今度ばかりは自公に投票した人に怒りを押さえられない(反戦な家づくり)
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/1392.html
投稿者 ジリノフスキー松田
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-269.html
自民党や公明党に投票した人を責めるようなことは,したくないのだが,今度ばかりは,自分の行動がどういう結果を招くか,よくよく見すえてほしい。
つき合いだとか,景気がどうだとか,安全がどうだとか,要するに自分にどう関係あるのか分かったようなワカランような理由で,大概の人は自民党に投票しているのだろう。
今はひどいことしていても,いつかは正義をしてくれると思って創価学会の人は公明党に入れているのだろう。
しかし,その結果はどうだ。
創価学会の人は,阪神ファンを見習ってほしい。阪神が不甲斐ない試合を続けると,阪神ファンは心を鬼にして応援をボイコットする。そういう時代があって,今の結構強い阪神になった。
カルトと言われようが,個人崇拝と言われようが,少なくとも創価学会に入ったときは平和のことを考えていたはずだ。今の公明党の,どこに平和のかけらがある??
自民党だって,戦争したがっている人ばかりではなかったはずだ。まして,その支持層には,平和のおかげで経済発展を享受できたひともおおかった。
ところが,今の自民党は,岸信介たち戦犯(容疑者)の執念が,コイズミの露払いを経て,孫である安倍晋三に亡霊となって乗り移っている。批判を許さない,批判をすれば放火でもしかねない,金正日も真っ青な政党になってしまった。
こんな自民党,公明党をのさばらせているのは,他ならぬ昨年9月に自民公明に投票した人たちだ。岸信介の亡霊に,千載一遇のチャンスを与えてしまったのは,自公に投票した人だ。
そのことを今更責めても仕方がないが,「そんなつもりじゃなかった」とか「知らなかった」というのは,歴史では通用しない。してしまったことの責任は,やはりその行為をした人には問われるのだ。
来年の地方選,参議院での投票は,歴史を背負っているという自覚を持って,投票所に行きたい。つき合いや惰性での投票は,これからこの国で生きていかねばならない子どもたちへの冒涜だ。
1958年の警職法闘争は,数百万の立ち上がりがあったという。これを背景に,社会党の存在も当時は大きかったこともあり,阻止された。
以降,60年安保も70年安保も,壮大な国民闘争がありながら押し切られている。それを思えば,野党らしい野党がなく,国会前も四千人では,押し切られるのはある意味仕方がないのかもしれない。
ただ,70年代初頭に国民運動的なものが姿を消し,80年代にはストライキという言葉も聞かないようになり,社会党が権力に買収されて崩壊し,本当に怒りの持って行き場のなかったこの世の中で,一般の私たちが街頭に出ていけるキッカケができたことは,実に大きかった。
僅かに三千五百人のヒューマンチェーンだったけれども,何かが動き始めた,という実感があった。
地方選挙も,
自民党や安倍の支持率も,こんな結果
http://www.election.co.jp/news/2006/news1027.html
も出ている。
決まってしまったモノは,当面なくなりはしないのだから,こんなオソロシイ教育基本法のある日本という国で,どう生き抜いていくか,どう声を上げていくか,どう子どもを育てていくか,考えて行かねばならない。
● コメント
こんにちは。
とうとう成立してしまいましたね。
「愛国心」論争の陰に隠れて、行政の思うとおりに教育を進める許可を与えてしまったことが残念でなりません。
コイズミ以来のマスコミを賑わせておいて自分たちの本当の目的を隠す手法がまかり通ってしまいました。
何となく投票している人たちは「夕張の悲劇」は人ごとではないということを肝に銘じて欲しいと思います。
この間、夕張付近を車で通ったのですが、あそこだけ道路が凍結していてツルツルでした。周りの自治体は雪が降ってもきれいに除雪していて乾燥路面です。
夕張は大変なことになっていると痛感させられました。
● コメント
教育基本法!
こんにちわ、「成立」してしまったのですね。教育基本法が・・・。ひどすぎます。自民党や公明党に一票入れた人は、自分の子どもや孫を戦争に取られても、文句を言ってはいけないと思います。自衛隊がそのうちに軍隊になっちゃいます。愛国心があるのなら戦争に行けと義務化、そしていやだと言えば非国民とみられ逮捕ですよ、きっと。なんで反対抗議集会している人達、歩道からあふれている勇者達をテレビ電波に乗らないのでしょうか?すでにもう狂いはじめているのですね。この美しかった国は・・・。
戦後の国民の"歩み"に根本的な問題が潜んでいたと思うんデス。
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/1404.html
投稿者 新世紀人
(回答先: 今度ばかりは自公に投票した人に怒りを押さえられない(反戦な家づくり)
投稿者 ジリノフスキー松田
お怒りは"ごもっとも"と存じ上げますが、今更怒っても何にもならないので怒りの対象について考察を深められては如何ですか? 十人が考えればそれぞれ十通りの答えが得られと思います。
私は全く怒りはこみ上げてきません。自民公明に投票した人達の事はよくわかるからです。ただ残念なのは私が彼らに何もしてあげられない事なのです。
自民公明の政治家達のこともよくわかります。人は「わかっているつもりでいるだけだ」と言うかもしれませんが、それはさておき、
自民公明に投票した人に対して、「他の魅力的な投票対象」を提供できるように努める他に無いのではないでしょうか?
それを造るのは難しい事は解かっています。
つまり、この事は「日本の新しい創造的行為」に関することだから難しいのです。
難しいから、今は歴史的に歩みが鈍いという事になるのではないでしょうか?
戦後の日本の歴史的歩みについて、遠慮がちにではありますが、妥協することなく私が言いたい事があります。
一体、戦後は文化的に創造的歴史を歩んだと言えるのでしょうか?
果たして、戦後文化を創造し得たのですか?
本当に創造し得ていたならば、この様な政治的体たらくは有り得なかったのではないでしょうか?
一体、今の保守は何ですか? 売国奴、国賊の役割を果しているではないですか。
これは自らの頭で歴史的現在を考える力が無い為に、過去の役に立たないイデオロギーに回帰して頼っているだけの悲しい姿の迷子でしかありません。
また、反体制派が本当に戦後文化を創造していたならば、簡単に政権を取れていた筈ではありませんか。
それが出来ていないのは、考え方が的外れであるからでしょう。考え方が下手で拙いと言うことでしょう。
要するに創造的に考える努力を怠り、考え方を外から借りてきたツケを今にいたって払っているだけの事だと私には見えるのです。
何の不思議も其処には無いと思うのです。
保守派?と革新派?の有様・姿には何の不思議も無く、極めて自然に存在しています。
戦前に限らず、戦後も文化的創造についてはお粗末と言う他無く、確かに経済的繁栄は得られたがそれは財と享楽の生産に成功したというに過ぎないと私は断じてはばかりませんが如何でしょうか? それはそれで結構ですが、それだけではねえ…禽獣の仲間ではありませんか。私は動物は大好きではありますが。
文化的創造が達成できる国民・民族は逞しいのではないでしょうか?
これらのテーマについてはもっと詳しく書く時が来ると思いますが、今更日本の外れた生き様を嘆いても何も始まらないと思います。我々は自分達の自然な有り得る姿を生きているに過ぎないのですから。
私は売国奴・国賊共に協力なんか全くしないし、彼らは日本の政治から追放するだけの事だと考えていて、それ以外の生き方は私には有り得ないだけのことです。
歩みはのろくても創造を積み重ねてまいりましょう。
「反戦な家づくり」さんを私は大好きです。
【参考文献リンク&コメント】 だまされることの責任 (戦争責任者の問題 伊丹万作)
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/1424.html
投稿者 いいげる
(回答先: 戦後の国民の 投稿者 新世紀人
戦争責任者の問題 伊丹万作
http://www.asyura2.com/sora/bd16/msg/4.html
投稿者 dembo 日時 2001 年 12 月 12 日 16:48:40:
※いいげる的コメント
新世紀人さんの上記のコメントは、大変ごもっともだと思います。率直に申し上げて、敬服いたしました。
しかしやはり 『 騙されること 』 も一種の罪であると、僕は思わずにはいられません。
>一体、戦後は文化的に創造的歴史を歩んだと言えるのでしょうか?
>果たして、戦後文化を創造し得たのですか?
>本当に創造し得ていたならば、この様な政治的体たらくは有り得なかったのではないでしょうか?
>一体、今の保守は何ですか? 売国奴、国賊の役割を果しているではないですか。
>これは自らの頭で歴史的現在を考える力が無い為に、過去の役に立たないイデオロギーに回帰して頼っているだけの悲しい姿の迷子でしかありません。
>また、反体制派が本当に戦後文化を創造していたならば、簡単に政権を取れていた筈ではありませんか。
>それが出来ていないのは、考え方が的外れであるからでしょう。考え方が下手で拙いと言うことでしょう。
『 自らの頭で歴史的現在を考える力が無い 』 連中や
『 考え方が的外れ 』 で 『 下手で拙い 』 連中を伸さばさせている、その根底にあるのが、日本人の「騙されたんだから仕方が無い」という、責任の放棄だと思います。
数多くの日本人が、有権者としての責任を自覚しない限り、『
自民公明に投票した人に対して、「他の魅力的な投票対象」を提供できるように努める 』 努力は、実りが極めて少ない、徒労でしかないのではないでしょうか。
なぜなら、有権者としての責任を自覚し無い限り、人は、集団として見た場合、以下に挙げる「アドルフ・ヒットラーの言葉」とされている文言にあるとおりの存在だからです。
大衆は女みたいなものだ。支配してくれる者を待っているだけで、自由を与えると戸惑うだけだ。
大衆は豚だ。理想も志も持たず、真実や正義を追求する意志もない。強い者には媚び、自分より弱い者を探しては、安心する。常に自分の身の安全と僅かな利益だけを考え、安易な妥協を繰り返す。このような者を統治するためには、圧倒的な権力を背景に、耳障りの良い言葉を聞かせ、美味な餌を与え、互いに争わせることで目を塞げば良い。
具体的にどうするればいいのか、僕には策はありませんが
「 騙されることの責任 」 の自覚を、広く世の中の皆さんに求める事が、一番最初にやらなければならないことだと思います。