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日本国憲法と自民党改憲案の「現実」
at 2006 02/16 16:35 編集
今日は、最近少し調べていたこと、考えていたことを書いてみたいと思います。
少し長文になってしまいました。お時間のない方は「憲法問題資料館」に入れておきますので、またいつかご一読いただければ幸いです。
■ 明治憲法から1945年までの「戦争」
大日本帝国憲法(明治憲法)が公布されたのは、1889年2月、施行されたのは翌1890年11月のことでした。
施行から1945年8月までの約55年間、日本は次のような戦争を行なってきました。
○日清戦争 (1894〜1895年)
○日露戦争 (1904〜1905年)
○第一次世界大戦 (1914〜1918年)
○シベリア出兵 (1918〜1922年)
○山東出兵 (1927〜1928年)
○満州事変 (1931年)
○上海事変 (1932年)
○日中戦争 (1937〜1945年)
○太平洋戦争 (1941〜1945年)
実に55年間のうち、戦争していない年は29回しかありません。
また、満州事変以後を「日中15年戦争」と捉えれば、期間の半分以上は何らかの戦争を行なっていた年ということになります。
学校では教育勅語に基づいて、小学一年から「何かあれば国に義勇をささげ、天皇陛下をお助けせよ」と叩き込まれ、国家の強制による徴兵がありました。軍隊がどこか自分達とは無関係なところで戦争をしている、というのではなく、いつか自分達もそこで戦わなければならないという状況、つまり日本国民にとっては正に「常に戦争と隣合せ」の状況にあったと言えます。
■ 「二度と戦争はしない」という誓い
さて、こうした時代を1945年の「敗戦」という結末で終えた日本は、「二度と戦争はしない」という不戦の誓いのもと、大日本帝国憲法を改正し、「戦争の放棄」「交戦権の否認」「戦力の不保持」を宣言した憲法9条を中心とする日本国憲法を1946年に公布、1947年5月に施行しました。
その後、現在に至るまで、表向き日本が戦争を行なったことは一度もありません。大日本帝国憲法下では期間の半分が戦争だったのとは、大変な違いです。
憲法9条の存在は、前述の「二度と戦争はしない」という誓いを実践する原動力であり、「憲法9条があったために、日本は戦争をせずに済んだ」と言われる所以です。
しかし、その道は決して平坦なものではなかったことも現実です。
■ 「同盟」によって、もたらされてきたもの
この間、マッカーサー指令により警察予備隊が作られ、後に保安隊・自衛隊へと改組されました。日本は実質的には再軍備を行なってきたこともまた現実です。また、日米安保条約があり、米軍の駐留が今も続けられていることにも目を向けるべきでしょう。
時折、「日本が戦争をせずに済んだ」のは、自衛隊と日米同盟があったからだ、と主張する方々を見かけますが、では戦前・戦時中にも日本軍があり、日英同盟や日独伊三国同盟がありましたが、戦争をせずに済んだか、という問いに彼らはどう答えるのでしょうか。
ご存知の通り現実には、日英同盟は、日露戦争の開戦・第一次世界大戦への参戦のための「方便」として利用され、日独伊三国同盟は仏領インドシナへの日本軍進駐から太平洋戦争への道をたどりました。
もちろん日英・日独伊とも軍事同盟ですから、安全保障条約とは違うという意見もあるでしょう。
しかし、今の「同盟国」である米国の要求によって、前述の保安隊・自衛隊への改組が行なわれたのをはじめ、朝鮮戦争・ベトナム戦争・第一次湾岸戦争・アフガン戦争・イラク戦争に対する米軍支援(後方基地化)、そして自衛隊のイラク派遣・多国籍軍への参加を行なってきました。第一次湾岸戦争やイラク戦争では莫大な戦費も拠出してきました。
こうして振り返ってみれば、日米安保体制は「戦争せずに済んだ」力となったのではなく、むしろ反作用的に、再び「戦争する国」へと引き戻そうとしてきたことこそ現実と言うべきでしょう。
■ 軍を持つ「戦争する国」が平和を維持できるのか
国内だけでなく世界にも目を向けてみましょう。
世界各地ではこの60年余りの間も、いまだに軍事力に頼む各国が戦争・紛争を繰り広げてきました。「防衛白書」によれば、先の大戦終結後も97回の戦争・紛争が行なわれてきた、とのことです。スイス・オーストリアなどの「永世中立国」や、「戦争放棄」の日本を除く、ほとんどの国や地域が、戦争あるいは紛争を行なってきたことになります。
ここから分かるのは、軍隊を持ち「戦争する国」になった方が平和を維持できるという理論が、決して「現実的ではない」ということでしょう。
もちろん軍事力の弊害はこれだけではありません。ときにその銃口は一般市民に向けられ、「弾圧」に使われてきたことも現実です。「軍隊は民衆を守らない」というのは現実として洋の東西を問わず共通のようです。
■ 軍事大国化と憲法9条
さて、現在「戦力不保持」の規定を持ちながらも、日本は世界でも指折りの「防衛」予算(年間の予算額は米・ロ・中・仏に続いて第5位)を注ぎ込み、装備の拡大と充実を図ってきたこともまた現実です。
これほどまでに強化された自衛隊がありながらも、国際社会から「軍事大国だ」「脅威だ」という批判を受けずに済んできたのは、憲法9条のもと、長きにわたって貫かれてきた「専守防衛」の方針によるものでしょう。
歴代の首相も、憲法の存在を理由に「軍事大国化」を否定し続けてきました。
最近40年間について調べてみましたが、首相本人による国会答弁だけを見ても、佐藤栄作氏10回、田中角栄氏6回、三木武夫氏2回、福田赳夫氏6回、大平正芳氏2回、鈴木善幸氏49回、中曽根康弘氏45回、竹下登氏16回、宇野宗佑氏1回、海部俊樹氏23回、宮澤喜一氏19回、村山富市氏13回、橋本龍太郎氏9回、小渕恵三氏10回、森喜朗氏5回、小泉純一郎氏でさえ8回、合計224回にのぼります。
この他、大臣答弁も含めればこの数倍になるでしょうし、それ以前の議論も含めれば、少なくとも一千回以上は、「憲法9条が日本の軍事大国化を食い止めてきた」という事実が、国会で語られてきたことのです。時折この事実さえ否定する人々を見かけますが、それこそ現実的ではありません。
■ 「国際的に協調」が意味するもの
さて、戦後60年の節目の年、自民党は改憲案を発表しました。この案は、再び「軍」を持ち、この「軍」は「自衛」の目的のほかに「国際的に協調して行なわれる活動を行なうことができる」と規定するものです。
「国際的に協調」という言葉は比較的、耳に優しく響きます。しかし、その意図は何でしょうか。彼らが「協調」を意識しているのは「国連軍」でしょうか、それとも「米軍」なのでしょうか。
2001年4月の小泉内閣発足以来、2005年末までに国会答弁で「国際」「協調」の二言が同時に使われたのは、82回でした。そのうち4回は、「北朝鮮は“国際”社会と“協調”すべきだ」という趣旨で語られたものでしたが、残り78回は全て米国との関係について語られたものでした。米軍によるアフガン・イラク攻撃の正当化、有事法制、イラクへの自衛隊派遣および多国籍軍参加、米軍再編協議など軍事的課題ばかり、というのが現実です。
このことからも、彼らの言う「国際」とは米国を指すものだ、というのは明らかです。つまり「米軍と一体化した軍事行動」こそ、彼らの改憲案に盛り込まれた「国際的に協調して行なわれる活動」に他なりません。
小泉首相が唱える「世界の中の日米同盟」という言葉通り、米軍に言われるがまま、いつでもどこでも世界中に「自衛軍」を派遣し、他国の人々を殺し、また自らも殺されてゆく―自民党改憲案がこうした事態を招くということについて、ぜひ多くの方々に現実問題として一緒に考えて頂きたいと思います。
■ 憲法9条を改めたときに待ち受ける新たな現実
それだけではありません。
先に私は、憲法9条があるために「軍事大国だ」「脅威だ」という批判を受けずに済んだと書きましたが、もし自民党改憲案のような憲法ができた場合、一体どうなるでしょうか。
現実問題として、近隣諸国の強い警戒心を抱くことは避けられません。
日本は、米国のブッシュ大統領が唱えた「先制攻撃論」を支持した国です。これを支持した国々が日本のほか英国など数少ない国や地域だったために、他国には印象深く残っていると言われます。
「戦争放棄」をやめ、「先制攻撃論」を支持する日本の「脅威」に対抗するため、として近隣諸国は、一層の軍事力の拡大・充実を図るでしょう。
日本もそれに負けじと、果てしない軍拡競争に突入する危険性に、目を向ける必要があります。
これが進めば進むほど、かつての米ソ冷戦の時代のように、正に「一触即発」の緊張と対立を生み出すことが懸念されます。
その強い緊張状態に耐え切れず、もし日本あるいは他国が「先制攻撃」を行なえば、どうなるでしょう。たちまち日本は戦争当事国です。「恐れのある場合」でも、既に成立している有事関連法によって、国民は否応なく戦争協力を余儀なくされます。拒否すれば懲役刑など刑罰が課せられる、というのも現実です。
戦争によって、兵士だけでなく一般市民も、殺し、殺される、という危険性も現実問題として予測されます。
■ 「武力で平和は守れない」という現実
いま日本国民は、一つの「岐路」に立たされています。
これまでの「戦争放棄の国」を守り、自分たちの子孫とともに平和を享受し続けてゆくのか、それとも米軍にどこまでも付き随い。自分たちの子孫とともに殺し、殺される「戦争する国」に逆戻りしようとするのか、が問われているのです。
残念なことに現在のところ国会では、自分達やその一族は絶対に戦場に行かないことを前提に「戦争する国」を国民に押し付けようとする人々が圧倒的多数の議席を占めています。
彼らは、いま改憲の具体的手続を定める「国民投票法案」の提出を予定していますが、その中身は、メディアや各種言論への規制など、「いかに国民の口を封じて改憲案に賛成させるか」ということに力が注がれています。
彼らの改憲案では前文で「自主憲法」を強調していますが、このような非民主的な手法を取るのではあれば、権力者による「口封じ」と「世論誘導」によって生み出された偽装の「自主」であり、とても国民の「自主」的な判断によるものとは思えません。
私たちは、彼らの偽装されたスローガンに騙されることなく、本当に戦争と平和についてしっかりと考え、現実を見つめるべきだと思います。
「武力で平和は守れない」という現実を。
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「外国の金で買われた」政治家
at 2006 02/15 14:40 編集
■ 外国人・外資企業からの献金禁止
民主主義政治は、主権者である国民のために行なわれるべきだということは、言うまでもありません。
それが例えば、外資企業が与党議員を買収し、金で買われた政治家が反国民的な施策を行なうということは、あってはならないことだと思います。
現在、政治資金規正法によって、外国人や外資企業からの政治献金(寄附)は禁止されています。
この規制について私は、当然あるべき規制だと思います。
しかし、この規制がなかった時代、残念ながら日本の政治家が「外国の金で買われた」というケースがいくつもあるのです。
■ 「外国の金」で買われた政治家
いわゆる「60年安保」のとき、当時の岸信介首相は、米国のCIAから莫大な金を受け取っていました。つまり、相手国の諜報機関から金をもらいながら交渉を行なっていた訳です。これでは「対等な交渉」など望むことはできないでしょう。
また、田中角栄元首相の「ロッキード事件」は周知の通りですので割愛しますが、それ以外にも先日、明らかになった事件がありました。
日本を訪れていた韓国の金大中氏(後に大統領)が韓国の諜報機関(KCIA)の工作員に拉致されるという事件が起こりましたが、当時の田中角栄首相は、軍事政権下の韓国から「4億円」を受け取り、警察の捜査を打ち切らせていたのです。
こうした事例において、「外国の金で買われた」のが、ともに「現職の首相」だったという点にも注目すべきだと思います。
このような政治家、特に岸信介氏のような人物こそ、「右翼」の皆さんの言葉で「売国奴」と呼ぶのでしょう。
■ 小泉政権が行なってきた「叩き売り」
話は変わりますが、小泉政権下で行なわれた政策とその効果を思い出して頂きたいと思います。
まず、外資系保険業界の要請に応え、健康保険の国民負担を増やす「医療制度改革」を行い、外資の医療保険型商品の売上を増大させました。続いて、年金制度改革でも同じ手法で、国民の将来不安を高めながら、外資の年金型保険商品の売上に貢献しました。
こうしたことは「新規加入率ナンバー・ワン」などという保険会社のキャッチコピーを思い出していただければ分かると思います。
加えて、先の郵政民営化の議論では、総額340〜360兆円とも言われる郵貯・簡保を狙っていた外資の業者団体や米国の通商代表部と、担当大臣だった竹中平蔵氏が十数回も打合せを繰り返していたことが指摘されていました。
また、それ以前に小泉政権が行なったものとして「不良債権処理」がありますが、その「処理」後、有名な「長銀」以外にも、多くの銀行・企業が外資に買収されていきました。膨大な国民の税金を投じて建て直し、あるいは潰しながら、日本の企業を他国に格安で「叩き売る」という行為が行なわれた訳です。
さらに2007年からは、会社法改定によって、今まで以上に外資が日本企業を買収しやすくなるよう規制緩和が行なわれています。
■ 国民の生命に関わることまで「米国言いなり」
こうした社会保障や経済の分野だけを見ても、いかに自民党政権が日本を叩き売ってきたか、よく分かると思いますが、外交・防衛面でも、さらに「米国言いなり」だったことは言うまでもありません。
米軍のアフガン攻撃では、今もインド洋にイージス艦を派遣し、米軍艦船などへの無償給油を続けていますし、イラク戦争にはブッシュ大統領に求められるまま5500億円を提供しています。これは米国政府を通じて、兵器等の物品を供給している外資企業を潤したことは言うまでもありません。もちろん、出したのはこうしたお金だけでなく、人(自衛官)まで出して、多国籍軍にまで参加させました。
そればかりか、憲法を変えて、いつでもどこでも米国の戦争に付き随えるようにしようとしています。
また、牛肉問題でも米国の要求通りに輸入を再開し、大失敗を犯したことについてもご存じの通りですが、これも米国内の食肉業界団体に強く圧されてのことです。
このような日本国民の生命に関わることまで、小泉政権は「叩き売り」をしてきたのです。
■ 「叩き売り」の代金を受け取るとき
そして、ついに自民党が「外国人・外資企業からの献金(寄附)禁止」という規制を緩めようと動き始めました。
政財界は「国際化の流れ」「外国からの投資奨励の流れ」などを持ち出して、これを支持する声もあるようですが、私には、自民党が今までの「叩き売り」の「代金」を受け取るため、としか映りません。
さらに、このような規制緩和が実施されれば、自民党政権は今後ますます、国民ではなく、米国を見るようになっていくでしょう。
国内だけでも、談合・天下り・口利き・献金など、政財界の汚い金の流れが話題になっているときに、その「汚さ」を拭うばかりか、世界規模に広げようというのですから、自民党という集団の卑しさには、あきれ果てます。
岸信介氏や田中角栄氏のような「外国の金で買われた」政治家を、もう二度と生み出さないためにも、ぜひこのような馬鹿げた規制緩和は止めて頂きたいと思います。
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岩国基地移転受け入れについて住民投票
at 2006 02/07 15:30 編集
■ 投開票は3月12日
米軍再編に伴う移転をめぐり、注目を集めていた山口県岩国市では7日、「移転の白紙撤回」を求めてきた井原勝介市長が、市民に移転受け入れの賛否を問う住民投票を発議しました。
この投開票は3月12日の予定で、投票結果に法的拘束力はありませんが、市長や市議会は、結果を尊重するとしており、結果が注目されるところです。
■ 住民投票を阻止しようとしてきた一部市議
これまで市議会の受け入れ賛成派の中から、この住民投票の実施に反対する声があがっていたと伝えられています。彼らは「移転を受け入れて補助金をもらった方が得だ」と言うのです。
しかし、そこで「得」をするのは、防衛施設庁ぐるみの談合事件で名前が上がったような、ごく一部の建築会社や、そこから見返りを受け取る一部の政治家たちばかりで、他の市民は、一層の騒音と事故の恐怖にさらされ続けることになります。
■ 他の自治体でも市民の声を問え
こうした住民投票に反対する声を振り切り、直接、市民の意見に耳を傾けようとした市長の決断にエールを送りたいと思います。そして、全ての関係自治体が岩国市のように、市民本位の立場で市民の声に向き合って頂きたいと思います。
最後に、岩国市民の皆様が良識ある選択をされますよう祈りながら、注目していきたいと思っています。
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「格差」の拡大と「国政」の使命
at 2006 02/06 18:00 編集
■ 就学支援
昨日の朝、テレビでNHKの日曜討論を見ていました。
後段の各党若手議員による討論のテーマは、最近ようやく目が向けられてきた「格差社会」の問題についてでした。
「就学支援を受けているお子さん達が7割という地域もある」と、社民党の辻元清美氏が語っていました。驚くべき数字です。
「就学支援」は「修学支援」とも書きますが、子どもを学校に通わせるのに必要な、給食費や教材費、修学旅行などへの補助のことです。
こうした支援を受けなければ、学校にさえ通えない児童・生徒が、ここまで増えているというのです。
しばらく前に、あるラジオで支援を受けている小中学校の全国平均として、13%という数字が上がっていました。およそ8人に1人です。
40人学級で言えば、1クラスに5名、そういう児童・生徒がいることになります。
私は数年前から、小学生が「勝ち組」「負け組」という言葉を使いはじめ、親のリストラ・失業が「いじめ」の原因になっていると聞きました。
本当につらい思いをしている子どもたちが多くいるのではないか、と心が痛んでなりません。
■ 税の再分配・年金支給は「施し」なのか
何の罪も無い子ども達までもが「格差」という問題に苦しめられている現状に対して、自民党の石原伸晃氏は「競争は正しい。これで経済が良くなった。」と小泉改革を持ち上げた上で、いわゆる「セーフティネット」に関して次のように言い放ちました。
「『施し』の政治、『施し』の時代に戻すべきではない。」
私はその言葉に驚きました。国民から集めた税金を、予算を組んで事業を行なうことを「施し」だと言うのですから、驚くなと言う方が無理です。
これと似た話を、私は別の自民党議員からも聞いたことがあります。
医療・年金・介護を改悪した後、彼はこう言っていました。
「いろいろ批判はあるが、やはり国民の皆さんも、何でも国に頼ろうとするのは間違いだと気付かなくてはダメだ。」
そのときも私は驚きました。
医療・年金・介護に使われる金というのは、国民が納めた税金であり、国民が負担してきた保険料です。
それを集めるだけ集め、支払う段になって、「国に頼るな」というのですから、これほどいい加減な話はないと思いました。
国民から集めた税や保険料、そして「国政」を、自分達のものだと思い込んでいるとしか思えません。
日本国憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とあります。
つまり、「国政」は国民のためにあるということです。憲法ではさらにこれを「人類普遍の原理」としているのです。
しかし自民党の改憲案では、この条項がばっさりと削られています。
国民側の発想ではなく、明らかに「国家主義的発想」に基づくものと言わざるを得ません。
■ 「格差拡大」を招いた政治の責任
話を「格差」に戻します。
よく言われるものとして、完全失業者約300万人、パート・アルバイトなど非正規雇用1650万人という数字があります。
日本の労働力人口は約6000万人ですから、約3分の1が、こうした低所得・不安定な身分に置かれていることになります。
とりわけ正規雇用が減り、非正規雇用が増えたことで、1世帯あたりの収入は8年連続で落ち込み、生活保護基準以下と言われる年収200万円以下の世帯が18%にものぼっています。
与党の人々は、「そうしたことは政治の責任ではない」と逃げますが、私は違うと思います。
輸出産業の「競争力」のためとして、政府が、人員と人件費の削減を推奨してきたからに他なりません。
小泉政権下で行なわれてきた中には、解雇要件の緩和、有期雇用延長、派遣業種の拡大など、失業・非正規雇用化を積極的に促進させる施策もありましたし、数々の改悪で国民に負担増を強いてきました。
不良債権処理の過程にあっては、求められていた「セーフティネット」の整備などを全く行なわず、多くの国民を路頭に迷わせました。
与党の人々が言うのとは全く逆で、政治の責任は極めて重大だと言わねばなりません。
さらに今後、定率減税の全廃・消費税率引上げなどの増税策が進められれば、本当に国民生活はズタズタにされてしまいます。
自民党がさんざん税や保険料を私物化し、政治献金をくれる企業にばらまいて、積み重ねてきた借金を「『施し』の政治に戻らない」「国に頼るな」と言って国民に押し付けようとするのですから、国民を馬鹿にするにも程があります。
■ 発想の転換を
かと言って借金を増やし続けさせる訳にはいきません。5年近くの小泉政権下で、借金は新たに200兆円も増やされています。
私は発想の転換が必要だと思います。
税収を上げる方法には、自民党のように国民からさらに税金を毟り取るというものだけではなく、もう一つあります。
それは国民の所得を上げることです。
例えば、最低賃金法を改定し、現在6百数十円の最低時給基準を2倍にしたとしましょう。
労働力人口の3割まで拡大した非正規雇用の方々の、所得の底上げができます。
仮に時給1300円とし、1ヵ月150時間パートで働いたとして、月収19万5千円、年収234万円で、何とか一人でであれば生活できる額になります。
それでも、この年収では生活するのがやっとですから、この増加分のほとんどは消費に使われます。
冷え切っていた個人消費が上がれば、国内経済に与える影響はご想像がつくでしょう。
所得税も若干ですが、税収増を見込めますし、消費が増えるのですから消費税率を上げなくても税収は増えます。
政府が求める「自助努力」で生活できるようになりますから、長い間増えつづけ、100万件を突破したという生活保護も、その増加を食い止めることができるでしょうし、その分、歳出を抑えることができます。
つまり、国民生活を向上させ、国内経済を活性化させながら、税収を増やすことができるようになります。そして何より、子どもたちが学校に通えるようになります。
親の経済的理由から、学校を辞めなければならない子どもたちが増えています。時給が上がれば、アルバイトをして家計を支える高校生・大学生も勉強できる時間が増えます。
日本国憲法第26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定めています。
「能力」ではなく、「親の財産の多寡」によって「教育を受ける権利」を奪われるなど、あってはならないことです。
小泉首相は先日の国会答弁で、「格差」が開いていることについて「頑張れば報われる」「悪いとは思わない」と開き直りましたが、「金を得た側」しか見ていないからこそ、そのようなことが言えるのだと思います。
「頑張れば報われる」と言いながら、子どもたちから「頑張る機会」「頑張る時間」さえ奪っているのは、彼らではありませんか。
「何とか生活できるように」「子どもを学校に通わせることができるように」こうした願いは決して「贅沢な悩み」ではないはずです。
このような当然の願いを実現することこそ、本来の「国政」の使命ではないでしょうか。
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米軍巡洋艦、自治体の要請を無視し入港を「強行」
at 2006 02/03 17:10 編集
■ 室蘭港での「暴挙」
3日朝、米国海軍の誘導ミサイル巡洋艦「チャンセラーズヴィル」が、室蘭港への入港を「強行」しました。
この「チャンセラーズヴィル」の母港とされているのは横須賀では、殺人など米兵による犯罪・不祥事が相次ぎ、地元の室蘭市は市民の不安を考慮し、「入港を見合わせてほしい」と米軍側に要請してきました。
しかし、米軍はこれを拒否し、今回の「強行」となりました。
現場は立ち入りが制限され、接岸作業を行なう作業員だけだったと聞くと、「ここは本当に日本なのか」と疑いたくなります。
今回の件にしても、米軍再編協議にしても、米軍の横暴と地元自治体無視は目に余るものがあります。
米軍は米軍の意思で動くのであって、日本国民や自治体の願いなど関係ない、ということなのでしょう。
■ 日本国民と政府と米軍
小泉首相らは「日米関係はこれまでで最も良好」と語ってきましたが、このような日米関係のあり方は日本の主権者である国民にとって「良好」と言えるでしょうか。私は「最悪」としか思えません。
今回の米軍の行為に対して、日本政府はどのような対応を行なうのでしょう。
地元市民の立場に立って抗議を行なうでしょうか。それとも相変わらず米国には一切逆らわないのでしょうか。
その対応ぶりを見れば、彼らが一体「誰のために政治を行なっているのか」が分かると思います。
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防衛施設庁「解体」発言―政府・与党が「幕引き」を焦る理由
at 2006 02/02 17:01 編集
■ 防衛施設庁「解体」発言の本音
防衛施設庁の談合事件に関連して、額賀防衛庁長官はじめ防衛庁は、早々と「防衛施設庁解体・防衛庁への統合」という方針を打ち出しました。
メディアは、防衛施設庁の談合体質の改善・再発防止に対して、政府・与党が本腰を入れている、と報じていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
私には、少し違うように映ります。
捜査はまだ始まったばかりですし、次々と疑惑が浮上・拡大しています。まだまだ全容解明には程遠い状況と言わねばなりません。
そのような中、「解体・統合」を打ち出したのは、本音として「早く幕引きにしたい」という思いが強いことを意味していると思います。
■ 「幕引き」を焦る理由
自民党は、まず今国会に提出予定の防衛「省」昇格法案への影響を恐れています。
また、来月に取りまとめる予定の米軍再編協議への影響も考えているでしょう。
さらに、この事件に自民党が関与していたことが発覚することを何よりも恐れている気がしてなりません。
一つには、この談合事件の捜査で最初(1月中旬)に特捜が目を付けたのが、「郵政大臣を務めたことのある元衆議院議員の元秘書」だったこともありますし、もう一つ、次にご紹介するような「金の流れ」もあるのです。
■ 「談合」企業から自民党へ、年間一億円以上
防衛施設庁の談合問題でこれまでに捜査対象となった企業は、名前が公表されたものだけで、建設16社、空調設備関連9社にのぼっています。
調べてみたのですが、これらの企業から、自民党の政治資金団体「(財)国民政治協会」に対しての寄附(献金)総額は、2004年の実績で一億円をゆうに超えています。
内訳としては、東亜建設工業2085万円、大成建設1996万円、清水建設1990万円、鹿島1972万5千円、五洋建設708万円、鉄建建設585万円、大豊建設477万円、太平工業477万円、株木建設313万円、三機工業100万円、大氣社30万円、三晃空調12万円…などとなっています。
もちろん、これ以外にも自民党の支部への献金、個人名での寄附、政治家のパーティー券購入などもあるでしょう。
■ 「天下り」「談合」、そして自民党への利益の還流の構図
「天下り」があり、「談合」があり、そこで得た利益の一部を自民党に還流するという流れは、正に恒常化していると言って良いでしょう。
米軍再編による基地移転は多くの受発注を生む、それだけ防衛施設庁や防衛庁の人々はより多くの天下り先が確保できる、そして受注業者が利益を上げれば、より多くの資金が自民党に還流される、という構図が存在していることは明らかです。
さらに言えば、こうした構図が、自民党が米軍再編にともなう基地移転や機能強化に力を注ぐ一因となっているのかもしれません。
もちろん、ここで使われる費用は、国民から集めた税金です。
■ 防衛庁に統合して改善されるのか
さて、防衛施設庁を解体して、防衛庁に統合して、果たして改善されるのでしょうか。また、こうした事件の再発を防ぐことができるようになるのでしょうか。
私は、むしろ逆効果ではないかと思います。
先日の日記にも書きましたが、防衛庁・防衛施設庁の天下りは年間100名を超え、全省庁の半分以上を占めています。
もともと防衛庁の外局である防衛施設庁を防衛庁に入れることは、大きい集団の中で個々を見えにくくするだけではないでしょうか。
さらに防衛庁が「省」に昇格すれば、独自の予算要求も可能になります。予算面での権限が強化されれば、体質改善どころか、ますます悪化する危険性が増します。
本当に組織の体質改善・再発防止を考えるのであれば、これまで述べてきたような「裏側」の部分も含め、徹底的に洗い出すことが必要ですし、今回のような事件に結び付く恐れのある「構図」への徹底した規制が不可欠です。
と言っても、「公共事業受注企業からの献金禁止」「天下りの禁止」、これの違反に対する「罰則の強化」など、ごく初歩的とも言える規制ですが、彼ら自民党にとっては、フトコロに「痛み」を伴う「改革」です。
しかし、だからと言って、こうした初歩的なことさえ行なわずに、ただ「解体・統合」で済まそうとするのであれば、「解体」しなければならないのは、自民党という政党そのものだと思います。
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