腐り切った自公政権を交代させ、
新しい時代を作り上げるという日本国民の308議席への意志
は、
つまり鳩山・小沢政権は、
なぜ叩き潰されたのか?

言うまでもない
国民生活を第一に破壊!軍需経済を第一に守る!ためである。


日本経済の隅々に軍需経済という醜悪な病原菌が強固な根を張り続けている。

尖閣事件が起きたから潜水艦を16隻から22隻に増やしたのではない。
そうではない!逆なのだ!
血税を毟り取るために、潜水艦建造のために尖閣事件を起こしたのである。
それこそが国家に寄生し、
国民資産を食い破って行く
資本というものの絶対の論理なのだ。
今も昔も
全ての軍部は軍需経済の母体の中で育て上げられて来た。



2010-7-22
↑↓
2010-9-7


2010-12-16

1年に1隻という慣行を破り
一気に16隻を22隻にした強盗詐欺である。

(国民生活を第一に破壊!軍需経済を第一に守る!)


沖縄海保に中国貧乏漁船襲撃を命令したものは?

2010年9月7日
、それまでの「棚上げ」を一方的に破り、何故、突然、沖縄海保はカワハギ漁の中国貧乏漁船に襲い掛かったのか、その正鵠な回答は09年12月に示されていた。

ばら撒かれた官房機密費でどうにでもなるTV新聞などのマスコミにいいように踊らされ、
国家間憎悪を脳天に打ち込まれ、「抑止力」とか「国防」などと甘ったれた空論を叫ばされ続ける貧乏国民哀れさが際立つ


尖閣事件「突発」で三菱重工と川崎造船は「競争入札」を回避出来た。
尖閣事件「突発」で双方で戦後初前代未聞の
大量6隻も受注出来た。
尖閣事件「突発」で三菱重工と川崎造船は、緊縮財政が叫ばれる中で潜水艦などという原価不明詐欺兵器600億円×6隻を国民の血税からまんまと引き出すことが出来た。

行き当たりばったりの資本など存在しない。
積み上がることを宿命とする資本の論理が戦争を必要とするのだ。

1928年関東軍の大佐河本達が張作霖を爆殺したのは三井財閥の満州鉄道権益と大豆交易の冷厳に組み立てられた決算書の論理であった。
1964年のトンキン湾事件、2002年コリン・パウエル国連虚偽演説によるイラク侵略、2010年の韓国哨戒艇「天安」沈没でっち上げ事件、それらはすべて軍部というイカレた組織のイカレた暴走ではない。
資本の論理が冷酷に周到に「イカレた組織のイカレた暴走」を用意したのだ。
うなりを上げる軍需経済の工場群が余剰資本を積み上げながら
国家寄生を深化させ国民資産を食い尽くして行く。
日本資本主義の疲弊は極点に達し軍需経済(人殺し強盗経済)という最も恥ずべき転化に踏み込むしか最早延命できなくなってしまったのだ。
2010年、日本軍部も侵略強盗経済(軍需経済)の母体で飼育され肥満の度合いを高め続けている。


疲弊し、荒(すさ)んだ資本に唯一残された道軍部というイカレた組織のイカレた暴走との婚姻だけだ。
腐乱した悲惨な結婚が行きつく果ては破滅の歴史が繰り返し証明して来た。

日本経済は侵略強盗殺人や国家への寄生に道を渡し続けるのか。



現行16隻の潜水艦を一気に22隻にすることを決定!
貧乏国民の教育費や福祉予算、老後の年金を毟り取り、消費税まで増税強奪して1隻600億円の詐欺兵器を一気に6隻発注!


<潜水艦>初の受注競争へ…三菱重工と川崎造船 防衛省発注
09年12月15日
防衛省が10年度発注する潜水艦の建造で、初めて業者間の受注競争になる可能性が高まっている。国内で建造能力があるのは三菱重工業と川崎造船だけで、77年度から08年度までは両社が毎年交代で1隻ずつ受注してきた。しかし、同省は09年度の発注を見送ったため、両社ともドック(船台)が空き建造できる状況にあり、業界では受注合戦の行方に注目が集まっている。
防衛省などによると、76年に初めて策定した防衛計画の大綱に基づき、海上自衛隊の潜水艦は計16隻。
各年度に最も古い1隻が退役し、1隻が就役するサイクルで、
発注も各年度1隻ペースだった。
潜水艦の建造には高度な技術が必要で、国内で建造能力があるのは三菱重工と川崎造船の2社のみ。潜水艦は契約から引き渡しまで約4年、うちドックでの建造に1年以上が必要で、これまではどちらか1社と随意契約を結んできた。ところが、
防衛省は09年度、「退役艦がないため新規発注の必要がなかった」などの理由で潜水艦を予算計上せず、「順番」の川崎造船は受注できなかった。
防衛省は10年度予算の概算要求で、潜水艦の建造費544億円を盛り込んだ。
川崎造船は
これを逃すと3年間受注できなくなり、専門の技術者が流出する恐れがあるほか、関連企業への影響も予想される。
偶数年度に受注している三菱重工も乗り出すことが可能で、今回は両社を対象に競争入札が実施される可能性が高まっている。
親会社の川崎重工業は「まだ概算要求の段階で、コメントできない」、三菱重工も「コメントできない」としているが、ある造船大手の幹部は「不況下で互いに厳しい経営状況にあり、造船設備を維持するために双方とも受注したいはず」と話している。(毎日新聞)

競争入札が実施される可能性が高まっている
造船設備を維持するために双方とも受注したいはず




合併した三菱重工三社の代表者は、プルトニウム・ミサイルの製造支配力を確保する為、それぞれが次のような分野を担当した。

三菱日本重工の社長だった河野文彦(こうの ふみひこ)は、日本兵器工業会の会長。

新三菱重工の副社長だった荘田泰蔵(しょうだ たいぞう)は、誘導ミサイル懇談会の副会長。

その息子の荘田泰哉(しょうだ やすや)は、動燃の理事(プルトニウムを利用する高速増殖炉の建設推進を担当)。

三菱造船社長だった丹羽周夫(にわ かねお)は、日本原子力研究所の理事長に就任した
また、3社が解体される迄の三菱重工社長で、解体時に代表清算人を務めた岡野保次郎は、誘導ミサイル懇談会とロケット開発協議会の会長の他、日本原子力産業会議の理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会の委員長、日本原子力船開発事業団顧問、となった。

彼ら4人の役職業務は、国防とミサイルとプルトニウムであった。この肩書と業務内容を突き合わせ、彼らが重工3社の重鎮として、合併後の相談役として共に会社を育てた経緯を考えてみれば分かる。現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造の為であることを疑わない人間は、何処にもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。

この4人の進めた極秘軍事ビジネスを引き継ぐ後継者が、97年の行政改革委員長・飯田庸太郎(三菱重工社長・会長)の仕事だったのである。
『私物国家―日本の黒幕の系図』 第6章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工



1956年(昭和31年)5月の週刊誌・・今から55年前でさえこうだった。






沖縄県民への恫喝と共に日本軍部による沖縄・尖閣海域に対する新たな侵攻が開始された。
全ては日米軍需経済(侵略強盗経済)の要請であり周到に準備されたものであった。


三菱重工業は、神戸造船所で手掛ける造船事業のうち、コンテナ船などの貨物船建造を長崎造船所(長崎市)などの国内拠点に統合する方針を固めたことが21日、分かった。
統合に伴って、神戸造船所の造船事業は防衛省発注の潜水艦を残すのみとなる
防衛省発注の潜水艦を残すのみとなる


2010年7月22日
三菱重工が神戸造船所での商船建造から撤退、潜水艦に特化すると発表した。
三菱重工業は、「神戸造船所」における商船の建造から撤退し、
長崎・下関の両造船所に集約する生産体制の再編を明らかにした。
神戸造船所の手持ち建造商船が完工する2012年上半期をめどに新体制への移行を進め、
同造船所では潜水艦や潜水艇などの建造に特化していく方針。
景気低迷に伴う海上輸送量の減少により新規の商船受注は期待できない状況のため、
設備および人員の再配置が急務と判断し、今回の決定に至った。

9月7日
突然それまで続いていた「棚上げ」を破棄して中国漁船に沖縄海保が襲い掛かった。

絵に描いたようにマスコミが煽り、国家間憎悪の覚醒剤を脳天に打ち込まれた単細胞の国民が「国防」とか「抑止力」などという甘ったれた空論を喚かされカモにされて行った。
まさに70年前と同じカモネギであった。

ほどなく日米詐欺同盟破棄に沸く沖縄の海に日本軍部の侵攻が発表された、
1隻600億円のインチキ潜水艦を6隻追加建造するという告示と共に。


「兵器生産はひとたび企業の中に根を張るとけっして衰えない。」

ベトナム・イラク・アフガンへの侵略強盗戦争で多くの家族が絶叫の中で虐殺されている。
関わった多くの日本人がいる。
家族殺し殺人の共犯者である。
家族殺し・殺人の共犯者がいま何食わぬ顔で日常の生活をしている。
侵略強盗殺人の共犯者が我われの直ぐ側に野放しにされているのだ。
それが人殺しや人殺しの共犯者を生み出し続ける軍需経済が寄生した社会なのだ。



[新聞記事]
 三菱重工業の民間船建造撤退

●神戸の民間船建造撤退へ 三菱重工
  不況で受注低迷 長崎など他拠点に統合
  2010年07月21日 神戸新聞
 三菱重工業(本社・東京)は、神戸造船所(神戸市兵庫区)で手掛ける造船事業のうち、コンテナ船などの貨物船建造を長崎造船所(長崎市)などの国内拠点に統合する方針を固めたことが21日、分かった。統合に伴って、神戸造船所の造船事業は防衛省発注の潜水艦を残すのみとなる1905(明治38)年、「三菱合資会社神戸三菱造船所」としてスタートして以来、約1世紀続いた神戸での民間船建造の歴史に幕を下ろす。
 統合時期は、神戸造船所ですでに受注した分の建造を終える2012年度以降になる見通し。
 2008年秋のリーマンショック以降の世界的な不況で海運貨物量が落ち込んだことで、新造船の需要も低迷。新規の受注獲得が課題となっていた。さらに造船能力を増強した韓国、中国メーカーとの競争が激化し、国内造船拠点の生産統合によるコスト削減が避けられないと判断したとみられる。
 神戸造船所は分工場の「二見工場」(明石市)を合わせ、敷地面積は約117万平方メートル、社員約4000人。造船に加え、原子力発電設備や宇宙開発機器など幅広い事業部門を抱え、年間生産高は2009年度で約3600億円。このうち貨物船建造を含む船舶・海洋機器部門は2割弱にとどまり、近年は主に大型コンテナ船と自動車運搬船を建造している。
 貨物船建造に携わる従業員は、神戸造船所内の他部門への配置転換を中心に、長崎造船所などの他の造船拠点への移動も検討するという。近く労働組合に正式提示する。



●三菱重工神戸民間船建造撤退
  ミナトの象徴に幕 地元から惜しむ声も
  2010年07月21日
 三菱重工業神戸造船所(神戸市兵庫区)の商船建造が、約100年の歴史に終止符を打つことになった。かつては多くの従業員や下請け企業を抱え、大型客船も建造。神戸製鋼所や川崎重工業と並び、地元の重厚長大産業の象徴的な存在だった。船体を初めて海に浮かべる進水式は「ミナト神戸」を彩る風物詩だっただけに、惜しむ声も広がりそうだ。
 今年4月、同社神戸造船所の大型コンテナ進水式には、関係者や見学の市民ら1000人以上が集まった。全長約300メートル(7万8000トン)の巨体が建造現場の「船台」を離れ、水しぶきをあげて水面に滑り込む。造船マンらの晴れ舞台は華やかな雰囲気に包まれた。
 同造船所は、1971年に当時、世界最大・最速だった日本郵船のコンテナ船「鎌倉丸」(5万1139トン)、1989年に戦後初の豪華クルーズ客船「ふじ丸」(2万3340トン)など、日本造船史に残る商船を手掛けてきた。しかし、業界は好不況の波が激しく、かつて複数稼働していた船台は1本となり、客船は長崎造船所に集約された。
 三菱重工業が計画する造船部門の統合再編は、原子力発電関連事業なども抱える神戸造船所にとって、大幅な規模縮小につながるわけではない。だが、造船関連で取引がある地元中小企業の危機感は強い。
 リーマン・ショックの影響で海運需要が低迷する中、同造船所で内装工事を終えたコンテナ船が、国際航路に投入されないまま神戸港に停泊する光景も見られ、関係者からは造船事業の先行きを危ぶむ声が出ていた。
 同造船所の関係者は21日午前、兵庫県庁を訪ね、金沢和夫副知事ら幹部に対し、2010年度中にも貨物船建造を終えることを説明した。地域住民から「しんせん」の名で親しまれ、兵庫県内有数の生産拠点だった造船所から、商船建造のツチ音が消える。



●三菱重工神戸 商船建造から撤退を表明
  原発関連事業を強化
  2010年07月22日
 三菱重工業(本社・東京)は21日、神戸造船所(神戸市兵庫区)の商船建造を2012年度前半にも長崎造船所(長崎市)と下関造船所(山口県下関市)の国内2カ所に統合する船舶・海洋部門の再編計画を、正式に発表した。神戸では、新船建造を防衛省発注の潜水艦に特化する一方、世界的な需要の伸びが見込まれる原子力関連事業の強化を図る。
 神戸造船所の商船受注残はコンテナ船3艘、自動車運搬船6艘で、12年度前半に顧客への引き渡しを終える予定。その後、商船建造設備は撤去する。
 潜水艦については「長年培った技術を動かし難い」とし、新船建造以外の造船関連では船舶用ディーセルエンジンの製造を残す。統合先の長崎、下関両造船所では、太陽光発電を動力の一部に取り入れられた低燃費の貨物船など、国際市場での競争力向上につながる船舶の開発、建造を進める。
 神戸造船所では原子力関連事業の強化が図られる見通し。既に同造船所の事業規模の約7割を占めており、発電所の心臓部である機器類の開発製造で出力の大型化などに引き続き力を入れる。
 同日、同造船所内で会見した同社船舶・海洋事業本部の柳井秀朗本部長代理は「会社の発祥事業である造船は2拠点に集約して存続を図る。神戸では原子力関連などで伸長が見込めるため、地元の取引先や雇用などへの影響を限りに会く小さくしたい」と説明した。
 「神船(しんせん)」の呼称が定着した事業所は当面、変更しないという。



●三菱重工神戸商船建造撤退 「2年後職場どこに」
  驚く従業員先行きの不安漏らす
  業界団体 地域経済への影響調査
 三菱重工業が神戸造船所(神戸市兵庫区)の商船建造撤退を正式発表した21日、従業員は驚きと先行きへの不安を口にし、地元自治体は地域経済への打撃を懸念した。地元中小企業で作る神戸市機械金属工業会(神戸市中央区)は同日から、加盟290社に影響を尋ねる緊急調査を始めた。
 商船部門の従業員によると、同日午後4時から下請けを含め約1900人が集まり、副所長から説明があった。終了後は通常通りの業務を続けたという。
 溶接を担当する男性(33)は「2年後にはどこで働くことになるのだろう。家庭もあるのに…」と言葉少な。部品組み立ての男性(45)は「以前から『次の受注が決まらないね』という話を職場でしていたので、ある程度予想はしていたが…」と声を落とした。原子力発電関連部門で働く男性(55)は「商船部門が悪いとは聞いていたが、まったく知らなかった。配置転換など生活に営業が出る人も多いのでは」とおもんぱかった。
 神戸市の矢田立朗市長はコメントで「誠に残念。新たな商船建造を他に集約されるのであれば、雇用維持と地元中小企業への特段の配慮を」と要望。兵庫県幹部も「下請け企業などへの悪影響を最小限に食い止める努力を求めたい」とした。造船だけでなく、物流や貿易、観光などミナトにかかわる産業の雇用、生産所得がともに約3割に上る同市。地域経済への影響調査の実施を決め、22日にも、職員を同造船所に派遣することにした。
 緊急調査を始めた神戸市機械金属工業会の村元四郎会長は「影響の予測がつかない。一刻も早い状況把握に役立てたい」と話した。
 同造船所は21日、取引先の中小企業に対し、今後の対応などを説明した。出席した部品加工会社社長は「造船事業の厳しさは数年前から分かっていた。三菱重工は取引先を大事にしてくれると信じている。自分たちも力をつけなければ展望は開けない」と気を引き締めていた。






国民の血税を盗み続ける日米安保詐欺同盟の鉄の構造がでっち上げられて行った1986年の三菱重工CB事件

1986年、日本の代表的な軍事産業であり原子力発電所のメーカーである三菱重工が、1000億円もの多額のCB=転換社債を発行した。
この莫大な金額のCBは、バブル景気に乗り完売するが、CBは株価と連動して価格が上昇する。この1000億円のCBは発売されて2週間で額面100円が206円に上昇し、2倍の価格になった。

 三菱重工は自衛隊・防衛省(当時は防衛庁)への戦車等の兵器販売、原子力発電の推進で、自社に「優遇措置」を取ってくれた自民党政治家達に、このCBを発売前に100億円分、販売していた。自民党は100億円が2週間で、206億円になる、「大儲け」を手に入れた。

自民党の三菱重工への「優遇措置」とは、他の企業の兵器を購入せず三菱重工の兵器を購入し、また値引きを要求せず、三菱側の「言い値」で防衛省が兵器を購入した事を指す。

また、原子力発電所建設については、原子力発電の技術的に危険な面に「うるさい事を言わず」、その建設費への補助金等も三菱側の「言い値」で自民党政府が支払いを行った、と言う事である。

つまり国民の税金を「湯水のようにムダ使いした」という事である。

 自民党は三菱重工の系列である三菱銀行から100億円借り入れ、CBを購入し、2週間後、206億円で市場で売却し、106億円もの利益を得た。

これは事実上のワイロであり、こうした「不正な資金が自民党の活動資金となってきた」。

この106億円の内、最も多額なワイロを受け取っていた政治家が、日本に原子力発電を初めて導入した中曽根康弘であった。日本に原子力発電を導入し、日本国民を放射能汚染の危険性に直面させながら、三菱重工に原子力発電所の建設工事を「与えた」見返りに、中曽根は三菱重工から、ワイロを受け取っていた。

 東京地検は、このワイロ問題を摘発しようと捜査に乗り出したが、その捜査を警察組織の最高権力者である最高検察庁検事総長の河上和雄が「捜査の停止命令」を出し、自民党政治家達のワイロ受け取りを「見逃した」。

「自民党の各派閥のリーダー全員が、このワイロを受け取っており、事件として立件すると自民党の政治家の大御所・全員を逮捕する事になり、自民党が潰れる」という理由であった。

検事総長の河上和雄は捜査官達を、「お前達は自民党をツブシ、野党に政権を、渡す気か?」と怒鳴り付け、捜査は打ち切られた。

犯罪者の摘発は「どうでもいい」、自民党以外の野党には「絶対に政権を渡さない」、これが、日本の検察=東京地検の「至上命令=仕事」である事が明確に出ている。

 どの政党を政権与党にするかは、国民が選挙で決める事であり、「たかが」警察の最高権力者でしかない検事総長「ごときに」国の政治の方向を決定する権利・資格等、一切無い。

警察こそが国を動かし、国民が、何を考え、どのように選挙で投票するかを警察が左右して良い、という傲慢と、民主主義の基本さえ理解していない、日本の検察・東京地検の無知から来る支配欲・権力欲が、ここに露骨に出ている。

 現在の、小沢一郎の政治資金疑惑で、「自民党以外の野党であった民主党が政権に就いたため、民主党政権を打倒する目的で」、検察が、民主党・小沢一郎の元秘書等を「逮捕して見せ」、民主党のイメージダウン=次期選挙での敗北を「画策している」、その悪質な情報操作、国政への介入・恫喝は、「余りに露骨で、低劣」である。

「お前達は自民党をツブシ、野党に政権を、渡す気か?」と怒鳴り付け、「犯罪者を見逃した」のが、検察の最高権力者=検事総長=河上和雄であった事実、「国政を自分達の思うがままに左右する事が、検察の最高レベルの仕事、至上命令」と検事総長が考えている事実を、日本国民は、明確に記憶に留めなくてはならない。

この河上和雄が、現在、日本テレビの解説員として、また日本テレビの顧問弁護士として、TVに出演し、小沢一郎の摘発に関し、東京地検の捜査が正しい等々と解説を加えている事が、今回の「事件の本質を良く物語っている」。犯罪者を見逃す事を生業としてきた元・検事総長=インチキ警察の代表=河上和雄は、「自民党をツブシ、野党に政権を、渡したままにしておけるか」と正直に話すべきであろう。パチンコ業界を警察が支配下に置き、その利益の「ウワマエを警察官僚が自分の懐に入れる」ための組織=社団法人遊技産業健全化推進機構を「作ってくれた自民党への恩返し」が、小沢一郎・摘発の「真意」であるとも正直に語るべきであろう。自民党のワイロ犯罪を見逃す返礼として、社団法人遊技産業健全化推進機構の代表理事に座り、「利権の甘い汁を吸い続けているのが」、この元検事総長・河上和雄である。この元・検事総長自身が、パチンコ業界と自民党から受け取っている「裏金」こそ、明るみに出し摘発しなければならない「日本国家の、ガン細胞」である。
(以上オルタナティブ通信より転用)
http://alternativereport1.seesaa.net/article/138664300.html








家族を虐殺されて泣き叫ぶ人間が増えれば増えるほど、
利益が積み上がっていく経済が確立された。

御国のために殺人兵器の引き鉄を平気で引く若い英霊が増えれば増えるほど
決算書の株主利益が増加する産業が主要な国となった。


≪広瀬 隆 著『私物国家―日本の黒幕の系図』
第6章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工 より抜粋≫

安保騒動の翌年には、その河野文彦が、解体された三菱重工の1社(三菱日本重工)の社長に就任し、続く62年には日本兵器工業会の会長に就任したのである。翌六三年には、彼の上司だった岡野保次郎自身が、ロケット開発協議会の会長に就任した。このロケットは、勿論、ジュール・ヴェルヌの月世界旅行のロケットではなく、GM懇談会の彼が開発計画を練ってきた兵器用の誘導ミサイルのことであった。

そして翌64年、河野文彦が主導する中、戦後1950年に解体されていた三菱重工の3社「三菱日本重工(東日本重工)」、「新三菱重工(中日本重工)」、「三菱造船(西日本重工)」が合併を成し遂げ、ついに戦前の軍需財閥と同じ三菱重工が復活したのである。

その時、彼らが誘導ミサイルの先端、弾頭部分に取り付ける破壊兵器として選んだのが、皮肉にも長崎で彼らの工場を破壊した核兵器材料のプルトニウムであった。或いは皮肉でなく、彼らにとって、“長崎の報復”という意志が込められていた危険性も充分考えられる。

合併した三菱重工三社の代表者は、プルトニウム・ミサイルの製造支配力を確保する為、それぞれが次のような分野を担当した。

三菱日本重工の社長だった河野文彦(こうの ふみひこ)は、日本兵器工業会の会長。

新三菱重工の副社長だった荘田泰蔵(しょうだ たいぞう)は、誘導ミサイル懇談会の副会長。

その息子の荘田泰哉(しょうだ やすや)は、動燃の理事(プルトニウムを利用する高速増殖炉の建設推進を担当)。

三菱造船社長だった丹羽周夫(にわ かねお)は、日本原子力研究所の理事長に就任した
また、3社が解体される迄の三菱重工社長で、解体時に代表清算人を務めた岡野保次郎は、誘導ミサイル懇談会とロケット開発協議会の会長の他、日本原子力産業会議の理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会の委員長、日本原子力船開発事業団顧問、となった。

彼ら4人の役職業務は、国防とミサイルとプルトニウムであった。この肩書と業務内容を突き合わせ、彼らが重工3社の重鎮として、合併後の相談役として共に会社を育てた経緯を考えてみれば分かる。現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造の為であることを疑わない人間は、何処にもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。

この4人の進めた極秘軍事ビジネスを引き継ぐ後継者が、97年の行政改革委員長・飯田庸太郎(三菱重工社長・会長)の仕事だったのである。

この歴史の流れ全体を取り仕切った岡野保次郎の生まれが、他ならぬ茨城県であった。その為、茨城県に原研と動燃が誕生し、97年3月11日、東海村で再処理工場が爆発事故を起こすという悲惨な結果を招いたのであった。彼がもし、戦争末期の昭和17年(1942年)に、長崎から名古屋航空機製作所に異動していなければ、長崎造船所で原爆投下の災禍に遭遇していたはずであった。しかし運良く災厄を免れた岡野が、原爆で破壊された長崎造船所の最高責任者だったのである。岡野1人の運命に、日本人全体がひき回されたと言ってよい。

こうして、彼ら三菱グループが56年に生み出した「原子燃料会社」が、11年後の67年に「動燃」に改組され、設立者として初代の理事長に井上五郎(いのうえ ごろう)就任した。井上ほど、この役職に相応しい人物はいなかった。三菱財閥創始者・岩崎弥太郎の近親者だったからである。
そして今では、動燃・電事連・日本原燃の何れの最高責任者も、東京電力の人間によって占められるようになった。

動燃とは、電力会社や原子炉メーカーの隠れ蓑として存在する原子力機関であり、実際には、それぞれの出向社員で構成されている。前述の荘田泰哉(しょうだ やすや)は、動燃の理事になり、“もんじゅ”の開発を推進する仕事に熱中してきたが、三菱重工の出身であった。従って、動燃の相次ぐ不祥事の正体をするには、それを構成している細胞を利用しておく必要がある。

≪≪動燃が担当する廃棄物問題を考えれば、最終的に廃棄物処分を行わなければならない責任者は、実際に原子力発電所を運転し、廃棄物を生産している電力会社である。ところがその廃棄物の処理は、科学技術庁と動燃と日本原燃に押し付けられてきた。それは、動燃にとって廃棄物の処理が目的ではなく、「プルトニウムの抽出が目的で」廃棄物を扱うことになったからである。

動燃が、廃棄物問題でこれ程いい加減な作業を続けてきたのは、彼らが、廃棄物のことに全く関心がないからである。作業の目的は、核兵器にしかない。その為、国も無制限に予算を与えてきた。アメリカ・ヨーロッパ・ロシアの核兵器産業が、想像を絶する放射能汚染を引き起こしてきた性格と同じものが、日本に存在している。

その結果として電力会社は、平岩外四(ひらいわ がいし)が電事連の会長を務めた時代に、電気料金の甘い利益だけを吸い上げようとする無責任な企業方針を推進することになった。≫≫

太い縦線で結ばれる4人―電力支配者・松永安左衛門、後年の動燃設立者・井上五郎、東京電力の菅 禮之助、岩崎ファミリーが一体となって、「原子力発電時代の到来」を一斉に声高に語り始めた。この岩崎ファミリーの血筋とは、岩崎弥太郎のことではなく、前章の【系図12〔省略〕】に示した「三菱重工」軍事財閥のことであり、誘導ミサイル懇談会会長の岡野保次郎や、岩崎弥太郎の姪の腹から生まれた三菱財閥の番頭・荘田泰蔵(しょうだ たいぞう)、その息子の動燃理事・荘田泰哉(しょうだ やすや)達、現代人のことである。

そして彼らは、56年3月1日に、最も重要な組織を誕生させた。それが、東京電力会長・菅 禮之助を会長として設立された「日本原子力産業会議」であった。続いて彼らは、5カ月後に原子燃料公社を設立して、児玉誉士夫の流れを汲む高橋幸三郎を理事長に迎え、それがのち動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と改組されて井上五郎が理事長となったのである。全て血族によって誕生した組織であった。その彼らにとって、この他に必要だったものは何であろう。

これを国策として推進する政治家である。

日満鉱業の会長だった菅が闇の世界で知っていた児玉誉士夫が動くと、54年12月に、その児玉資金を得て、鳩山一郎が第1次内閣を組閣し、今述べたような三菱・東京電力の原子力政策を全て強引に推進したのである。
略・
独占体制である為、何処にもコストを下げる市場原理が働かない。松永安左衛門の唱えた電力の民営化が、実際には電力9社による巨大な国家管理機構という化け物に育ってしまったのである。

電力会社は、企業努力による料金値下げを一度も実行したことがない。“石油価格の変動による”と称する料金の値上げと値下げを、自分の帳簿に合わせて勝手に実行しているだけである。経営者が実業家としての感覚を殆ど失い、政治家と自治体の選挙に対する最大の圧力団体となる迄、堕落の一途を辿ってきた。

結果は、高い電気料金を国民に押し付け、平然と居直ることになる。取り分け業界で最大の権力を誇示する東京電力は、一昨年(95年5月)に、遂に有利子負債が10兆円という天文学的な借金財政を記録し、その借金の利子まで電気料金として我々消費者に払わせながら、一方では同年3月決算で、経常利益2000億円という日本一の儲けを記録したのである。