りそな関連 その2 投稿者---言論の自由 (Fri Oct 23 00:40:35 2009 JST) |
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I.外国勢力と売国勢力が引き起こした事件を検証してみると、その異常さと無神経さが目につく。2006年に発生した3件の冤罪事件の国策被害者は3人とも女子高生であるが、2004年に発生した冤罪事件の国策被害者も女子高生である。2004年から2006年にかけて発生した4件の冤罪事件の国策被害者は4人とも全て女子高生という事になる。ここまでくると外国勢力の異常さ及び無神経さというのは、病的でさえある。 II.そのうちの2004年の品川駅「エスカレーター手鏡」冤罪事件(植草教授)、2006年の横浜駅「エスカレーター手鏡」冤罪事件(太田調査官)そして京急冤罪事件(植草教授)は直接的に「りそなインサイダー事件」に関係している。小田急冤罪事件(名倉教授)は、「りそなインサイダー事件」とは直接的には関係していない。 III.2006年の小田急冤罪事件(名倉教授)の特殊性は、この事件だけを幾ら検証、分析しても17歳の女子高生の狂言の意図がまるで、わからない事である。 この小田急冤罪事件(名倉教授)だけを独立させて検証している限り、この事件は謎だらけの事件である。 ところが、小田急冤罪事件(名倉教授)と京急冤罪事件(植草教授)を並立させるとすべての謎が一瞬にして氷解する。 IV.小田急冤罪事件の国策被害者である17歳の女子高生は、ただ命令された事を実行しただけであろう。一見すると、この小田急冤罪事件というのは、典型的な親父狩り事件であるが、問題なのは、この事件だけを、幾ら突っ込んでも、その目的がまるで、わからない事だ。この国策女子高生が名倉教授を罠に嵌める理由が何も浮かんでこない。 この国策女子高生の直接の上司であると推定される国策やくざも、多分命令された事を実行しただけであろう。それでは、この国策やくざの上司であると推定される「亡国のイXXマ」(売国勢力)及び外国勢力は一体、何を考えていたのであろうか?小田急冤罪事件は「りそなインサイダー事件」とは直接的な関係がまるで見当たらない。 この小田急冤罪事件(名倉教授)の目的は何なのか?この謎を解く鍵は京急冤罪事件(植草教授)にある。 V.小田急冤罪事件で一番重要なのは、名倉教授は「りそなインサイダー事件」とは何の関係もないという事である。これが鍵である。植草教授との共通点は、大学教授という肩書きだけだ。つまり、これが何を意味しているかというと、「りそなインサイダー事件」と何の関係もない名倉教授と、「りそなインサイダー事件隠し」の目的で国策逮捕された植草教授を並立させる事により、論点を「りそなインサイダー問題」から「大学教授の問題」にずらそうとしたのだ。 VI.論点ずらしとともに重要なのは、印象操作である。「りそなインサイダー事件」とはまるで関係ない名倉教授を、植草教授に並立させる事により、論点を「りそなインサイダー問題」から「大学教授の問題」にずらした後、今度は17歳の女子高生を国策被害者として、両事件に配置する事により、二つの事件の同一性を深める。そして二つの事件を同時進行させ一審を共に有罪、二審も共に有罪とする事で、さらに、両事件の同一性を高める。同一性の高い裁判であるという印象を焼き付けた後、今度は、最終審である最高裁で、劇的なる幕切れを演出して植草事件は冤罪でないと言う印象を国民に焼き付ける事を目的としていたのだ。 VII. そして第三点として重要なのは、徹底した漫才裁判を演出する事によって、裁判所に対する不信をつのらせる事により、論点を謀略説から裁判所問題にずらす事である。この論点を謀略説から裁判所問題にずらす努力はこの掲示板でも盛んに行われていたから、この問題は理解しやすいであろう。 VIII. この二人の大学教授を巻き込んだ事件は、異常で病的で無神経な事件であるが、知性のかけらを垣間見る事はできる。しかし2004年と2006年に発生した2件の「エスカレーター手鏡」冤罪事件は単に異常で病的で無神経なだけである。 【放送内容の公正・適正さを問われるようになる放送局】郷原信郎氏の総務省顧問に怯えるテレビ局【反戦な家づくり】 http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/125.html
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-785.html#tb 郷原信郎氏が、法務省ではなく総務省の顧問になったと言うことは、非常に大きな意味を持っている。 マスゴミ各社は、冷や汗を流してこのニュースを流しているに違いない。 郷原氏は、コンプライアンスの専門家である。 総務省が管轄する企業とは何か。 放送局は5年ごとに免許の更新があり、これまでも総務省は報道機関に対して大きな権限をもっていた。 ところが、昨年くらいから政府とマスコミの力関係が逆転してきたという。
(略)だが、2008年の再免許がもうひとつ異常だったのは、過去には必ず行われてきた「再免許ヒアリング」(放送局に対する個別の事情聴取)のプロセスがなかったことである。(略) 通常、再免許の時期が近づくと、放送事故や不祥事などでスネに傷を持つ放送局は、ビクビクしながら1年以上前から事情聴取の準備を進める。(略) 総務省は、事情聴取で放送局を締め上げようとしても、いつもと違って反撃されてしまいかねなかったので、中止したのだ。ローカル局から、「現実的に、アナログ放送を止められるかどうかは視聴者がテレビを買い換えてくれるかどうかの問題です。地デジの認知度は低いままですが、総務省は、なにをしているのですか?」と切り返されたら、答えに窮してしまう。それが今回、横並びで再免許になった“真相”なのである。 逆に言えば、だからこそ放送局は、どんなに世間の批判が激しくても、放送免許を剥奪される事態を考える必要がない。不祥事続きであっても、免許更新は既定路線になっていたからだ。(略)
そこに、コンプライアンスの鬼である郷原氏の登場だ。 ここで、注意を喚起したい。 官僚の国会発言禁止は、私は正しいと思う。 官僚の発言禁止というけれども、正確に言うならば、政治家が官僚に代行させることを禁止する ということだ。 ところが、議員がすぐに手抜きをする。 権力は必ず腐敗する ということを自らにも当てはめて、自らに手かせをはめようというのが、小沢氏の提案だ。 どうしても必要ならば、参考人招致なり証人喚問すればいい。 それなのに、「高級官僚が不正を起こした際に責任を糾明できなくなる」なんて言っている共産党は、政治家をやる気があるのだろうか? 社民党にしても、権利闘争はやっても、権力闘争については全くやる気がない。現在そのまっただ中だという自覚がぜんぜん無い。
一見民主的なような顔をして、マスコミへのチェックに文句をつけるやつは、良くってどうしようもない平和ボケ、それ以外は、植草一秀氏いうところの悪徳ペンタゴンhttp://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-ab23.htmlの手先である。 もちろん、かつての自民党のように「ああ言え」とか「こう言うな」という命令をしてはいけないのは、言うまでもない。アタリマエ 今必要なのは、報道内容が広告主から不当な介入を受けていないか、というか、受けているに決まっている不当な介入を暴いて報道の根っこを透明にし、毎日テレビを見たり新聞を読んだりしている全国民に知らせることだ。
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