郵政民営化関連法を起案した責任者は竹中平蔵氏である。
「かんぽの宿」疑惑に象徴される日本郵政の「郵政私物化」疑惑の根本原因に竹中氏の根本的に間違った認識がある。
竹中氏が著書「構造改革の真実」に記述した「民営化」の理解が根本的に間違っており、このことが「かんぽの宿」を氷山の一角とする、日本郵政の不適切な事業運営を招く元凶になったと考えられる。
竹中氏は「民営化」について、次のように記述する。
「辞書によると、民営化とは、「民間の経営に任せること」とある。文字通り郵政民営化とは、郵政の経営を民間に任せることであり、政府はそれが可能なように、また効率的に行われるように枠組みを作ることである。これで、西川氏に、経営のすべて、民営化のすべてが委ねられることになった。」
(「構造改革の真実」239ページ)
「これで」とあるのは、日本郵政初代CEOへの西川氏就任が内定したことを示している。この言葉は、2005年11月11日に西川氏の初代CEO就任内定を受けて西川氏と竹中氏が記者会見を行なった時点での竹中氏の判断を示している。
細かいことだがCEOは日本郵政株式会社法には登場しない用語であり、竹中氏の興奮ぶりが伝わる記述である。
日本郵政は2007年10月1日に株式会社形態に企業形態が移行した。竹中氏は、株式会社に経営形態が変わることをもって「民営化」が実現したと理解し、「民営化」した以上、日本郵政の経営のすべてが西川氏に委ねられることになったと「勘違い」したのである。
この間違った判断から、「民営化した日本郵政においては、すべてを西川氏の思いのままにして構わない」、「民営化した日本郵政の経営に総務大臣が介入することは根本的な誤りだ」とする、「根本的に誤った」考え方が導かれたのだろう。
日本郵政は日本政府が株式を100%保有する「完全国有会社」であって、「民間会社」ではない。竹中氏が起案した日本郵政株式会社法は総務大臣に極めて強い権限を付与し、総務大臣は日本郵政に対して監督および検査の権限を有し、取締役等選任については、「総務大臣が認可しなければ効力を生じない」との定めが置かれている。
日本は法治国家である。竹中氏は法律制定の責任者であるのだから、法の遵守(じゅんしゅ)を基本に据えて発言するべきである。
竹中平蔵氏など、西川善文社長続投をごり押ししようとする人々は、西川氏更迭(こうてつ)を「改革の後退」と唱えるが、郵政民営化に関連する不祥事を引き起こした責任者の責任を問うことが、どうして「改革の後退」になるのか。
「郵政民営化」を一点の曇りなく推進するうえでは、不祥事の存在を白日の下に晒(さら)し、責任ある当事者の責任を適正に追及しようとする鳩山総務相の行動に対して、竹中氏などが感謝と敬意を表明するのが当然であって、鳩山総務相を「根本的に誤っている」と非難するのは、筋違いも甚(はなは)だしい。
日本郵政株式会社法は総務大臣に日本郵政の取締役等選任の認可権を付与しており、総務大臣の認可がなければ取締役選任の効力が生じない。麻生首相は「担当大臣である鳩山総務相がしかるべく判断される」と、鳩山総務相の判断に委ねることを明言した。
一連の意志決定プロセスは法律に則っており、2005年9月の郵政民営化選挙で示された民意を尊重するなら、この選挙を受けて成立した「日本郵政株式会社法」の条文を忠実に遵守(じゅんしゅ)することが求められ、麻生政権は粛々と西川社長更迭を決定すればよいのだ。
総務相の判断に横やりを入れて、日本郵政人事に竹中平蔵氏や中川秀直氏が介入することについては、日本郵政株式会社法のどこをひっくり返しても、その根拠を見出すことができない。日本郵政株式会社法の条文に従って行動する鳩山総務相を批判する人々の行動が、民意に反していることは明らかだ。
所管大臣が法律の規定に則って認可権を行使することに異を唱え、「認可権を行使するなら総務大臣を辞任すべき」などの発言を示す人物が、首相が総裁を務める政権与党の一員として国会議員でいることが驚異である。
大臣も内閣も、法律の規定に沿って粛々と判断し、決定すればよいだけで、そもそも総務大臣と、監督下にある特殊会社社長とを対等に扱い、同レベルでの対立の図式に見立てて説明することが異常である。
竹中平蔵氏、中川秀直氏、菅義偉(すがよしひで)氏などが西川氏更迭に異常なまでの抵抗を示すことが、とても不自然である。「これらの人々は、西川社長が更迭されたあとで巨大な不祥事が発覚することを心底恐れている」との憶測が生まれるのは、この不自然さに原因がある。
テレビ各局は、誰から指令があったのか知らないが、竹中平蔵氏へのインタビューを多用し、竹中氏はねじ曲がった論拠を示して、西川氏続投論を懸命に主張している。
竹中氏は単なる民間人ではない。郵政民営化関連法を成立させた首謀者である。国会は、竹中平蔵氏に対して何度も参考人としての出頭を求めている。その要請を「多忙」を理由に拒否し続けているのが竹中平蔵氏である。
竹中氏は、竹中氏が大好きな「イコールフィッティング」の討論の場には、決して姿を現さない。テレビに出演する際は、必ず応援団の同席を求める。竹中氏は姑息に逃げ回るのをやめて、国会で堂々と意見を陳述するべきである。与野党の議員が竹中氏の出頭を、首を長くして待っている。
竹中氏が逃げ続けるなら、国会は竹中平蔵氏の証人喚問を求めるべきだ。民法各局も、国会への出頭を拒み続ける人物へのインタビューを自粛するべきである。
郵政民営化が財政投融資の巨大な構造にメスを入れるために必要不可欠であったとの意見が散見されるが、これも違う。この点について私は、直接、小泉純一郎氏と意見を闘わせたことがある。
詳細については稿を改めるが、郵貯や簡保、年金で集められた資金が、政府系金融機関、事業実施機関、独立行政法人などに投融資される仕組みが従来の「財政投融資」だった。
私は「天下り」を中心とする官僚利権の本丸は、財政投融資の「出口」である特殊法人、独立行政法人側にあり、こちらの改革を実行しなければ意味がないと主張し続けた。
これに対し、小泉氏は、「入り口」の郵貯、簡保が問題であるとして、この民営化だけを主張した。意見対立は平行線で終わった。郵政民営化が実現したが、「出口」の天下り等の問題には、まったく手がつけられなかった。
詳細は拙著『知られざる真実−勾留地にて−』、「週刊金曜日2005年9月30日号」所収の拙稿『小泉・竹中の二枚舌を斬る』等をご参照賜りたい。
2005年9月の総選挙に際し、私は民主党幹部に、自民党の「郵政民営化」主張に対して、「天下り根絶」の旗を掲げ、「本当の改革はどちらか」との勝負を挑むべきだと提言した。
結局、小泉政権は郵政民営化を実行したが、「天下り根絶」には一切手を付けなかった。「天下り」への対応の象徴になると指摘し続けた政府系金融機関改革においても、小泉政権は「天下り」を温存する選択を示したのである。
郵政民営化によって、これまで「官」にしか流れなかった資金が「民」に流れるようになると言われたが、そのような現実が生じているだろうか。答えは「否」である。
ゆうちょ銀行、かんぽ生命の資産内容を見る限り、運用のほぼすべてが有価証券保有で、民営化以前とほとんど変化が生じていない。事実に基づかない説明で、一般国民を誤導しようとする人がいるが、事実に基づかない説明は悪質である。
郵政民営化の実態が「郵政私物化」、「郵政米営化」であるとの指摘は正鵠(せいこく)を射(い)ている。いずれにせよ、竹中平蔵氏には国会に出頭していただき、正々堂々と国会の場で意見を陳述してもらいたい。