はそんな生易しいことではない。
どれほど恐ろしい手が使われて罪が着せられていくかに切り込まなければ、この手の作品としてはダメである。
ドラマ『誰かが嘘をついている』も、映画『それでもボクはやってない』も、多くの刑事ものや裁判ものの作品が、真実を取り上げない。
以下にその実例を挙げてみよう。
「阿修羅」NO.4「免田事件について」はこう書いている。
http://www.asyura.com/sora/bd11/msg/751.html
(引用開始)
取り調べる側も被疑者のこのような人間的弱さを熟知しているのだ。あるベテラン刑事は言う。
人間はな、そんなに強いもんではないよ。細かな所はどうでもいい、キメ手などは出さんでもいい、ただ殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、3人でも4人でも同じように自白させてみせるよ。今どきそんなことが、という顔をしているナ。何ならやってみるか。お前さんでもいいよ。お前んとこは刑事の手の内を多少聞きかじっているから、少しゆとりを見て、そう3日で いい。3日あったら、お前に殺人を自白させてやるよ。3日目の夜、お前は、やってもいない殺人を、泣きながらオレに自白するよ。右のとおり相違ありません、といって指印も押すよ(『自白−冤罪はこうして作られる』風煤社)
優秀な刑事ならば被疑者を落とすのに3日あれば十分、というわけだ。一度落ちてしまえば、後は被疑者を誘導して取調官の思い通りの自白を引き出すことは容易だ。この場合に絶対に間違ってはならない点は、取調官が自白内容を一方的に被疑者に押しつけるというわけではない、ということだ。自白内容とはあくまでも取調官と被疑者の協同の産物なのである。
(引用終わり)
こういう恐ろしい場面を、『誰かが嘘をついている』も、『それでもボクはやってない』も描こうとしない。
《2》
周防監督の映画『それでもボクはやってない』は、2007年5月、ジュネーブで開かれた国連の拷問禁止委員会に合わせて上映され、委員の過半数が鑑賞したという。それは国連の後押しがあったからだと、高橋清隆氏は言う。以下は再び『偽装報道を見抜け!』より。
(引用開始)
今、代用監獄制度の廃止や取り調べの可視化の問題が報じられているが、これは米国が要求していることである。犯罪をした米兵やハゲタカとなってわが国に上陸した米国人ビジネスマンが、弁護士の立ち会いなしに日本の警察にしょ引かれ、自動的に起訴・有罪にされたらたまったものではないからだ。この要求の背後には、国連がある。
1998年11月、国連自由権規約委員会はわが国における警察の取り調べ状況に懸念を示し、速やかな改善を要求した。『それボク』がこの延長上にあるのは間違いないと思っている。それなら植草事件と切り離そうとマスコミが努めるのは理解できる。いずれにしても、外国の都合によるプロパガンダであることは一緒である。
(引用終わり)
最近、足利事件の菅家氏が冤罪だったことが判明し、釈放されたが、これを仕組まれた「劇」である可能性はある。
取り調べの録音テープが公開されているようだが、これは検察、警察に都合のよいように出されていると疑うべきだろう。
ふたたび「阿修羅」NO.4「免田事件について」に戻って、実際に警察の取り調べで、どういうテクニックで無実の人間を殺人犯に仕立てていくかを見てみよう。勝手ながら引用させていただく。
(引用開始)
「真人間」になるよう説教された被疑者は取調官の真情にほだされて、「犯人になる」ことを引き受けるのだ。自白の瞬間に取調官と被疑者とが手を取り合って泣いたりする場面は、そこにある種の真情の交換があることを示している。
再び仁保事件の岡部さんの録音テープから例を取ってみよう。ここにA、Bと記したのは取調官である。
B_邪念を捨てようで、邪念をの。素直に真実を話さにゃいけんで。(30秒位沈黙、鼻すすり)どうか。
岡部_やっぱり子供の顔と親父の顔が一番さきに浮かぶなあ(自分の子供と父の)。
B_うん、浮かぶけど話をしてしまわにゃ、の、そりゃ人間じゃからの、君の気持ちはようわかる、ね。
A_今迄犯した不孝というものの償いはじゃね、君がしなくちゃいけないで、君が話すことによってだね、いいか、君が話すことによってだ、今迄の不孝の万分の一でも、ええかね、事実を話すことによってだ、今迄君が不孝の数々をやったことそのものがで、の、万分の一でもそれが報いることができる。うん?そうだろう?それじゃったら君がせんないけれど自分の心のうちをさらけ出して話さなくちゃいけない。ね、赤裸々な気持ちにならなくちゃいけない、な。
岡部_話します。主任さんと部長さんがおられるから、手間はとらせません。(20秒位沈黙、鼻すすり)
B_うん、つらいつらいつらいけど話さにゃあで、のう、の、力や元気を出して、の、すがれ、こっちへのう、うん、うん、話をせにゃあねえ、あんた一時も早う楽になるんじゃからのう(鼻すすり)どうか?
A_僕の手でもね、すがりついて話しなさい。話しなさい。そうしたら力が入るだろう。うん、さっき言った、いよいよ純真無垢な精神にならなくちゃいけない。(30秒位沈黙、鼻すすり、ため息)
AB_思い切って話しなさい。
A_思い切って話しなさい。
B_うん?ね、手間かけたら、またあの感慨がそれるからの、今の気持ちの上で話してしまえ、うん?の。
岡部_意気地がないのう、おれは。
B_意気地がないから、こういうことになるのう。意気地を出して話をせにゃあ、のう。うん?のう、わしの手の温もりがわかろうが、のう、のうや、血が通うとるんじゃ。せいやから君が言うこともようわかる。
A_心の動揺を静めにゃいけんで。
B_静めにゃいけんのう。
A_静めて話をせんにゃあのう。(22秒間、沈黙、水を飲む)
岡部_寒うなった。
B_寒うなったや、ちょっと待て。(20秒間、毛布を出すような音)
B_下、敷いちゃろうか、うう、ええよ。うう、ええよ。抱いとっちゃろう、のう、のう。わしが抱いとっちゃろう。のうや、こうやってきょうは抱いて寝ちゃるで、わしがのう。よし、のう、話してしまおうで。わしがこうやって抱いとっちゃるからの。どうや、安心して話をせいのう、心を落着けてのう、ずっと。(40秒間、沈黙)
B_うう、何が。
岡部_ようなったのう。(5秒間沈黙)
A_だんだん神の心になって来るわい、のう、だんだんと、のう。B_落着いて来るのう、気が。気は落着けんにゃあ、のう。(23秒間、沈黙)
何といういやらしさだろう。取調官は虚偽自白を促すために、被疑者に抱いて寝てあげると言うのだ。そこまでして自白を取りたいのだ。これは善意から出た行為だろうか。犯人と思い込んだ被疑者を落とすための、策略の一種というのか。あるいは自白を得て犯人をでっち上げることができれば、例え被疑者が無実であろうと構わないというのか。筆者は後者であると思っている。読者の皆さんはどうお考えだろうか。
(引用終わり)
これを読んで私は思わず唸ったものだ。
これだから先に紹介したように、刑事が「殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、3人でも4人でも同じように自白させてみせる」と豪語するのだ。決して、殴る蹴るばかりが取り調べのテクニックではないらしい。
それから、TVドラマ『誰かが嘘をついている』にも、少々描かれている場面だが、『冤罪はこうして作られる』(小田中聡樹著 講談社新書)を読むと、警察のスパイが無実の人間を自白させるために留置場に送り込まれると書かれている。
これは松山事件(1995年)で犯人とされた斎藤幸夫さん(当時24歳)が警察で取り調べを受けている最中のことだ。
(引用開始)
古川警察署の留置場に入れられたとき、斎藤さんと同じ房(部屋)に高橋某が入ってきた。捜査官たちの暴力的取り調べやアリバイつぶしに苦しんでいる斎藤さんに対し、高橋某は「ここに入ったら、やらないこともやったことにして、裁判の時に本当のことを話せばいいのだ」とか「いつまでも頑張ると拷問にかけられるぞ、…だからやらないこともやったことにして、裁判のとき本当のことをいえ」などと言葉巧みに自白をそそのかした。暴力的取り調べに苦しんでいた斎藤さんは、彼のそそのかしにのってしまい、自白をはじめた。
その後も斎藤さんは高橋某に「身に覚えのない自白をしてきた。裁判のとき本当のことを話せばいいのだね」と相談した。これに対し高橋某は「検察に行ってもやったことにしろ。あそこは警察と味方同士なんだから、また裁判所に行ってもやったことにしろ。裁判のときに本当のことをいえばよい」とすすめた。そこで斎藤さんは取り調べや裁判官の勾留質問に対しても、自白をくり返した。
このように斎藤さんに自白をそそのかした高橋某は、暴行、窃盗、詐欺の被疑者として勾留されていた前科5犯の男で、古川警察署にとっては馴染みの者であった。
捜査当局はこの人物を斎藤さんとわざわざ同じ房(部屋)に入れ、12月10日に拘置所に移すまで、斎藤さんの言動をさぐらせて逐一報告させていた。それだけでなく、言葉巧みに自白をすすめさせた。
(引用終わり)
周防監督の映画『それでもボクはやってない』は、2007年5月、ジュネーブで開かれた国連の拷問禁止委員会に合わせて上映され、委員の過半数が鑑賞したという。それは国連の後押しがあったからだと、高橋清隆氏は言う。以下は再び『偽装報道を見抜け!』より。
(引用開始)
今、代用監獄制度の廃止や取り調べの可視化の問題が報じられているが、これは米国が要求していることである。犯罪をした米兵やハゲタカとなってわが国に上陸した米国人ビジネスマンが、弁護士の立ち会いなしに日本の警察にしょ引かれ、自動的に起訴・有罪にされたらたまったものではないからだ。この要求の背後には、国連がある。
1998年11月、国連自由権規約委員会はわが国における警察の取り調べ状況に懸念を示し、速やかな改善を要求した。『それボク』がこの延長上にあるのは間違いないと思っている。それなら植草事件と切り離そうとマスコミが努めるのは理解できる。いずれにしても、外国の都合によるプロパガンダであることは一緒である。
(引用終わり)
最近、足利事件の菅家氏が冤罪だったことが判明し、釈放されたが、これを仕組まれた「劇」である可能性はある。
取り調べの録音テープが公開されているようだが、これは検察、警察に都合のよいように出されていると疑うべきだろう。
ふたたび「阿修羅」NO.4「免田事件について」に戻って、実際に警察の取り調べで、どういうテクニックで無実の人間を殺人犯に仕立てていくかを見てみよう。勝手ながら引用させていただく。
(引用開始)
「真人間」になるよう説教された被疑者は取調官の真情にほだされて、「犯人になる」ことを引き受けるのだ。自白の瞬間に取調官と被疑者とが手を取り合って泣いたりする場面は、そこにある種の真情の交換があることを示している。
再び仁保事件の岡部さんの録音テープから例を取ってみよう。ここにA、Bと記したのは取調官である。
B_邪念を捨てようで、邪念をの。素直に真実を話さにゃいけんで。(30秒位沈黙、鼻すすり)どうか。
岡部_やっぱり子供の顔と親父の顔が一番さきに浮かぶなあ(自分の子供と父の)。
B_うん、浮かぶけど話をしてしまわにゃ、の、そりゃ人間じゃからの、君の気持ちはようわかる、ね。
A_今迄犯した不孝というものの償いはじゃね、君がしなくちゃいけないで、君が話すことによってだね、いいか、君が話すことによってだ、今迄の不孝の万分の一でも、ええかね、事実を話すことによってだ、今迄君が不孝の数々をやったことそのものがで、の、万分の一でもそれが報いることができる。うん?そうだろう?それじゃったら君がせんないけれど自分の心のうちをさらけ出して話さなくちゃいけない。ね、赤裸々な気持ちにならなくちゃいけない、な。
岡部_話します。主任さんと部長さんがおられるから、手間はとらせません。(20秒位沈黙、鼻すすり)
B_うん、つらいつらいつらいけど話さにゃあで、のう、の、力や元気を出して、の、すがれ、こっちへのう、うん、うん、話をせにゃあねえ、あんた一時も早う楽になるんじゃからのう(鼻すすり)どうか?
A_僕の手でもね、すがりついて話しなさい。話しなさい。そうしたら力が入るだろう。うん、さっき言った、いよいよ純真無垢な精神にならなくちゃいけない。(30秒位沈黙、鼻すすり、ため息)
AB_思い切って話しなさい。
A_思い切って話しなさい。
B_うん?ね、手間かけたら、またあの感慨がそれるからの、今の気持ちの上で話してしまえ、うん?の。
岡部_意気地がないのう、おれは。
B_意気地がないから、こういうことになるのう。意気地を出して話をせにゃあ、のう。うん?のう、わしの手の温もりがわかろうが、のう、のうや、血が通うとるんじゃ。せいやから君が言うこともようわかる。
A_心の動揺を静めにゃいけんで。
B_静めにゃいけんのう。
A_静めて話をせんにゃあのう。(22秒間、沈黙、水を飲む)
岡部_寒うなった。
B_寒うなったや、ちょっと待て。(20秒間、毛布を出すような音)
B_下、敷いちゃろうか、うう、ええよ。うう、ええよ。抱いとっちゃろう、のう、のう。わしが抱いとっちゃろう。のうや、こうやってきょうは抱いて寝ちゃるで、わしがのう。よし、のう、話してしまおうで。わしがこうやって抱いとっちゃるからの。どうや、安心して話をせいのう、心を落着けてのう、ずっと。(40秒間、沈黙)
B_うう、何が。
岡部_ようなったのう。(5秒間沈黙)
A_だんだん神の心になって来るわい、のう、だんだんと、のう。B_落着いて来るのう、気が。気は落着けんにゃあ、のう。(23秒間、沈黙)
何といういやらしさだろう。取調官は虚偽自白を促すために、被疑者に抱いて寝てあげると言うのだ。そこまでして自白を取りたいのだ。これは善意から出た行為だろうか。犯人と思い込んだ被疑者を落とすための、策略の一種というのか。あるいは自白を得て犯人をでっち上げることができれば、例え被疑者が無実であろうと構わないというのか。筆者は後者であると思っている。読者の皆さんはどうお考えだろうか。
(引用終わり)
これを読んで私は思わず唸ったものだ。
これだから先に紹介したように、刑事が「殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、3人でも4人でも同じように自白させてみせる」と豪語するのだ。決して、殴る蹴るばかりが取り調べのテクニックではないらしい。
それから、TVドラマ『誰かが嘘をついている』にも、少々描かれている場面だが、『冤罪はこうして作られる』(小田中聡樹著 講談社新書)を読むと、警察のスパイが無実の人間を自白させるために留置場に送り込まれると書かれている。
これは松山事件(1995年)で犯人とされた斎藤幸夫さん(当時24歳)が警察で取り調べを受けている最中のことだ。
(引用開始)
古川警察署の留置場に入れられたとき、斎藤さんと同じ房(部屋)に高橋某が入ってきた。捜査官たちの暴力的取り調べやアリバイつぶしに苦しんでいる斎藤さんに対し、高橋某は「ここに入ったら、やらないこともやったことにして、裁判の時に本当のことを話せばいいのだ」とか「いつまでも頑張ると拷問にかけられるぞ、…だからやらないこともやったことにして、裁判のとき本当のことをいえ」などと言葉巧みに自白をそそのかした。暴力的取り調べに苦しんでいた斎藤さんは、彼のそそのかしにのってしまい、自白をはじめた。
その後も斎藤さんは高橋某に「身に覚えのない自白をしてきた。裁判のとき本当のことを話せばいいのだね」と相談した。これに対し高橋某は「検察に行ってもやったことにしろ。あそこは警察と味方同士なんだから、また裁判所に行ってもやったことにしろ。裁判のときに本当のことをいえばよい」とすすめた。そこで斎藤さんは取り調べや裁判官の勾留質問に対しても、自白をくり返した。
このように斎藤さんに自白をそそのかした高橋某は、暴行、窃盗、詐欺の被疑者として勾留されていた前科5犯の男で、古川警察署にとっては馴染みの者であった。
捜査当局はこの人物を斎藤さんとわざわざ同じ房(部屋)に入れ、12月10日に拘置所に移すまで、斎藤さんの言動をさぐらせて逐一報告させていた。それだけでなく、言葉巧みに自白をすすめさせた。
(引用終わり)
《3》
昨日のブログで、警察は無実の人間を陥れるために、スパイまで送り込み、法律に疎い素人を騙して強引に犯人に仕立てるのだと紹介した。
あなたはこの代用監獄での孤立無援の状況に耐えられますか?
であるから、この「阿修羅」へ書き込んだ人物は、こうも書く。
「筆者の直観によると殺人事件の98%は冤罪である。ということは、現在刑務所に収監されている殺人犯の98%は無実ということになる。逆に言えば、殺人事件の真犯人の98%以上は捕まっていない。野放しである。大手を振って世間を歩いている、ということだ」
98%と聞くと、絶句するが、案外そんなものかもしれない。
実際、宮崎勤事件、神戸酒鬼薔薇事件、和歌山毒カレー事件では真犯人は捕まっていないはずで、まさに「野放し」である。
フジテレビのドラマ『誰かが嘘をついている』のなかで、こういうやり取りがあった。
「どうして痴漢をやってもいない人を逮捕して、有罪になんかするの?」
と主人公の妻(宮崎美子)が尋ねる。すると弁護士がこう答える。
「それはあの人たち(警察、検察、判事)の“仕事”だからです」
このやり取りはなかなか秀逸だった。
つまり、警察、検察、判事にとっては、一個人の事情なんかどうでもよく、流れ作業的に証拠があろうがなかろうが、自白さえあれば、あるいは痴漢のように訴えがありさえすれば、起訴し有罪にするだけのことなのだ。それが“仕事”だから、である。
しかし、それでもまだ、この「“仕事”だから説」は真実を言い当ててはいない。
再び高橋清隆氏の『偽装報道を見抜け!』から引用させていただく。
(引用開始)
それにしても、なぜ誤認逮捕に基づく理不尽な起訴・裁判が行われ続けるのだろう。多くはわざとやっているとしか思えない。誤認逮捕自体に、一定の意義があると考えた方が合理的な気がする。しかし、誤認逮捕することに何のメリットがあるのか。『阿修羅』の書き込み人は「真犯人を逃すため」だと推論する。真犯人とは誰か。彼は言いにくそうに続ける。それは「在日X人」であると最後に告白している。つまり、わが国の警察・司法の目的は、日本人を捕まえること。真犯人かどうかなど、どうでもいいことになる。
(引用終わり)
戦慄の真相ではないか。もっと詳しく『偽装報道を見抜け!』は説いているので、私のブログだけでは信用できない方は、ぜひにこの本をお読みいただきたい。
少々文章がこなれてなくて読みにくい部分もあるが、全日本人必読の書と言っていい。
YouTubeの以下のサイトで氏の講演が一部見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=HA4umSNqz9o
真犯人は「在日X人」であると言われて、ピンと来る方はもうこれ以上言うこともあるまい。受け付けない人にはいくら言っても受け付けまい。
おそらく昨日紹介した松山事件の犯人とされた斎藤さんに、留置所で送り込まれたスパイは、在日だったのではないか。
日本のヤクザの3割は在日であると、元公安調査庁OBの菅沼充弘氏は言っている。
日本は政・官・業それにヤクザによって支配されてきているのである。警察、検察、裁判所とて例外ではなかろう。だから平然と(?)在日の凶悪犯罪が仕掛けられ、真犯人は逃されて、無実の人間が有罪にされていくのだ。
本部ブログでは、何度も八切止夫の歴史観を紹介してきた。八切止夫は本当の日本史を説いているのだと思うが、あまりにも歴史の教科書と内容が違うため、また官許歴史学がイルミナティの指図で作られた東京帝国大学が主流となって作為的に創られてきたため、信じてもらえない。
しかし八切止夫は、日本の歴史が朝鮮人の支配と日本人の支配が交互に行なわれてきている事実を掴んでいた。
江戸時代もごく初期の徳川氏以外はずっと朝鮮人の血をひく将軍だったのである。それが土着の日本人を差別し、虐げてきたのだ。
明治維新とは、日本が国際金融資本(ロスチャイルド)に乗っ取られた事件であった。ロスチャイルドは、鎖国の間にオランダを使って日本を研究し尽くしたのだ。日本がどのような支配体制にあるのかを見抜いた。天皇とは何ものなのか、も見抜いたはずである。その体制をあたかも維新革命で変えたように見せかけながら、じつはロスチャイルドが目には見えない形で日本に馬乗りになった。それが明治以降の歴史である。
戦後は、それをアメリカが踏襲した。日本の古来の支配・被支配関係をうまく使って馬乗りにしている。だから彼らは決して天皇の戦争責任を問わなかった。
そして在日を野放しにして、日本人をいがみあわせ、在日や朝鮮半島を日本支配に利用してきた。
北朝鮮による拉致も核も、みんなアメリカが仕掛け、朝鮮を利用して日本を操ることが目的だった。
その基本があるから、先の真犯人が「在日X人」であるとわかるのである。歴史の教養とはそういうことだ。官許歴史では真実は決して見えてこない。
この「阿修羅」の「免田事件について」を書いた方は、以下のように一連の事件を解明されようとして読みごたえがある。一読をお勧めしたい。
★阿修羅♪ 空耳の丘11
(http://www.asyura.com/sora/bd11/index.html)
暴露されたフリーメーソン。NO.1すべてを疑え! - 無記名 00/11/11
NO.2 坂本弁護士事件の怪 - 無記名2000/11/12
NO.3 容器の形状に関する証言は様々 - 無記名 2000/11/12
NO.4 免田事件について - 無記名 2000/11/12
NO.5 証拠の捏造・隠滅 - ロバート・オッペンハイマー(無記名改) 2000/11/12
NO.6 殉教者を作り上げるパタ_ン - ロバート・オッペンハイマー 2000/11/12
NO.8 フリーメーソン・カレンダ_(END) - ロバート・オッペンハイマー 2000/11/12
NO.6 悪・魔・の・世・論・操・作・ - ロバート・オッペンハイマー 2000/11/12
昨日のブログで、警察は無実の人間を陥れるために、スパイまで送り込み、法律に疎い素人を騙して強引に犯人に仕立てるのだと紹介した。
あなたはこの代用監獄での孤立無援の状況に耐えられますか?
であるから、この「阿修羅」へ書き込んだ人物は、こうも書く。
「筆者の直観によると殺人事件の98%は冤罪である。ということは、現在刑務所に収監されている殺人犯の98%は無実ということになる。逆に言えば、殺人事件の真犯人の98%以上は捕まっていない。野放しである。大手を振って世間を歩いている、ということだ」
98%と聞くと、絶句するが、案外そんなものかもしれない。
実際、宮崎勤事件、神戸酒鬼薔薇事件、和歌山毒カレー事件では真犯人は捕まっていないはずで、まさに「野放し」である。
フジテレビのドラマ『誰かが嘘をついている』のなかで、こういうやり取りがあった。
「どうして痴漢をやってもいない人を逮捕して、有罪になんかするの?」
と主人公の妻(宮崎美子)が尋ねる。すると弁護士がこう答える。
「それはあの人たち(警察、検察、判事)の“仕事”だからです」
このやり取りはなかなか秀逸だった。
つまり、警察、検察、判事にとっては、一個人の事情なんかどうでもよく、流れ作業的に証拠があろうがなかろうが、自白さえあれば、あるいは痴漢のように訴えがありさえすれば、起訴し有罪にするだけのことなのだ。それが“仕事”だから、である。
しかし、それでもまだ、この「“仕事”だから説」は真実を言い当ててはいない。
再び高橋清隆氏の『偽装報道を見抜け!』から引用させていただく。
(引用開始)
それにしても、なぜ誤認逮捕に基づく理不尽な起訴・裁判が行われ続けるのだろう。多くはわざとやっているとしか思えない。誤認逮捕自体に、一定の意義があると考えた方が合理的な気がする。しかし、誤認逮捕することに何のメリットがあるのか。『阿修羅』の書き込み人は「真犯人を逃すため」だと推論する。真犯人とは誰か。彼は言いにくそうに続ける。それは「在日X人」であると最後に告白している。つまり、わが国の警察・司法の目的は、日本人を捕まえること。真犯人かどうかなど、どうでもいいことになる。
(引用終わり)
戦慄の真相ではないか。もっと詳しく『偽装報道を見抜け!』は説いているので、私のブログだけでは信用できない方は、ぜひにこの本をお読みいただきたい。
少々文章がこなれてなくて読みにくい部分もあるが、全日本人必読の書と言っていい。
YouTubeの以下のサイトで氏の講演が一部見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=HA4umSNqz9o
真犯人は「在日X人」であると言われて、ピンと来る方はもうこれ以上言うこともあるまい。受け付けない人にはいくら言っても受け付けまい。
おそらく昨日紹介した松山事件の犯人とされた斎藤さんに、留置所で送り込まれたスパイは、在日だったのではないか。
日本のヤクザの3割は在日であると、元公安調査庁OBの菅沼充弘氏は言っている。
日本は政・官・業それにヤクザによって支配されてきているのである。警察、検察、裁判所とて例外ではなかろう。だから平然と(?)在日の凶悪犯罪が仕掛けられ、真犯人は逃されて、無実の人間が有罪にされていくのだ。
本部ブログでは、何度も八切止夫の歴史観を紹介してきた。八切止夫は本当の日本史を説いているのだと思うが、あまりにも歴史の教科書と内容が違うため、また官許歴史学がイルミナティの指図で作られた東京帝国大学が主流となって作為的に創られてきたため、信じてもらえない。
しかし八切止夫は、日本の歴史が朝鮮人の支配と日本人の支配が交互に行なわれてきている事実を掴んでいた。
江戸時代もごく初期の徳川氏以外はずっと朝鮮人の血をひく将軍だったのである。それが土着の日本人を差別し、虐げてきたのだ。
明治維新とは、日本が国際金融資本(ロスチャイルド)に乗っ取られた事件であった。ロスチャイルドは、鎖国の間にオランダを使って日本を研究し尽くしたのだ。日本がどのような支配体制にあるのかを見抜いた。天皇とは何ものなのか、も見抜いたはずである。その体制をあたかも維新革命で変えたように見せかけながら、じつはロスチャイルドが目には見えない形で日本に馬乗りになった。それが明治以降の歴史である。
戦後は、それをアメリカが踏襲した。日本の古来の支配・被支配関係をうまく使って馬乗りにしている。だから彼らは決して天皇の戦争責任を問わなかった。
そして在日を野放しにして、日本人をいがみあわせ、在日や朝鮮半島を日本支配に利用してきた。
北朝鮮による拉致も核も、みんなアメリカが仕掛け、朝鮮を利用して日本を操ることが目的だった。
その基本があるから、先の真犯人が「在日X人」であるとわかるのである。歴史の教養とはそういうことだ。官許歴史では真実は決して見えてこない。
この「阿修羅」の「免田事件について」を書いた方は、以下のように一連の事件を解明されようとして読みごたえがある。一読をお勧めしたい。
★阿修羅♪ 空耳の丘11
(http://www.asyura.com/sora/bd11/index.html)
暴露されたフリーメーソン。NO.1すべてを疑え! - 無記名 00/11/11
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