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『亜空間通信』1071号(2005/08/07)
【天皇制維持固執が沖縄全滅・特攻機自爆・原爆投下を阻止できなかった主たる原因
とNHK記録実証】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
一昨日(2005/08/05)、ヒロシマの放送局などが協力して制作した下記の3時間の超
長大番組を、仕方なく、我慢して視聴した。
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http://www.tbs.co.jp/program/hiroshima_20050805.html
「TBSテレビ放送50周年〜戦後60年特別企画〜『“ヒロシマ”…あの時、原爆投下は
止められた…いま、明らかになる悲劇の真実』」
2005年8月5日
金曜日18:55から
▼出演者
ナビゲーター:筑紫哲也、綾瀬はるか
被爆者手記朗読:吉永小百合
ナレーター:森本毅郎
[後略]
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確かに力作ではあろう。しかし、日本人として一番肝心の「国体護持」こと「天皇
制維持」、実は当時の体制維持への固執の愚行に関しては、まったく論じられなかっ
た。要するに、大手メディアの腑抜け、腰抜け報道の典型である。
まずは、当時の歴史の重要部分の年表を示す。
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http://www.c20.jp/1945/05d_kof.html
ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
[中略]
1944/06/04 連合軍、ローマ入城
1944/06/06 連合軍、ノルマンディー上陸作戦開始(オーバーロード作戦)
1944/06/15 ドイツ軍、V1ロケットでロンドン爆撃開始(〜06/16)
1944/07/20 ヒトラー暗殺計画失敗
1944/08/25 連合軍、パリ入城 (ド・ゴール凱旋)
1944/10/11 ソ連軍、ドイツ国境を突破
1945/02/11 ヤルタ協定 (スターリン、対日参戦を約束)
1945/04/22 ソ連軍戦車隊、ベルリン市街に突入
1945/04/27 ムッソリーニ逮捕 (04/28
銃殺)
1945/04/30 ヒトラー自殺
1945/05/07 ドイツ、無条件降伏(ベルリン陥落)
1945/05/09 政府、日本の戦争遂行決意は不変と声明
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当時の日本の同盟国の元首、ムッソリーニ、ヒトラーが死に、ドイツが無条件降伏し
た直後に、「日本の戦争遂行決意は不変と声明」したのは、なぜか。これが最大の問
題である。この時に、降伏していたら、沖縄全滅・特攻機自爆・原爆投下を阻止でき
たのである。
以下、旧著『NHK腐蝕研究』の関係箇所を抜粋する。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-4-6.html
『NHK腐蝕研究』
第四章 NHK《神殿》偽りの歴史
(4-6)
NHKと天皇制官僚による“大東亜”最後の作戦
NHKは武器でもあった。強力な電波兵器であった。思想的支配だけの意味ではな
く、謀略的、諜報活動的な意味でも、まさしく兵器であった。占領地での謀略放送や
宣撫工作の実例もあるが、それは省く。
ともかく、この強力な武器は、最後に少なくとも、まず軍部を裏切るにいたったの
である。終戦の“玉音”放送もあるが、その前に、海外放送の短波が活用されていた。
しかも、なんと五月二十七日からだというのだ。主謀者は、情報局・同盟通信社・日
本放送協会の上層部であり、サンフランシスコからの短波放送に応じたものである。
先方のアナウンサーは、日本語を使い、ザカライアス大佐と名乗っていた。
「この放送に対して日本からは、五月二十七日夜から七月末まで一回三十分、八な
いし九回にわたって日本放送協会の海外放送による“打ち返し放送”が行われていた。
マイクの前に立ったのは同盟通信社海外局次長の井上勇であった。当時は毎朝、内務
省の一室で、情報局、陸軍省、海軍省、外務省、日本放送協会、同盟通信社の代表な
どによって、海外からの放送などを基に情勢分析を行う連絡会議が開かれていたが、
この会のメンバーであった情報局第三部第一課長の稲垣一吉、同盟通信杜から放送協
会国際局に出向していた大屋久寿雄、それに井上の三人によって、ザカライアス放送
に打ち返し放送をしてみようという相談がまとまった。そして軍には内密に、それぞ
れ上部の暗黙の了解をとったうえで放送が行われた。こうして、短波放送による交戦
国間の対話が行われた。以下は、井上勇の回想による。
井上が『世界の歴史の中で、無条件降伏というものはありえない。降伏の条件を知
らせよ』と放送すると、ザカライアスは『日本の無条件降伏とは、軍が解体され、兵
士が復員することを意味する』と答えてきた。井上が『もっと具体的に』と追及する
と、相手は『無条件降伏というものは、もともと貴国の山下奉文将軍がシンガポール
で使用したことばではないのか』と反問してくる。井上が『日木はこれまでに負けた
ことがない。負け方を教えてもらいたいのだ』と問い返せば、ザカライアスは『それ
はおかしい。貴国の西郷隆盛は酉南戦争で敗北したし、源平の侍たちも始終降伏を繰
り返していた。知らないわけがあるまい』といってくる。そこで井上は答えた。『君
の知っている東京はもう存在しない。今の東京はまったくの焼け野原だ。わたしたち
日本人は、掘っ立て小屋のトタン屋根の下から月をながめて幕らしているのだ。しか
し、戦争に負けたからといって、簡単に頭を下げるわけにはいかない。勝者はもっと
寛大であってよいのではないか』」(『五十年史』)
何ともジレッタイ問答だが、この種の打診は、他の外交ルートでも試みられていた。
だが、連合国に日本のエリート反軍(?)主謀者たちがオソルオソル求めていた「寛
大」な講和条件とは、具体的には何を指していたのであろうか。この点については、
すでに歴史家の結論が出ている。それは、一にかかって「国体護持=天皇制の維持」
にあった。さらに本音をたたけば、天皇制の陰に隠れた資本主義体制の死守であった。
つまり、敗残兵も難民も、沖縄県民も空爆被災者もそっちのけ、自分たちの体制を存
続させるだけのために、五月から八月までの長い長い打診と、一方では死の恐怖と焼
け野原づくりの日々が続いたのである。しかもNHKは、同時に、抗戦体制の要の役
割を果たしてもいた。
「あい次ぐ空襲に市民生活は脅かされ、交通網も通信綱も大打撃を受け、官公庁の
連絡も思うにまかせない状態になった。五月二十一日から、ラジオには午前十時の時
報のあとに『官公署の時間』が設けられ、中央官庁から地方官公署への連絡はすべて
ラジオで行われることになった。中央から地方への『示達』や『通達』すらが、すで
に放送によらねばならなかったのである。連日の大空襲は、日本の崩壊を早めつつあっ
た。軍事も経済も、行政も文化も、あらゆる機構と系統が空襲によって分断されてい
た」(『五十年史』)
このことは、ラジオがなければ、ああいう超大型の戦争は遂行しえなかったという
ことをも意味する。そして最後のあがきは、人間でいえば、脳死の判定を引き延ばす
神経活動のようなものである。かくて八月六日、九日の惨劇。十日には、ポツダム宣
言受諾の御前会議決定となる。
この間、
「八月八日、惰報局総裁下村宏は、吹上御苑内の御文庫で、天皇に対して民心の動
向ほか九項目にわたってご進講したが、特に時局下に聖断を要するときには、ぜひマ
イクの前にお立ちいただきたいとお願いした」(『五十年史』)
そして、かの有名な“玉音”放送の録音となる。
だが、いわゆる“玉音盤”争奪事件は、すでに多くの関係書に描かれているし、テ
レビドラマにもなっているので、省くことにする。要は、いわゆる帝国軍人の正体で
ある。統帥権を依り所に、「かしこくも天皇陛下の御命令……」というコメツキバッ
タ方式を開発した連中が、最後には、“天皇を取り換えても”とか、“録音盤”を奪
う、つまりは“天皇の発言を封じても”とか、ついに戦争狂の本性を現わしたのだ。
天皇は本質的には、明治以来の“玉”でしかなかった。そして、二度も録音を取り直
し、しかも和田アナウンサーが、同じ文句を再度読み上げなければ意味も通じない
“玉音”でしかなかったのである。
録音盤を死守した勢力についても、本質は同じだ。本当に反乱軍と衝突した下級職
員は、たしかに戦争を終らせるという切実な意識を持っていたかもしれない。しかし、
上層部の思惑は別の所にあった。というのは、すでに八月十日のポツダム宣言受諾通
告から、軍部は切りすてられているのである。閣僚級の最高級軍人を除いて、軍部に
は知らせないまま、降伏行進は始まっていた。
ただし、先方の「無条件」に対して、すがりつく思いの「国体護持」の条件が、何
らの保障もないまま付け加えられていた。もちろん、“これを呑まねば”という強が
りをいえる状況ではない。原爆だけなら、まだまだ“見殺しにできる赤子”は、何千
万人もいた。しかし、八月九日には、ソ連がヤルタ協定の約束通りに参戦し、まさに
破竹の勢いで南下を始めていた。かくなる上は、同じ資本主義国のアメリカに一日も
早く進駐してもらわなけれぱ、“共産化”で元も子もなくなるというのが本音も本音、
悲鳴にも似た叫びであったのだ。
録音盤こそは、そうした日本支配層の捨身の策動の“象徴”であった。つまり、こ
れによって、戦争を終らせたのは“天皇であった”、ついでにそれを助けたのが“N
HKであった”とかいうたぐいの、新しい神話が創り出せるのである。そして、悪い
のは、すべて軍部ということになれば、しばし国民をだまし続けることが可能なので
はなかろうか。……大日本帝国のエリートたちは、こういう《聖断》を下したのであ
る。
そのため、八月十日の御前会議決定以前にも、すでにNHKの北米向け短波放送は
「国体護持」条件付ポツダム宣言受諾の「重大放送」を、「某権威筋」(『逓信史話
』)の依頼で流しているらしいのだ。しかも、彼等は、ひとり《敵性語》と短波受信
機を独占し、NHKの施設によって、国際情報の収集と分析を続けてもいた。
「この情報蒐集と配布の機構は、戦争にでもなれば大本営が行なう情報機構の補足
的なものとして設けられたものであったが、十二月八日戦争の火ぶたが切られると、
軍部は殆んど情報らしい情報を集めることができず、軍も政府も挙げてこの情報に依
存する結果となった。すなわちこの機構の構想と運用は、当時逓信省の管理下、東京
都市逓信局の愛宕山情報受信施設において行なった情報(主として無線電信によるも
の)を主軸として、これを同盟通信社の専門家が整理、翻訳し、これをガリ版に印刷
して関係方面(陸、海、外、逓、その他閣僚等に限定)に『特別情報』として刻々配
布された。そしてこのうち公開可能のものは同盟通信社のルートから全国の新聞社や
放送局に流された。戦争中の外国ニュースの殆んどはこの線に依ったものであった。
[後略]
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日本政府は、NHKを通じて、最新情報を得ていた。降伏の条件を議論もしていた。
しかし、「国体護持」が、最優先された。
かくして、戦後、以下の醜悪な事態が演じられるのである。
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征矢野仁(木村愛二の筆名)著、一九八二年、鷹書房刊
『読売グループ新総帥《小林与三次》研究』(117-118頁)
《日本敗北の翌々年、一九四七(昭和二二)年三月には、トルーマン・ドクトリンに
よる反共世界戦略が、はっきりと打ち出されるが、その底流はすでにその一年前から、
露わになり始めていた。その下で開かれる極東軍事裁判(東京裁判)はやはり、裁判
一般と同じく、大衆的糾弾の波を柔らげるというお芝居の本質を持っていたのである。
たとえば、シカゴ・サン紙特派員のマーク・ゲインは、東条一人を悪者にし、すべて
を「軍閥」のせいにして逃げきろうとする旧支配層の動きについて、するどい眼を配っ
ていた。
『ニッポン日記』の一九四六年六月二三日の項に、彼はこう書いている。《(前略)
東条は、神も知ろしめす、もちろん十分罪がある。しかしこの連中が、天皇から吉田
以下にいたるこの連中が、正義の怒りに踊り狂って「あいつが一人で、何もかもやっ
たんだ」と叫び回る光景は、まさに醜悪である(後略)》。
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以上。
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『亜空間通信』1019号(2005/05/28)
【中国会談ドタキャン赤っ恥の敗戦記念「靖国参拝」に薄汚い経済的算術の早め再録
で激論求む】
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『亜空間通信』1019号(2005/05/28)
【中国会談ドタキャン赤っ恥の敗戦記念「靖国参拝」に薄汚い経済的算術の早め再録
で激論求む】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
中国副首相から会談ドタキャンの赤っ恥を掻かされた婦女暴行逮捕歴首相は、下支
えの与党の公明党からも、靖国参拝自粛を要求されるに至った。
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http://www.asahi.com/politics/update/0526/001.html?t5
公明、首相に靖国参拝自粛を要求 日中関係の改善促す
2005年05月26日07時08分
公明党は25日、中国の呉儀(ウー・イー)副首相の突然の帰国などで悪化した日
中関係の改善に向け、小泉首相に靖国神社参拝の自粛を党として求めることを決めた。
これまで神崎代表らが記者会見などで参拝中止を求める発言は繰り返していたが、首
相に前向きな反応がみられないため、首相側に働きかけを強める必要があると判断し
た。
首相は参拝の自粛に応じる姿勢は示していないが、国連安保理常任理事国入りなど
外交面での手詰まり感が強まるなか、連立与党の公明党から正式に自粛要求を受けた
ことで、あらためて首相の判断が焦点となる。
神崎代表は25日の記者会見で「事態を沈静化させるためには、小泉首相が靖国神
社参拝を自粛する、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯を分祀(ぶんし)
する、国立の追悼施設をつくる。この解決法しかないと思う」と語り、「首相が参拝
を自粛することが、この局面では一番重要だ」と強調した。これに対し首相は同夜、
記者団に「様々な意見がありますから、いいと思います」と語るにとどめた。
公明党のこうした考えは、自民党の武部勤幹事長とともに北京で胡錦涛(フー・チ
ンタオ)国家主席と会談した冬柴鉄三幹事長が、訪中報告の形で23日に首相に既に
伝えている。
公明党幹部によると、神崎代表らが日中関係の改善に向けた対策を協議した結果、
首相が靖国参拝を自粛するしか解決策はない、との結論に達したという。同党幹部の
一人は25日、「この局面の関係悪化は、すべて首相の衆院予算委での答弁が引き金
だ」とも語った。また、別の党関係者は、支持団体の創価学会を通じて首相側に理解
を求める方策も検討しているとしている。
公明党が方針を固めた背景には、党として最重要視している東京都議選の告示を来
月に控え、これ以上の日中関係の悪化に対して手をこまぬいている形になるのは得策
でないと判断したこともあるとみられる。
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こうなると、例年と違って、8月15日の敗戦記念日の前の議論は、早めざるを得な
い。
以下は、昨年の8月8日の算術計算である。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku850.html
http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/299.html
『亜空間通信』850号(2004/08/08)
【8/15は敗戦記念か終戦か政府首脳の靖国公式参拝の背後に控える薄汚い経済的基礎
の算術事始め】
[中略]
毎年、この時期になると、原爆忌、8/6・8/9で、「夏のお化け」のにわか平和主義者、
いやさ、不勉強な腰抜けの平和売人どもの組織の商売繁盛で、そこから本日から一週
間後の8/15に至り、敗戦記念か終戦か、いまだに非科学的で、実に幼稚な日本の近代
史に関する議論が始まるので、もう、うんざりする。
それらの議論の中でも、最も薄汚いのが、靖国の「英霊」云々である。首相、閣僚
の公式参拝是非論ともなれば、文字を見るだけで、反吐が出る。簡単に言えば、軍人
と民間人の死後にまで続く差別であり、その死体を担ぐ破落戸の詐欺商売なのである。
徴兵された平兵士ならまだしも、軍人の普通の意味の職業軍人は、人殺し稼業の戦
争犯罪人ではないか。そんな連中を、「英霊」などと奉るのは、実におこがましい。
しかも、この薄汚い風景の周辺には、お定まりの最も下品な暴力団がいる。
私は、千代田区のど真ん中、皿が一枚、二枚、三枚、「番町皿屋敷」で知られる江
戸時代の屋敷町、その二番町の元満鉄総裁邸をば、戦前の元・最も暴力的な内務官僚、
元警視庁特高課長の正力松太郎が、戦後になって政治的にせしめた敷地の日本テレビ
に、1961年から1988年まで、何と28年間も通ったから、すぐそばの靖国神社、その横
の九段坂の下の元・軍人会館、九段会館は、いわば、薄汚れた田舎の地元の見慣れた、
いや、見飽き果てた風景である。
当時も、靖国神社の境内には、あの不細工で、下品な、米軍式迷彩服を着た酔っぱ
らい、薄汚い、飽食のでぶでぶの右翼がたむろしていた。アメ公のケツ嘗めて、どこ
が民族主義だ、何が英霊だ、何で元軍人、特に殺し屋商売の専門の職業軍人、その遺
族などが、実際は暴力団でしかない右翼の下っ端の下品な大音量の街頭宣伝車なんぞ
に、ゆすりたかり商売を許す宗教法人と称する悪徳商売に、ネタを提供しているのか、
実に不愉快であった。
今もなお、不愉快である。今年は特に不愉快である。またぞろ、職権乱用も甚だし
い「公式参拝」を強行するに違いない「現」首相には、婦女暴行逮捕歴があり、私は、
この犯罪的な糞餓鬼を、高裁への控訴、新しい訴訟の2件で訴え続けているのである。
偉っそうな表現の「公式参拝」とは、何のことはない、旧軍人・軍属と遺族の会の
経済的な要望に応える乞食根性の政治活動でしかない。
旧軍人・軍属と遺族の会そのものの経済的基礎は、旧軍人・軍属・軍属とその遺族
の恩給である。遺族には戦死者の遺族もある。
わが個人的立場は、父系の祖父以来、恩給とはまったく縁のない民間人である。母
系にも直系では軍人はいない。
わが亡父は、セメント会社の技術者で、徴兵はされず、その代わりに、北京郊外の
北支那開発公社の工場に出向になった。一家も北京に引っ越した。敗戦後、引き揚げ
る時には、わが一家は、手で持てる荷物だけしか持ち帰れなかった。いわば「着の身、
着のまま」、九州の佐世保港に着いた時に、引き上げの途中の収容所で生まれた赤ん
坊も含めて、一人に新円の千円札1枚が支給されただけである。公社は国策会社だが、
公務員でも軍属でもなかった。だから、恩給には、まったく縁がないのである。
日本国には膨大な貸しがあるだけで、何の恩義もない。私自身は、防衛大学校に半
年だけ行って、「税金泥棒」してきたが、一応は準公務員として「勤務」したことに
なっているから、何の遠慮もする必要はない。しかも、その経験の実感は、ちゃんと
生かして、自衛隊の憲法違反、安保条約反対の運動で、一般国民に、「恩返し」して
いる。
「靖国の英霊」は、いわゆる「右」の御輿だが、この「右」の経済的基礎は、旧軍人・
軍属と遺族の恩給である。財源は税金である。しかも、旧軍人の大多数は、降伏が決
まったポツダム宣言の受託後に、急遽、2階級特進したりして、恩給の計算の基礎額
を増やしたのである。
職業軍人の場合には、本来ならば、むしろ、その商売の売り込みの失敗、敗戦の責
任で、一般国民から賠償請求されるべき立場、応じなければ詐欺罪の犯罪者である。
身ぐるみ剥いで、重労働の刑に処しても、しかるべきところである。
わが家は、税金を納める、いやさ、ふんだくられる立場であり続けた。わが実に乏し
き年金は、基本的には、自分が、または雇用主が、積み立てた財源から支給されるも
のである。
一部の日本人が、軍人・軍属になったのは、戦前から戦争中の偶々の事情によるだ
けで、戦後も最早、来年で60年にもなろうとするのに、何で相も変わらず、民間人が、
経済的な差別を我慢し続けなければならないのか。納得できるわけはないから、今年
はついに、実情調査の開始に踏み切った。
軍人・軍属の恩給の電網検索結果は、実にややこしくて、まるで分からないので、
総務省恩給局に電話で聞くと、返事は非常に遅かった。
やっとのことで聞き出したのだが、現在、旧軍人・軍属の本人または遺族、124万3
千人が、1年の総額で、1兆と232億円を、受け取っている。票田としても巨大である。
1人当たりの平均額は、1年で82万3千円余、月額で6万8千6百円になる。比較のため
に電網検索すると、「現在の国民年金の平均受給額は4万6000円」と出た。
これだけでも、旧軍人・軍属の本人または遺族が受け取る恩給は、国民年金よりも
平均して5割程度多い、ほぼ150パーセントである。普通の表現では、5割増しである。
戦死者の遺族は、恩給局ではなくて、厚生労働省の管轄で、約3万人が、560億円、
年平均で86万6千7百円、月額で7万2千2百円余である。「民年金の平均受給額」の157
パーセントである。5割増し以上である。
他の年金と重複支給されているとも聞いたので、これまた、実にややこしい電網検
索結果を、以下の部分だけ紹介する。
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http://www.soumu.go.jp/jinji/onkyu_qa.htm#q1
Q21 恩給と年金は両方もらえますか?
(A)
恩給はもともと公務員(旧軍人を含む)(資料1)とその遺族を対象にし
て発足した国家補償の性格を有する年金制度でしたが、戦後は公務員の年金制度の改
革に伴い、国鉄・専売・電電の三公社の職員を対象にした公共企業体職員等共済組合、
国家公務員を対象にした国家公務員共済組合、地方公務員を対象にした地方公務員等
共済組合の3つの共済組合制度に順次移行しました(資料2)。
このように恩給制度と共済組合制度は、その対象範囲は必ずしも一致しないものの、
基本的にはどちらも公務員を対象にした年金制度であることから、恩給制度を引き継
いだ共済年金を決定する際に不利益を生じないように恩給期間と共済組合期間は原則
として通算することになっています。
次に、恩給と共済組合制度以外の公的年金制度との関係を見てみますと、恩給は公
務員を対象にしているのに対して、厚生年金は民間会社に雇用されている人、また国
民年金は自営業者の人を主に対象にしており、その対象者を異にしています。このよ
うに恩給と厚生年金・国民年金とは、基本的な枠組みが相違しており、まったく別個
の制度として発足したことから、恩給期間と厚生年金期間(または国民年金期間)が
通算されることはありません。
このような観点から、恩給受給者が他の公的年金(国民年金、厚生年金、共済年金)
も受けられる場合、その両方を受給できるかどうかは、基本的には次のように考える
ことができます。
(1)厚生年金(又は国民年金)も受けられる場合
上記のとおり恩給期間と厚生年金期間(又は国民年金期間)とは通算されませんの
で、恩給を受給している方が民間会社を退職して老齢厚生年金を受給したり、あるい
は自営業者の方が国民年金を受給することになっても、恩給は打ち切られることなく
引き続き支給されます(資料3(PDF))。
また、私立学校共済組合年金の場合も同じ扱いで併給されます。
(2)共済年金(国家公務員または地方公務員)も受けられる場合
この場合は、原則として恩給期間を有している方が共済組合制度施行後に公務員を
退職した場合、恩給期間は共済組合期間に通算され、共済組合から年金が支給される
ことになります。したがって恩給は支給されません。ただし、共済組合制度施行前に、
既に恩給を受給しているような場合は、例外的に恩給と共済年金を併給されることも
あります(資料4(PDF))。
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こりゃあ、しがみつくのは当然である。欲と道連れ、婦女暴行逮捕歴があろうとな
かろうと、「公式参拝」する奴なら、首相にして置くことになる。
これ以上は、私一人では、疲れてしまうから、広く情報を公開して、あと一週間、
8/15までの間、大方の議論、追跡調査に委ねる。
「靖国神社」とか「英霊」とかは、私にとっては、最も忌まわしい差別と、それを維
持する暴力の象徴でしかないのである。
以上。
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