あなたは04.7.6より人目のお客さまです。
鳥居祐一(ゆういち)による独断と偏見により事件、できごとを振返ります。
1931.9.18 満州事変
1933.3.27 日本が国際連盟脱退
1937.7.7 日中戦争始まる 。
盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋で起きた発砲事件。日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった。この事件をきっかけに、日本軍と国民党政府は戦争状態に突入、その後戦線を拡大していった。
1939.9.1 ドイツがポーランドへ侵攻。第2次大戦始まる。
1940.9.27 日独伊三国同盟調印。
1941.4.13 日ソ中立条約調印
1941.10.18 東條英機内閣成立
1941.12.8 日本軍が真珠湾奇襲。 太平洋戦争始まる。
1941.12.19 言論出版集会結社等臨時取締法公布
1942.6.5 日本軍がミッドウェー海戦で大敗
1943.2初旬 日本軍がガダルカナル島撤退
1943.5.29 アッツ島で日本軍守備隊全滅
1944.7.7 サイパン島で日本軍守備隊全滅
1944.7.22 小磯国昭内閣成立
1945.2.4 ヤルタ会談
1945.3.9-10 東京大空襲
1945.3.17 硫黄島で日本軍守備隊全滅
1945.4.7 戦艦「大和」沈没。鈴木貫太郎内閣成立
1945.5.7 ドイツが無条件降伏
1945.6.23 沖縄戦で日本軍全滅
1945.7.26 ポツダム宣言
1945.8.6 広島に原爆投下
1945.8.8 ソ連が対日参戦
1945.8.9 長崎に原爆投下
1945.8.10 ポツダム宣言受諾を決定
1945.8.15 昭和天皇、戦争終結の詔書を放送(玉音放送)
1945.8.28 連合国軍総司令部(GHQ)、日本進駐開始
1945.9.2 米艦ミズーリ号で降伏文書調
1945.10.10 政治犯の釈放
1945.10.25 憲法問題調査委員会設置。委員長に松本烝治国務相
1946.1.1 昭和天皇が「人間宣言」
1946.2.3 マッカーサー、「憲法改正の3原則」をGHQ民生局に命じる
1946.2.13 GHQ、憲法改正のGHQ案を日本政府に手渡す
1946.2.19 幣原喜重郎首相、GHQ案を閣議に初めて報告
1946.5.22 吉田茂内閣
1946.10.7 憲法改正案、国会で成立
1947.5.3 日本国憲法施行
1947.8.15 パキスタン、インド独立
1948.1.26 帝銀事件
1948.4.1 ドイツ、ベルリン封鎖
1948.5.14 イスラエルの独立
1948.8.15 南北朝鮮の分裂
1948.11.12 極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯25人に判決
1949.7.6 下山事件
1949.7.15 三鷹事件
1949.8.17 松川事件
1949.10.1 中華人民共和国の成立
1950.6.25 朝鮮戦争
1950.8.10 警察予備隊令公布
1951.9.8 対日講和条約 (サンフランシスコ条約)と日米安全保障条約に調印
1952.1.21 白鳥事件
1952.2.19 青梅事件
1952.5.1 メーデー事件
1952.7.7 大須事件
1952.10.15 警察予備隊を保安隊に改組
1953.3.5 ソ連、スターリンの死
1954.3.1 ビキニ水爆実験で第五福竜丸が被ばく
1954.6.9 防衛庁設置法・自衛隊法公布
1954.7.1 「戦力なき軍隊」自衛隊の発足
1954.12.10 鳩山一郎内閣
1955.5.8 砂川闘争
1956.7.17 経済白書「もはや戦後ではない」
1956.10.19 日本・ソ連、共同宣言
1956.10.23 ハンガリー動乱
1956.12.18 国連が日本加盟可決
1957.2.25 岸信介内閣
1957.8.12 朝日訴訟
1958.1.1 EECの発足
1958.3.9 関門国道開通
1959.1.1 キューバ、カストロ革命
1959.3.30 「砂川事件」で東京地裁が「日米安保条約は違憲」と判断
(最高裁は12月、「駐留米軍は違憲ではない」と一審判決を破棄、差し戻し)
1959.9.26 伊勢湾台風
1960.5.19 安保闘争
1960.5.20 新安保条約を自民単独で強行採決
1960.6.23 日米安全保障条約
1960.7.15 岸内閣の崩壊
1960.7.19 池田勇人内閣
1960.10.12 浅沼社会党委員長刺殺事件
1961.5.11 ベトナム戦争
1961.6.3 ケネディ・フルシチョフ会談
1962 植民地時代の請求権問題で日韓合意
1962.10.22 キューバ危機
1963 朴正熙大統領就任
1963.3.31 吉展ちゃん誘拐事件
1963.5.1 狭山女子高生殺人事件
1963.11.22 ケネディ大統領暗殺事件
1963.12.8 力道山刺殺事件
1964.10.1 東海道新幹線開通
1964.10.10 東京オリンピック
1964.10.25 池田首相、がんに倒れる
1964.11.9 佐藤栄作内閣成立
1965 日韓基本条約成立 国交正常化
1965.2.7 米国が北ベトナム爆撃開始
1965.2.10 防衛庁の極秘文書(三矢研究)が表面化
1965.11.10 中国、文化大革命
1966 黒い霧
1967.6.5 中東「6日戦争」
1967.12.11 佐藤栄作首相が「非核三原則」表明
1968.4.4 キング牧師暗殺事件
1968.6.5 ロバート・ケネディ暗殺事件
1968 GNP世界第2位
1969 世相 中流意識の広がりと消費ブーム
1969.1.19 東大安田講堂陥落
1969.4月 新東京国際空港の着工と完成
1969.9.1 リビア革命とカダフィの台頭
1970.3.31 新日本製鉄誕生
1970.3.31 「よど号」ハイジャック事件
1971.8.15 ニクソン・ショック
1971.12.18 ワシントンのスミソニアン博物館にて円は1ドル308円に切り上げられた。
1972年【ザ・20世紀】
1972.2.3 札幌冬季オリンピック
1972.2.28 あさま山荘事件
1972.3.7 連合赤軍リンチ殺人事件
1972.5.15 沖縄返還
1972.6.17 ウォーターゲート事件
1972.7.7 田中角栄内閣
1972.9.29 田中角栄内閣の下で日中共同声明に調印。国交正常化
1973.8.8 金大中事件
1973.9.7 長沼ナイキ基地訴訟で札幌地裁が初の「自衛隊違憲」判決
1973.10.6 第4次中東戦争、第1次石油危機勃発
1974.8.30 連続企業爆破事件
1974.12.9 三木武夫内閣
1975.8.15 三木武夫首相が靖国神社参拝
1976.1.8 周恩来死去
1976.2.4 ロッキード事件
1976.8.31 国鉄経営の破産
1976.9.9 毛沢東死去
1976.10.29 三木武夫内閣、防衛費をGNPの1%以内にすると決定
1976.11.2 カーター大統領の登場
1976.12.4 福田赳夫内閣
1978.12.7 大平正芳内閣
1979 朴正熙大統領暗殺される
1979.1.16 イラン革命
1979.5.4 「鉄の女」サッチャー
1979.12.27 ソ連、アフガン紛争
1980 光州事件
1980.6.22 大平首相の急死と自民党の圧勝
1980.7.17 鈴木善幸内閣
1980.7.19 モスクワオリンピック
1980.9.22 イラン・イラク戦争
1981.1.20 レーガン登場
1981.3.2 中国残留日本人孤児が初来日
1982.2.8 ホテル・ニュージャパン火災事故
1982.11.27 中曽根康弘内閣
1983 中曽根康弘首相が初の公式訪韓
1983.1.18 訪米中の中曽根康弘首相が「日本列島不沈空母」発言
1983.6.6 国債残高100兆円突破
1985.3.11 ゴルバチョフの登場
1987.7.17 石原裕次郎、死去 52歳
1987.11.6 竹下登内閣
1988 ソウルオリンピック開催
1988.3.13 青函トンネル開通
1988.4.8 瀬戸大橋開通
1988.9.8 リクルート事件
1988.9.17 ソウルオリンピック
1989.4.1 消費税スタート
1989.6.1 天安門事件
1989.6.3 宇野宗佑内閣
1989.6.4 ホメイニ死去
1989.6.24 美空ひばり死去 享年52歳
1989.8.9 海部俊樹内閣
1989.11.9 ベルリンの壁崩壊
1989.12.22 ルーマニア、チャウシェスク政権の崩壊
1990.7.28 フジモリ大統領誕生
1990.8.2 湾岸戦争。イラク、クウェートに武力侵攻
1990.9.30 韓国・ソ連、国交樹立
1990.10.3 統一ドイツ、誕生
1991.1.17 多国籍軍がイラク攻撃開始
1991.4.24 ペルシャ湾への海上自衛隊掃海艇派遣を決定
1991.11.5 宮沢喜一内閣
1991.12.31 ソ連崩壊
1991.4.24 自衛隊のペルシャ湾への掃海艇派遣を閣議決定(初の自衛隊海外派遣)
1992.6.15 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立
1992.9.17 カンボジアPKOに自衛隊派遣
1993.1.20 クリントン大統領
1993.2.25 金泳三大統領
1993.7.18 細川連立内閣
1994 細川護熙首相が北京の市場を見学
1994.1.17 ロサンゼルス大地震
1994.4.28 羽田内閣
1994.6.21 円、1ドル100円突破
1994.6.27 松本サリン事件
1994.6.30 村山富市内閣
1994.7.20 自社さ連立政権のもと、村山富市首相が「自衛隊合憲」を明言
1994.12.10 新進党
1995.1.17 阪神・淡路大震災
1995.3.20 地下鉄サリン(オウム)事件
1995.4.9 無党派ブーム、青島ショック
1995.12.19 住専問題
1996.1.11 橋本竜太郎内閣
1996.4.17 橋本龍太郎首相、米クリントン大統領が極東有事に対し日米安保体制の広域化の安保共同宣言
1996.10.20 小選挙区比例代表制(第41回総選挙)
1996.12.17 ペルー日本大使公邸占拠事件
1997年【ザ・20世紀】
1997.1.1 松田聖子離婚
1997.7.1 香港、中国に返還
1997.8.31 ダイアナ妃交通事故死
1997.9.23 日米政府、有事を想定した日米防衛指針(新ガイドライン)決定
1997.11.17 北海道拓殖銀行、経営破綻
1997.11.24 山一證券、100年目の自主廃業
1998 金大中大統領就任
1998.2.7 長野冬季オリンピック
1998.7.30 小渕恵三内閣
1998.8.17 クリントン不倫疑惑
1999.3.27 ルノー日産の誕生
1999.4.23 石原慎太郎都知事誕生
1999.5.24 周辺事態法等新ガイドライン3法成立、日米安保体制新段階へ
1999.8.16 韓国、大宇財閥解散
1999.9.28 長銀譲渡、アメリカリップルウッドに
1999.12.10 神奈川県警不祥事
1999.12.27 横山ノック知事、セクハラで辞任
1999.12.31 エリツィン大統領辞任
1999.12.31 アメリカ、パナマ運河返還
2000.1.20 衆参両院に憲法調査会発足
2000.4.1 介護保険制度スタート
2000.4.5 森喜朗内閣
2000.6.13 南北朝鮮首脳会談
2000.7.12 そごう倒産
2001.1.25 外務省機密費流用事件
2001.2.19 シーガイア倒産、第三セクター最大の倒産
2001.4.26 小泉純一郎内閣
9.11 ニューヨークのテロ
14 マイカル民事再生法申請。負債1兆7428億円。昨年7月に倒産した。百貨店そごうグループ (1兆8700億円)に次ぐ規模となった。
27 伊良湖ビューホテルなど「ビューホテル」のブランド名で全国展開している日本ビューホテルが26日、東京地 裁に民事再生法の適用を申請し、倒産した。同社によると、負債総額は約800億円。同社は、1880年に創 業。資本金17億5千万円。68年に伊良湖ビューホテルを完成させた。
10.7 米軍がアフガニスタン攻撃開始
29 自衛隊の米軍後方支援を可能にするテロ対策特別措置法成立
11.13 カブール陥落
25 自衛艦がインド洋などへ出航
2002年
1.29 ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し
12.16 イージス艦がインド洋へ出航
2003年
日本政府のイラク戦争を支持した理由に「サダム・フセインが国連査察を受け入れなかったので悪い」と国民を偽情報で欺き続いているが真実はどうだったのか考えてみよう。
2003年1月6日には、エルバラダイIAEA事務局長が「イラクが核兵器を保有している証拠はない」と国連に報告している。
さらに2003年1月9日には、ブリクス国連査察委員長が「イラクが大量破壊兵器を保有している決定的な証拠はないが国連査察を継続するべきだ」と国連で中間報告を発表している。
2003年1月29日には、国連安保理がイラク査察の継続を発表。
2003年2月14日には、フセイン大統領が大量破壊兵器の製造と輸入を禁じる大統領令を出す。
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/appendix/003.html
また同じ日には、日本の川口外務大臣は、アメリカのイラク攻撃新国連決議に賛成するように非常任理事国への説得を開始(アメリカのイラク戦争に国家をあげて加担する)
2003年2月18日には、外務省の原口国連大使が国連査察報告書を非難し、米英のイラク攻撃新国連決議に賛成するようにと国連で演説(イラク国連査察を闇に葬った日本政府)
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/appendix/004.html
2003年2月24日には、米英スペインがイラク攻撃容認新国連決議を提出(日本政府は支持)
サブリ外相が日本の態度は、不正義であると非難。
2003年3月1日には、イラク国連査察団が4基の短距離ミサイルを廃棄する。
2003年3月3日、ミサイル6基と弾頭2個を廃棄、ミサイル燃料用の鋳造薬室の1つは破壊完了。
2003年3月7日、国連安保理公式協議でUNMOVICとIAEAの査察追加報告、ブリクス委員長、
ミサイル廃棄等、査察成果とイラクの協力を評価しつつ、査察活動継続の必要性を強調
米英西、3月17日を完全協力の期限とする修正案を安保理に提出、仏は反対の意向表明
フライシャー米報道官、新決議不採択なら国連の枠外で単独攻撃する方針を明言
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/appendix/007.html
2003年3月10日には、アナン事務総長、安保理承認ない攻撃は国際法への侮辱であり、国連憲章に合致しないと警告。
ショート国際開発相ら英労働党閣僚、決議無しに攻撃に参加すれば辞任する意向を表明
小泉首相と川口外相、安保理諸国に電話「国際社会の分断はイラクを利する」と米国支持要請
イラク国連監視下で更にミサイル6基、弾頭3個を廃棄
2003年3月11日には、安保理「中間派」6カ国、最終期限を30~45日延長する妥協案提出、米国は拒否
米空軍、デイジーカッターを上回る破壊力の「全爆弾の母」(MOB)の初実験成功、統合参謀本部議長はイラクに対して「あらゆる兵器が使用される可能性ある」と発表
2003年3月14日には、米政府、99年からの対パキスタン経済制裁を解除すると発表
2003年3月17日、ブッシュ大統領、全米向けTV演説で最後通告
フセイン大統領と息子に48時間以内の亡命要求、拒否すれば開戦を宣言
英、フランスのために安保理合意不可能とし、新決議の採択求めない意向表明
小泉首相、過去の国連決議で攻撃可能と、国会審議も閣議もへず、米英単独の攻撃支持を表明
クック英国枢密院議長兼下院院内総務(前外相)、安保理決議なしの攻撃に抗議し辞任
2003年3月19日、戦争犯罪人ブッシュがイラク侵略を開始。
イラク侵略への過程を調べる限り日本政府が言う「サダム・フセインが国連査察を受け入れない」という主張は一切認められない。
2003年2月18日には、原口国連大使(高級官僚)が国連査察を疑問視する演説まで行っている。
そればかりか日本政府がイラク攻撃に加担した証拠がぞろぞろ出てくる。
真実として国連を軽視しているのは日本政府の方だったのだ。
2.18 日本、国連でイラク問題について米英支持の立場を鮮明に
3.18 首相が武力行使への支持を表明
20 米英軍がイラク攻撃開始
4.9 イラク・フセイン体制崩壊
5.23 日米首脳会談
6.6 有事法制関連3法成立
6.13 イラク特措法案を国会提出
7.26 イラク特措法成立
12.9 自衛隊イラク派遣の基本計画決定
2004.2.3 陸上自衛隊本隊をイラクに派遣
2004.7.11 参議院選挙 民主躍進 自民目標51割れの49
7.23 中日新聞朝刊より自殺者最悪3万4427人に 昨年1年間
2005.1.19
大阪市内の繁華街でビジネスホテル「ホテル関西」を経営するホテル関西(大阪市、鈴木一弘社長)と関連会社の関西エコノミー(同、同)が大阪地裁に民事再生法の適用を申請し、保全命令を受けたことが19日、わかった。負債総額は計120億円。ホテル関西は1969年の設立。ホテルの新改築で借入金が増える一方で利用客が減少、経営が悪化していた。 (16:17)
05.1.26
05.4.5 奥西死刑囚の再審決定
名張毒ぶどう酒事件で名古屋高裁
05.8.8 衆議院解散
05.9.11 衆議院選挙
05.9.19 後藤田正晴氏が死去 副総理や官房長官を歴任(91歳) ダイエー創業者、中内さんが死去(83歳)
9.27 | 被爆者手当で韓国人勝訴、福岡高裁判決 |
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9.30
05.10.18
06.7.2
任期満了(19日)による滋賀県知事選挙は2日、投開票され、無所属新人の京都精華大教授嘉田由紀子氏(56)=社民支持=が、いずれも無所属で現職の国松善次氏(68)=自民、民主、公明推薦=と、新人で県労連議長の辻義則氏(59)=共産推薦=を破って、初当選した。投票率は過去最低だった2002年の38・67%を、6・27ポイント上回る44・94%だった。
女性知事の誕生は大阪府、熊本県、千葉県、北海道に続く全国で5人目、中部9県では初めて。
これで自民・公明・民主などに大きな影響を与えるだろう。特に社民は素晴らしかった
2006.7.17 陸上自衛隊、イラクからの撤退完了
2006年Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/2006%E5%B9%B4