お待ちしていました。鳥居祐一(ゆういち)の庭・昨年から読んだ書物、書斎兼仕事場です。気軽にオフ会などの交流いつでも歓迎します。下記の方法、電話・FAX・MAIL、すべて歓迎します


玄関




東山魁夷の
リトグラフ「秋翳」

5.21に行った
とうえい温泉

伊東深水の
リトグラフ
上記の所で未来について語り合いませんか。片道70キロのとうえい温泉から歩いて5分の富士見公園の展望台から富士山も見えます。 家の中には光ファイバーに繋がっているBSデジタル、地上デジタルも見ることができるNECのVALUESTARもあります。
田中角栄首相論文「日本の新しい道」

 (最新見直し2006.4.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 この「田中角栄首相の日本の新しい道」論文ほど角栄のらしさを表わしているものはない。中曽根式「米国の傘の下での不沈空母」的観点は微塵もない。内治をしっかりやり、平和創造の為にも国際協調と援助にも取り組むという観点に基づく総論が網羅されている。今日的格差社会に陥る愚を戒め、地方を切り捨てる政治を戒め、都市と農村の共存を詠っている。これことが本来の日本であるべきではなかったか。今にして思う。しかし今からでも遅くない気づけば。

 2007.5.7日 れんだいこ拝


【1973.9月、新しい日本への道】
 データベース『世界と日本』」(東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室 )所収の左枠「国会外の演説・文書 総理大臣」の該当箇所より転載する。「1974年版ブリタニカ・イヤー・ブックに掲載された田中内閣総理大臣の論文」とのことである。

 序

 私たち日本人は、三十年前、第二次大戦の不幸な体験を通じて、力をもってすることの限界を全身で知った。そして、世界に例のない平和憲法をもち、国際紛争を武力で解決しない方針を定め、非核三原則を堅持し、平和国家として生きてきた。この間、世界では、局地的な国際紛争が繰返されてきたものの、基本的には、戦後を支配した東西の冷戦構造は、くずれ、多極化と平和共存の時代に入った。人類の英知は、明らかに、力による対決の不毛を悟りつつある。

 いま、世界ががかえている重要な問題、あるいは人類社会に生起しつつある新しい危機−−地球的規模での汚染の進行、資源・エネルギー源の枯渇化、食糧不足、インフレーション、南北問題など−−はいずれも力をもって解決することが不可能であり、また、そうしてはならないものである。

 ある意味では、戦後の“驚異的な”経済成長をつうじてせまい国土に短期間のうちに高度工業社会を築きあげた日本には、人類社会が直面する矛盾の多くが濃縮され、尖鋭的に現われているとみることができる。都市、公害、世代間の断絶、教育の混迷など先進社会共通の悩みも、狭小な住宅、社会資本の不足、社会保障の立遅れなど、後進社会にありがちな問題も混在している。都市と農村とのさまざまな格差は、国内における南北問題ともいえよう。

 しかし同時に日本は、高い成長をつうじて、内在するこれらの問題を克服するだけのゆたかな可能性を蓄えてきた。しかも、もともと日本列島の自然は、潤いと変化に富んでいる。日本人は、明治維新から一世紀、高度に発達した西洋の産業文明を吸収し自己のものとして消化する一方、先祖から受け継いだデリケートで暖かな伝統的文化を保ってきた。一億をこえる明るく、勤勉で、感受性に富む日本人がいま、なすべきことは、民族の英知を結集して、直面する試練を乗りこえ、人間復権の新しい文明社会を創造することである。

 
わが国の進路を一言にしていえば「平和」と「福祉」につきよう。外にたいしては、戦後四半世紀を一貫してきた平和国家の生き方を堅持すると同時に、すすんで世界の人々と繁栄をわかちあい、それをつうじて国際社会の協調と融和に貢けんしていくことである。内については、自然と文化と産業か融和した地域社会を全国土におし広め、すべての人が、安らぎのなかでいきいきと働き、住み、楽しむことができるようにすることである。このような国民のための福祉は、短期的な安堵感に立脚したものではなく、過去から末来にまたがる歴史的展望の上に立ったものでなければならず、人間本来の姿である精進と勤勉に支えられた永続性のあるものでなければならない。

 こうした内外両面からの要請に応えるための壮大なプロジェクトこそ、私の提唱してやまない日本列島の改造なのである。これは、人数の理想実現への野心的な挑戦であり、雄大な平和計画でもある。この成果をつうじて、日本は、二十一世紀に向かう人類社会の前進に、先駆的な役割を果たすことが可能となり、国際社会における名誉ある地位を占めるための礎石を据えることかできるに違いない。私は、これこそが新しい日本への道であると信じて疑わない。

 第一章 真の豊かさを目指して

 (一)

 一九四五年、第二次大戦に敗れた日本は、見渡す限りの廃墟のなかから立ち上がった。国土面積の四四%が失われ、四つの島には、復員軍人や海外からの引揚者をふくむ膨大な失業者が溢れ、鉱工業生産は、戦前(一九三五〜三七)のわずか六分の一の水準にまで落ち込んでいた。飢餓と窮乏からの脱出、理窟抜きの課題であった。ボロをまとい空腹をかかえ、その日暮らしの生活に耐えながら経済の復興に取り組む人々の姿を私はいまも忘れることができない。

 国民の生活水準が、戦前の段階に回復するまで、およそ十年の歳月を要した。一九五六年度の経済白書は「もはや戦後ではない」と、日本経済が復興期を終え新しい発展期にさしかかったことを指摘した。事実、そのころからわが国経済に高度成長時代の幕が開けつつあった。石油、石油化学、鉄鋼、自動車、家庭電器など次々と主導産業が登場、重化学工業が飛躍的発展をとげることになる。

 一九六〇年、政府は、国民の厚い支持を得て十年後を達成時期とする「国民所得倍増計画」を掲げた。その刺激を受けてわが国の経済は一層、成長のスピードを早めた。投資が投資を呼ぶ拡大循環のもとで、慢性的失業は解消し、労働需給は様変りに逼迫した。勤労所得は恒常的に上昇するようになり、テレビや自動車が飛ぶように売れ出した。

 東京オリンピック大会が開かれたのは一九六四年である。この年、わが国はIMF八条国となり、また資本取引の自由化を原則とするOECDへ加盟が認められた。日本は開放経済体制のもとで国際経済の荒波へ乗り出すことになったのである。

 産業の国際競争力は強化され、六八年以降の国際収支は黒字基調が定着、国際収支の天井は取り除かれた。

 このようにして、わが国は、復興経済−−高度成長経済−−国際経済の三段飛びをなしとげた。これは、教育水準の高い豊富な労働力、高い貯蓄率、積極的な技術導入による急速な技術進歩などによって支えられ、また、国民の勤勉さとすぐれた適応能力、旺盛な企業家精神によって実現された。一九五五年から七〇年までのわが国経済の実質成長率は一〇・四%に達し、この間に、日本経済の規模(GNP)は四・四倍に拡大し、アメリカに次ぐ自由世界第二位の水準となった。国民一人当たりの所得もほぼ欧州なみの水準に到達した。欧米先進国にキャッチ・アップするという国民的熱望は、ようやく達成されようとしている。

 (二)

 私たちは、これまで成長の延長線上にめざす果実があるものと信じ、一日も早くそれに到達しようと努めてきた。だが、いまや内外の情勢は大きく変わった。巨大な規模となった日本の経済社会の行手には、環境や資源の壁がたちはだかり、また、社会資本ストックの不足、社会保障の立遅れなどの問題も強く意識されてきた。

 また、わが国では、いま、脱工業化社会(情報化社会)への志向のなかで、豊かさの質が急速に変化しつつある。これまでの企業の豊かさから個人の豊かさへ、フローの豊かさからストックの豊かさへ、そして単なる経済的、物質的豊かさから心の豊かさ、ないしは時間の豊かさへと人々が求める豊かさの内容が変わってきている。人々の欲求は多様化し、高度化しつつある。

 従来、日本人の特性ともみられていた企業中心の生活意識も最近では後退しつつある。生産第一主義の時代においては、個人が勤務先の企業で全力を尽して{前3文字ママ}働けば、企業は成長し、国富が増強され、ひるがえって、個人生活や個人の社会的地位が向上するという価値観が一般にいきわたっていた。

 しかし、所得水準が高まった現在、自然環境や生活環境が、新しい尺度で見直され人々は、勤労とならんで文化、スポーツなど社会生活のいろいろな分野に積極的に参加し、その場をつうじて自己実現を求めるようになっている。人々は、自らの、より高い生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を追求するようになってきた。そのための自由時間の増大は社会的な要請である。

 こうした情勢に対処するためには、思い切った発想の転換が必要である。震動や衝撃に対する対症療法的な手段だけを講じても、かえって矛盾を深めるばかりである。長期的展望に立って生産力増強・輸出優先から、生活優先・福祉充実へと政策の重点を切替えなければならない。勤労者の立場から産業活動のありかたを見直すとともに、潤いのある生活空間と多彩な余暇空間を積極的に創造することが、内政の最大目標とされるべきである。働く人々の豊かな老後と不幸にして病いに倒れた場合の医療などを十分に保障することも、もちろん、新しい福祉社会の必須の条件である。

 ところで、私たちのめざす福祉社会は、活力にみちたものでなければならない。それは個々の人間が自由な選択をつうじて自らのもつポテンシャルを十分に発揮していける人間尊重社会である。だが、そのことは、決して、利己的で断絶的な社会の形成を意味するものではない。権利はつねに義務を、選択はつねに責任をともなう。他人に対する暖かな配慮が、自田と民主主義のうえに立つ真に人間尊重社会を支える基本である。

 (三)

 この場合、強調しておきたいのは、経済社会の直面している問題の多くは、国土の利用構造と切離して論じることが、不可能たということである。

 集積の利益を求める近代産業は、都市に集まり、高い所得と便利な暮らしをのぞむ人々がそれを追って都市に流入する。集中が集中を呼び、競争が経済発展のエネルギーを生み出す。世界各国の近世経済史は、一次産業人口の二、三次産業への流出、つまり農村から都市への産業や人口の集中をつうじて経済が発展してきたことを示している。日本もその例外ではない。国勢調査によると、一九五〇年に、三千百二十万人だったわが国の都市人口は、七〇年には七千四百八十五万(総人口の七二%)にふくれあがった。都市人口が二十年間に四千万人以上も増加した勘定だ。

 太平洋ベルト地帯、とくに東京、大阪、名古屋の三大都市圏には、産業人口の集中がいちじるしい。三大都市圏の人口は一九六〇年から七〇年までに一千六十二万人ふえ、四千五百五十八万人(総人口の四三・九%)に達した。また、三大都市圏の工業出荷額は全国の六〇・五%(七〇年)を占めている。

 日本の国土面積は三十七万平方キロメートルで、アメリカのカリフォルニア州一州よりもやや狭い。その国土のわずか一%の地域に十年間でスエーデンの総人口を上回る人口の増加が起こり、フランスの総人口をやや下回る数の人間が集中するに至ったのである。しかもその地域ではイギリスと同じ程度の規模の物的生産か行われている。この結果、巨大都市は、過密のルツボで病み、あえぎ、いらだち、公害、土地、住宅、ごみ問題、水不足、物価などの問題が激発する半面、農村では、若者が減って高年齢化が進み、成長のエネルギーを失おうとしている。しかも、農村から一世帯が都市にでることにより、その労働価値に数倍する公共投資を必要とし、社会保障費も増大する。

 明治百年をひとつのフシ目として、都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットへ変わった。いまや、都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力を日本列島の全域に向けて展開すべきである。それによって、過密と過疎を同時に解消し、地方も大都市も、ともに人間らしい生活が送れる状態につくりかえることこそ、新しい福祉社会建設の大道である。高齢化社会の到来をひかえて、わが国が力をいれなければならない老人対策や医療対策、さらに明日を担う青少年の教育問題なども国土空間の再編成をぬきにしては、真の成果をあげることはできないといっても過言ではない。

 第二章 世界と繁栄をともに

 (一)

 「宇宙船・地球号」の乗組員である人類は、自らの生存についての問題意識を互いにわかちあい、新しい連帯感に立ったすそ野の広い協力・協調関係を打ちたてることが必要である。地球的規模での環境汚染の拡大、エネルギー資源の枯渇化の懸念など人類社会に生起しつつある重要な問題は、いずれも「自分さえよければ……」という利己的な態度では、決して解決できないからである。

 環境問題を克服するためには、大気や水が世界の共有物であり、それを汚すことは人類の危機につながるという認識が必要である。また、急速に政治性を帯びてきた資源問題が平和への脅威となることを食い止めるためには、地球上の資源が全人額のためにあることを全世界が認識し、狭いナショナリズムにとらわれず、エゴイズムに走らず、資源の効率的活用と公平な分配を目指して協力し協調してゆかなければならない。もとより、全人類の連帯意識は、一朝一夕には生まれるものではないか、いま、大切なのはそのためのあらゆる努力である。

 幸いにも、第二次大戦後、四半世紀の歳月を経た現在、国際政治は、力による対立の時代を経て協調と交流の段階へと移行した。このなかにあって、大きな経済力をもつにいたったわが国は、平和の享受者たるにとどまることなく、新しい平和の創造と世界経済秩序の再建にすすんで参画し、その責務を果たすことを要請されている。最近の国際通貨、資源、南北問題にみられるように、国際経済秩序は、いま苦痛にみちた再編成の途上にある。日本は、アメリカ、ヨーロッパなどと協力して、平和と国際協調をつくりだす新秩序の形成のために積極的に行動しなければならない。

 日本と各国との間で、かりに部分的な利害の対立があるとしても、国際経済社会の発展と平和に寄与することを、互いに基本目的としている限り問題は話合いで必ず解決できる。大切なのは、そうした率直な話合いができるような全体的なふん囲気を各国との間につねに保ちつづけ、話し合いの結果を、臨機応変に実行に移せるような弾力的で奥行のある国内体制を確保することである。

 (二)

 地下資源に乏しく、狭い国土に一億を越す人口をかかえるわが国は、四方の海を越えて資源・エネルギーを輸入し、それに付加価値を加え、製品として海路をわたって輸出するという貿易形態をとっている。海洋国家日本は、世界の平和なくして生きていけないし、日本経済は、自由な国際経済環境のもとでのみ発展することが可能である。

 その意味で、私たちは、永続的な世界平和の創造と新しい世界経済秩序の再建のために、これまでに蓄積した経済力、技術力、情報力などを活用、投入して積極的な国際協力を推進しなければならない。

 新国際ラウンドといわれる世界貿易の拡大と一層の自由化をわが国が率先して提唱しているのも、これまでのように与件としての国際経済秩序をひたすら享受するという姿勢を捨てて、保護貿易の回避、開発途上国のテイク・オフの機会の確保など、新しいより高度の国際経済秩序の創造に積極的に参加しようとしているためである。このためには、過去の発展の過程で築き上げてきた産業の構造や体制に固執することなく、これを国際協調の見地から、惜しみなく改変して行くことも必要であろう。

 一方、私たちが、言語や慣習、民族性を異にする世界の人々と心からのつき合いをしてゆくためには、相互に相手の歴史や文化を正しく理解し合うことが大切だ。経済面での国際協調とならんで海外との学術や文化やスポーツなどの交流を活溌化し、それらをつうじて、世界の人々との間に、金では買うことのできない友好と信頼の太いきずなを作ってゆきたい。

 (三)

 とくに、これからの世界の平和にとって、南北問題の解決は、重要な課題である。一九六〇年代において、「南」の発展途上国は、平均五・五%の経済成長をとげ、先進諸国の四・八%をリードした。しかし、この間においても「南」の人口が爆発的に増加したため、一人当たり所得の南北格差はかえって拡大した。また、一部の発展途上国の工業開発によってとり残された国々との間に“南のなかの南北問題”が新たに生じている。さらに一九七三年には世界的な天候不順もあって一部の国では食糧問題が深刻な様相を呈している。

 わが国は「南」の発展途上国に対し、一九七二年において二十七億三千万ドル(対GNP比〇・九三%)の経済協力を行ない、うち政府開発援助は六億一千万ドル(対GNP比〇・二一%)であった。一九八〇年には、この経済協力を七十五億ドル以上に拡大しなくてはならない。援助すべき対象が日本と関係のあるアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ全域にわたることはいうまでもない。

 また、石油資源を保有し経済的には富裕国である中近東などに対しては、資源の加工、砂漠の緑化、海水の淡水化など相手国の要請と実情に応じた知的援助方式も採り入れていくべきであろう。発展途上国への援助が、自らの利益追及に傾むきがちだった過去を反省し、多くの発展途上国が歩みつつある工業化と近代化の道が、明治以来百年間にわたってわが国が踏破してきたものであることに思いを寄せ、本当に役に立つ援助方式をきめこまかく誠実に実行することが必要である。少数の先進国だけで国際経済の問題を談合し、取り決める時代はすぎた。日本は、公正で合理的な国際分業の再編成を求める「南」の声に耳を傾け、多くの発展途上国と互恵平等、自他ともに繁栄できる道をさぐるため、国内の産業構造を高度化し、地域構造を改善して必要な国内改革をすすめ、「南」をはじめ広く世界に向かって開かれた経済社会を形成してゆかなければならない。

 第三章 新しい展望に立つ産業調整

 (一)

 いきいきとした福祉社会をつくるとともに、世界と繁栄をわかちあっていくためには、新しい努野と角度と立場から思い切った産業調整を行なう必要かある。

 高度成長時代をつうじて重化学工業は、経済全体を引張る中核産業として、歴史的な役割を果してきた。しかし、その半面で、資源の過大消費、汚染の深刻化、海外との貿易面での摩擦の増大などを招いたことも事実である。

 これからは、経済成長の視点だけではなく、公害や自然破壊がすくないかどうか(環境負荷基準)、国民が誇りと喜びをもってあたれる仕事かどうか(勤労環境基準)といった尺度にてらして、産業を選択し、長期的展望のもとにスクラップ・アンド・ビルドをすすめることが必要である。

 また、国際協調の面では、わが国が、あらゆる種類の産業を、国内で保有するのではなく、他国にゆずるべき産業はゆずり、先進国との間の水平分業、発展途上国の工業化への協力という方向で、産業調整を推進すべきである。自国の工業化を目指す発展途上国の条件と合致するならば原材料の一〜二次加工は、なるべく原産地ないし中間地で行ない、わが国が、それを輸入するというのも一つの方式であろう。

 このような視点に立つと、わが国の産業構造は、資源やエネルギーをたくさん使う重化学工業から、人間の知恵や知識をより多く使う産業=知識集約産業へと産業のウエートを移動させなくてはならない。知恵や知識をより多く使う産業は、その生み出す付価価値にくらべて、資源・エネルギーの消費量がすくなくてすむ。汚染物質の発生量も当然すくない。また、教育水準の高くなっている国民の知識欲求をみだす働きがいのある職場をふやすことにもなる。国際分業体制形成の方向にも合致する。いわば産業構造の知識集約化こそは、外にひらかれた経済体制のなかで、福祉と産業の共存を可能にし、豊かな人間性を回復させるカギをもつものである。

 産業構造の知識集約化は、具体的には、加工度の高い製品の開発、高級化、システム化、在来産業の工程の高度化などさまざまの形ですすむが、そうしたなかで、すでに、新時代の社会的ニーズにマッチする中核的産業群が、台頭しつつある。研究集約産業(電子計算機、航空機、電気自動車、産業ロボット、海洋開発など)、高度組立産業(通信機械、事務機械、公害防止機器、教育機器、工業生産住宅など)、ファッション産業(高級衣類、家具、調度品など)、知識や情報そのものを生産し提供する知識産業(情報処理サービス、ビデオ産業、システム・エンジニアリングなど)などがその例である。

 これらの知識集約産業は、スケール・メリットをひたすら追求する資源依存型の重化学工業と違って、知的活動のにない手である人の資質、能力が発展のカギを握っているだけに、中小企業にも多様なチャンスを提供する。新たに開花する産業群をつちかうものとしての素材産業やエネルギー産業の役割も、依然として重要であり、新しい観点からの国際分業の確立に配意しながら日本列島のなかに適切に配置してゆくことも忘れてはならない。

 (二)

 このように、工業部門の知識集約化を進めるのと歩調を合わせて、農業部門のありかたについても、長期的展望に立った進路を明らかにする必要がある。農林水産業およびそれらが営まれている農山漁村は福祉社会形成の基盤ともいうべき根本的な役割を担っている。第一に国民が生存するために欠かすことのできない食糧の安定供給の確保。第二に緑のある快適な生活空間の整備、提供。そして第三に国土における自然の保全と管理である。農林水産業は国民の生活環境そのものに根ざす産業であり、また、他産業や人間の社会活動から発生する廃棄物を自然の循環のなかにとり入れ、浄化する能力をもつ縁の産業である。

 一九七三年の世界的な食糧需給の逼迫は、食糧を海外に過度に依存する場合、安定した供給が、つねに保証されるとは限らないことをあらためて示した。この年の食糧需給の逼迫は、短期的にみればソ連、中国の大量の穀物輸入と世界的な不作が重なったために起きたものである。しかし、それだからといって単に偶発的な出来事とみるのは当たらない。なぜならば、長期的には欧米、日本さらにソ連・東欧圏をも含めて世界の蓄産物需要は増大の一途をたどっており、そのために必要な飼料穀物の供給が追いつかないのが実情だからである。したがって今後、年によってかなりの波動はあっても世界の食糧事情は基本的には“不足型”となる可能性がある。

 わが国の場合、主食のコメは幸いにも一〇〇パーセント自給を確保しているが、飼料穀物を含めた穀類総合自給率は四二パーセントにすぎず先進国のなかでも最低である。イギリスは第一次大戦前にも四〇パーセント台に落ち込んでいたが、その後、自給率引上げに力を注ぎ、現在では六二パーセントに達している。イタリアは七〇パーセント台、EC諸国のうちでも最も農業が弱体といわれた西ドイツですら八〇パーセント台、一四〇パーセント以上のフランスを含め、EC九カ国全体の穀物自給率は九〇パーセント台を保っている。これがアメリカの農産物自由化要求と衝突しながらもECが共通農業政策を守り抜こうとする姿勢の根源にある。

 このような内外の食糧需給の変化、蓄産物需要の増大に対処し、わが国としては今後ともコメの一〇〇パーセント自給を堅持するとともに麦、大豆、牧草の三作物については全力をあげて効率的な国内生産の推進に努めるべきである。その場合でも、当面、これら作物の一〇〇パーセント自給は不可能である。そのため需要に応じた輸入先の多元化および開発輸入を同時にすすめていかなければならない。

 一九七二年度の農業白書によると、製造業の一日あたりの賃金(常用労働者五人以上平均)にたいする農業所得の水準は、五四%であった。これでは、農民は兼業や出稼ぎに走らざるを得ない。一九七二年の農業就業人口は、六百八十二万人で、全就業人口の一三・三パーセントであった。第二次大戦前から戦後の一九五三年までわが国の農業就業人口は約一千五百万人たった。毎年、約四十万人の新卒者が農業の後継者として農村に残った。しかし二十年後の一九七二年には新卒者の農業への参入はわずか二万二千人と二十分の一に減少し、農業就業人口はついに七百万人を割って、半減したわけである。農業就業者の年齢構成は高齢者ほどふくらんだジョウゴ型になっている。農業における中核的働き手は農業就業人口の四、五パーセントにすぎないといわれる。しかも中核的働き手の多くは中小蓄産、果樹、施設園芸など土地節約型農業に専念している。

 こうした情勢に対応しながら、基幹食糧の安定した自給度を保つためには、地域の風土や農業基盤に適合した作柄を正しく選択した上で、農業の経営規模を拡大し、機械化、装置化、組織化をはかり高能率、高収益農業をつくりあげることが必要である。その場合、専業農家一単位の経営規模は、二十ヘクタール程度に拡大することがのぞまれる。しかし、現在の分散した零細な土地所有や根強い土地への愛着などから考えて、農家単独での経営規模の拡大は容易ではないので、協業、請負、賃耕などの形態をとらざるをえない。

 農業経営の規模の拡大を可能にするためには、全国的な土地利用計画を定め、そのなかで豊民自らが組織した農地利用組合を中心に永久農地を宣言させ、永久農地に対しては、財政援助によって集中的な土地基盤整備を行なう。同時に、自作農の既得権を尊重しながら、現行農地法を見直して、農地の流動性を回復するなど国土計画と関連させながら農地政策を確立することが必要である。

 一方、林業のもつ緑と水の保全、管理の役割の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。治山、治水が完全にできてこそ、産業の発展も可能であり、都市と農村を含めた地域社会の整備も安心してすすめることができる。森林は手入れをせずに放置すれば荒れ果ててしまう。下草を刈り、間伐を施し、人手の及ぶ限りの管理をして、樹木を育て、保水力を豊かにすることが必要である。わが国では原生林はすくない。現存する森林のほとんどは私たちの祖先か植え、育ててきたものである。私たちは祖先が築いた緑を守り、さらに私たちの時代にも子孫に残す緑を創造していかなければならない。そのために必要なら有効な方法で国家資金の投入も考えたい。

 また、私たち日本人の食卓に切っても切れない水産物を提供してきた漁業を水の汚染の被害から救出し、安心して働けるようにしなければならない。工場排水などによる海や川の汚れをこれ以上許さず厳重に取り締まることは当然だが、すでに公害が発生し、汚染した日本列島の各湾や沿岸の水質浄化もすすめていきたい。

 (三)

 工業の知識集約化と農業の高能率化を軸に、国内で産業活動の再編成を進めることは、別の面からみると、わが国をめぐる物と技術の流れが、国際的な広がりを大きくしていくことを意味している。

 資源の現地加工、労働集約型商品の買付け、農産物の開発輸入などが、ますます盛んになる。その場合、われわれが、厳に注意しなければならないのは、問題を日本の利益中心に考えず、繁栄をわかちあうという視野からとらえることである。パートナーとなる国の発展段階や経済的・社会的・文化的基盤に即応して、長きにわたって根を下ろし、枝を張り、果実をみのらすような技術を移植し、これを支える社会資本の整備を考えるべきである。「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」という中国の古典の教えは、まことに示唆に富んだものというべきである。

 このような努力を積み重ねることによって、はじめてわが国の産業調整を、国際的協調のなかで、軌道にのせることができる。わが国の企業の海外立地が、公害輸出とうけとられたり、開発輸入が相手国の土地生産力の収奪を結果するようなことは、厳しくつつしまなければならない。これこそが、海洋国家日本の誇りと節度であろう。

 (四)

 国際的視野に立った産業構造の転換とあわせて、重要性を強調したいのは、国内における工業の再配置である。

 一九七〇年のわが国の国民総生産(GNP)七十三兆円をベースに、仮りにわが国の経済が、こんご年率一〇%の成長を続けるとすれば、一九八五年には、GNPは、三百四兆円(七〇年価格)に達する。成長率を年八・五%とみれば、二百四十八兆円、七・五%とみれば、二百十六兆円である。日本では、実質的な不況状態に陥るおそれのある年率五%まで成長率を減速するとしても、一九八五年のGNPは、百五十二兆円の規模になる。このように大型化する日本経済にとって、経済活動の地域的かたよりを是正することなしに、その発展をはかることは、困難だし、過密と過疎を解消せずに、国民の福祉を実現することは不可能である。

 したがって、すでに工業の集積度の高い太平洋ベルト地帯への工業立地の流れをくいとめ、さらに過密都市地域から地方に向けて工業を移転させる。この工業の地方分散を呼び水にして、各地域に、商業やサービスを誘導し、また農業など一次産業を高度化する。それをつうじて地域経済の振興を促し、日本列島全体の均衡のとれた発展をはかることが必要である。行政や政治のような管理機能の分散も忘れてはならないが、まず工業の再配置に積極的に取り組むこととしたい。

 工業再配置は、全国的視野に立つ工業生産機能の再配分である。それは、一九八五年までに、太平洋ベルト地帯の工業出荷額を、現在の七三%から五〇%に引下げること、また、東京、大阪、名古屋の三大都市とその周辺部を含む大都市地域の工業用地の面積を、半分に減らすことをメドとしている。既に、そのための法制上、財政上、税制上の措置かととのい、推進機関としての工業再配置・産炭地域振興公団(近く国土総合開発公団に改組の予定)も活動を開始している。

 工業の地方分散は二つの流れに大別することができる。

 主流となるのは、内陸型工業の地方都市や農村地域への展開である。内陸型工業の多くは、知識集約的であって、わが国の産業構造が高度化していくなかで高い成長を持続する可能性をもつ分野である。一九八五年には、工業出荷額に占める内陸型工業の比重は、七〇〜八〇%程度まで高まるものと推計される。しかも内陸型工業の多くは、資源消費量が対的にすくなく、汚染や自然破壊もすくない。このような内陸型工業をインダストリアル・パークに計画的に立地させて、地域社会との協調、融和に万全の注意を払いながら地方都市や農村地域に配置するのである。

 これに対して、臨海型の基幹資源工業は、これからは、前述のような方向にそって海外に立地してゆくものが増えてくるであろうが、国内に残るものについては、三大都市圏から思い切った遠隔地に大規模な無公害工業基地を造成して配置することがのぞましい。市街地と工場との間には十分な距離を保ち、工業基地の周辺や内部にも広大な緑地や公園や河川、遊水池なとをとり入れる。場合によっては、このような緩衝地や緑地に、牛が放牧され、自然と近代技術が共存するといったイメージで新しい工業基地を設計すべきである。

 (五)

 ところで、工業の地方分散に当たって、とくに強調しておきたいのは、日本列島の約半分を占める豪雪単作地帯でこそ工業化を推進すべきだということである。世界全体をみると、百四十カ国のうち先進工業国十一カ国は、日本より北にあり、北緯四十度から五十度が世界の工業地帯である。アメリカでは、重化学工業は、五大湖の周辺に集まっており、南部は伝統的に農業地域である。欧州大陸のザール・ルール地方は、北緯五十度、イギリスのマンチェスター、リバプールは、北緯五十二、三度に位置している。南部は、日照時間が長く、温暖、肥沃で、本来農業に適する。これに対し、北部は、日照時間が短かく、冬の間は、雪や氷が地表をおおうが、士地と水にゆとりがある。これに対して日本では、世界の先進工業国とは反対に、温暖な地域を工業に快い、寒冷地を農業に使ってきた。ここでも従来の発想の転換が必要である。

 工業の再配置と農業構造の改革とは、一体の関係にある。地方都市や農村に、工業が進出し、その地域の人々に新しい職場を提供する。それに刺激されて商業やサービス業も発達し、職場の数がふえ職種も多様化する。農業経営の高能率化と大規模化の過程で農業就業人口が減少することは避けられないが、農業から離れる人々は、大都市に出なくとも、自宅から新しい職場に通うことができる。出かせぎの悲劇も解消し、過疎化はとまる。農業の側では、少数精鋭の高生産性農業が実現し、農業所得は、二〜三次産業とならぶ水準まで高まる。それが、農工一体化である。農業に従事する人も、農業から離れる人も、ひとつの地域社会でともにゆたかな生活を楽しむことができるようになってこそ、はじめて新しい広い展望に立った産業調整が完結することとなる。

 第四章 魅力ある生活・余暇空間の創造

 (一)

 東京、大阪、名古屋など過密化した巨大都市の住民を、公害、交通戦争、水不足、地価の異常な高騰、住宅難などから解放することは、緊急の課題である。だが巨大都市だけを改造するという視野のせまい対症療法では、問題の根本的解決は不可能である。なぜならば改善された巨大都市をめざして地方からさらに人口が流入、巨大都市の過密化と地方の過疎化を一層激化するからである。

 東京をとりまく首都圏(一都七県)の人口は、一九七〇年時点で三千二十六万人である。一九六五年から五年間に三百二十九万人もふえた。従来の勢いのままでふえ続ければ一九八五年には四千万人を突破することは確実である。

 ところが、首都圏で、それに見合うだけの水と電力を確保することは困難である。なかでも過密の東京圏(一都三県)では、それだけの人口増を支える宅地、教育施設、交通施設、廃棄物処理施設などの確保がもはや物理的にも不可能である。毎日の食卓に欠かせない生鮮野菜の供給すら不安定になるという。巨大都市の膨張は、限界に達しているのである。巨大都市の膨張をくいとめるためには、工業の全国的な再配置に加えて、教育、文化、医療などの諸機能のほか行政をはじめとする中枢管理機能も積極的に地方に分散すべきである。これとあわせて、地方の生活基盤の強化に力をそそぎ社会資本ストックの先行的整備を行なう。そして地方の各地城の機能の自己完結性を強め、個性を十分に生かした新鮮な魅力をもつ地方都市を育てる。大都市と地方都市、地方都市と他の地方都市や農村との間では機能の連帯、有機的な分担をはかる。このようにしてバランスのとれた地域構造が実現するなかで、巨大都市の改造も真の効果をあげることができる。その意味で、都市改造と地方開発は、同義語である。

 (二)

 バランスのとれた国土の発展は、すぐれた交通や情報のネットワークに支えられてこそ可能である。日本列島の縦横を貫く基幹交通ネットワークとして一九八五年までに新幹線鉄道九千キロメートル、国土開発幹線自動車道路一万キロメートルなどを建設、それによって時間距離を短縮、全国を一日行動圏に再編成することが私の基本構想である。現在の時速二百キロメートルの新幹線鉄道のほか、時速五百キロメートルをめざすリニアモーター方式の新幹線鉄道も完成させたい。すでに手がけている本四連絡橋三橋、青函海底トンネルは、それそれ本州と四国、北海道の一体化を促すであろう。このような高速交通ネットワークは、遠隔地の農水産物を都市の多様でぼう大な需要と結びつけ、各地の農山漁村に新たな活気を与えよう。農業政策も、今や交通政策や都市政策と有機的連けいを保ってゆかねばならない。また人口、産業の分散により必要となる工業港湾、流通港湾、空港などの整備も全く新しい立場から再検討し、早急に総合交通体系を確立する必要があるし、パイプ・ライン網をととのえることも急務である。

 一方、コンピューターを中核とする情報化社会の開幕に対応し、日本列島を一つの情報列島に再編成していくことも重要である。現在の電話回線とは別に広帯域交換網によるデーター通信回線百万回線の実現が必要である。情報列島への再編成に当っては、これまで陽のあたらなかった僻地、離島こそ優先的に配慮されるべきである。さらにCATVとデーター通信を組合わせた教育、医療、流通情報、広域公害防止、交通制御などの新しい社会情報システムを中・長期計画で開発し、地域社会の情報化をすすめる。人、物、情報の大量移動が、早く、確実に、便利に、そして快適にできるようになってこそ、都市と地方の情報格差が解消し、人々は、国土のどこに住んでも都市と変わらない便益を享受できることになる。

 また、これから国民の価値観が多様化していくのにともなって人々は生活や教育や余暇の場をいろいろなところに求めるようになる。ライフ・サイクルに応じて学園都市から工業都市へ、あるいは農村へ住みかえるといった暮らし方もふえてこよう。住みいい地域社会をつくる一方で、また人々の自由な選択にもとづく移動を容易にするという要請にもこたえていくことが、新しい国づくりにとって必要である。

 (三)

 東京など巨大都市の魅力は、情報の集中、高度の自由選択性、便利性およびそれらが人間に与える刺激の大きさなどにある。その魅力がまた、半面では巨大都市の欠点を生み出す原因として作用している。

 巨大都市問題解決の基本的立場は、その魅力を失わせることなしにいかにしてマイナス面を取除いていくかにあるといえよう。工場、大学、研究機関などの地方分散が必要なのは巨大都市を解体するためではなく、再生するためである。なによりも、まず、これまでの急激な人口流入の過程で悪化した環境を人間生活にふさわしい水準まで回復することが第一である。そのための都市改造の基本戦略は、コンパクト化である。低層建物が薄く広く拡散している平面都市を再開発して高層化し立体都市に切りかえるのである。高層化は、零細な敷地のうえに、鉛筆のような細いビルを建て周囲の日照を侵害したり、環境を破壊するものであってはならない。高層化は、街区単位で考えるべきである。

 それによって限られた土地を活かして使い、道路の拡張、狭い住宅の建てかえなど都市環境の改善に必要なスペースを生み出す。公園、広場、運動場、サイクリング・ロードなど人間性回復のためのさまざまな空間を創造する。コミュニティ・スポーツなどを通じてコミュニティを復活し、緑の木蔭での語らいのなかから住民の連帯感を高めて、大都会の孤独を解消しなければならない。

 都市の立体化は、都市全域を高層化することを意味するものではない。高層地域と低層地域を適切に配置し、都市にアクセントをつけるほうが好ましい。都市再開発のなかでも緊急にやらなければならないのは地震や火災の発生に備えて住民の生命の安全を守るための防災対策である。個々の建物の不燃化、耐震化とともに共同建築による防災を推進することが必要である。その場合、再開発を円滑化するため、従来の権利者には地区内のビルへの入居を保障しながら収用するといった方式を創設すべきである。都市の高層化を促進するためには、民間のエネルギーを活用する。そのため、地域を指定して低層建築を制眼する。そして期間内に長期低利融資など孜府の助成のもとに権利者に高層化を行なわせる。その場合、住宅対策をも勘案して四階以上の住宅に提供する部分については固定資産税を長期にわたって減免する。立てかえのため一時たちのく人々には公共住宅を提供する。そして期限内に再開発ができないときは、公的機関が権利者に代わって再開発するといった方式の確立が必要である。

 また、巨大都市の再開発は、市街地だけではなく、その都市をとりまく五十キロメートル圏においても都市機能や人口の適正な再配置を計画的に実施すべきである。

 巨大都市で解決を求められている問題に都市交通がある。わが国の自動車保育台数は、一九七二年二月現在で、二千百十万台であり、このままに推移すれば、八五年には、四千万台の水準を突破するものと想定される。都市内の交通混雑や車公害は、一層激化する。したがって都市交通には、国鉄、私鉄、地下鉄など大量輸送の可能な公共的輸送機関を中心に据え、さらに新しいシステム技術、情報技術などを積極的に応用していくべきである。過密の市街地内の自動車交通については、規制措置を検討する。

 (四)

 豊かな自然と伝統文化に恵まれた地方都市は、若々しく、魅力的な生活、余暇空間を創造していくのにふさわしいところといえよう。

 地方都市の発展は、地方都市がすべて小型の東京をめざすといった画一的な方向であってはならない。情報都市、学園都市、工業都市、商業都市、観光都市など機能面でのそれぞれの都市の個性があり、あるいは森の郡、水の都といったように地形や自然環境に応じて特色ある都市づくりをすすめるべきである。

 地方都市の整備は大きく三つに分けて考えることができる。

 第一は、札幌、仙台、広島、福岡などの地方ブロック中枢都市および、これらに準ずるような県庁所在地の中枢管理機能の強化である。

 広域的な計画に基づく新市街地の形成と既存市街地の再開発と結びつけ総合病院、地方大学などをはじめ教育、医療、文化、娯楽の施設を整備していくのが共通の課題であろう。これらの都市にこんご導入する産業は、ファッション産業、研究集約産業、情報産業、サービス産業などを主体とすべきである。

 第二は、既に相当程度の都市機能をもち広域的な経済、社会・生活圏の中核としての役割を果たしている都市の整備である。

 その場合、教育、医療、文化、娯楽の施設を整備し、周辺地域へのサービス機能を増大させるほか、周辺部にインダストリアルパークの手法で新しい工業団地を造成し、知識集約産業を誘導する。または大学を誘致する。既存の市街地の単純な拡大は極力さけて、学園やインダストリアルパークをテコにして、既存の市街地とはやや離して新市街地を形成し、両方の市街地の機能を有機的に連系、補完させ、都市の面目を一新する。

 第三は、ほとんど既存の都市集積のない地域に五大都市から分散する工場や大学などを誘致し、それを核に新都市を形成するタイプである。

 このような方向にそって地方都市の整備をすすめるに当たっては、いずれも周辺の農村部などを含めた広域的な経済、社会、生活圏にその恩恵が及ぶようなゆきとどいた計画づくりが必要である。都市は、地域の上に咲く花であるとともに、広く周辺地区にその香りを及ぼすものだからだ。

 都市人口は急速に増大している。東京をはじめとする巨大都市の過密が、限界に達している以上、この圧力は、地方都市で受け止めなければならない。

 一九八五年までには、地方都市の人口は、およそ千五百万人程度ふえるものと予測されている。私は、その大半は、ニュータウンに収容したいと考えている。既存の市街地の周辺に計画的につくられる新市街地と既存の都市集積のほとんどない地域に新たに建設される都市が、ここでいうニュータウンである。ニュークウンなら公害のない職場、便利でゆったりした住居、緑と陽光にあふれる公共広場などが確保できるし、最新の技術を応用した都市施設も意欲的に導入できる。運動場、散歩道、サイクリングロード、集会場などを十分に配置し老若男女がそろって余暇を楽しみ、連帯感を高めることができる。まさしく魅力ある新しい勤労空間、生活空間、余暇空間が生まれるわけだ。

 地方都市の整備は、地方公共団体を中心にすすめるのが当然であるが、国としても積極的に力をかしていく必要がある。そのため工業再配置・産炭地域振興公団を国土総合開発公団に改組して、工業の再配置と地方都市の整備を相互に関連をもたせながら推進できる体制をととのえることにしている。

 ここで大学の地方分散は、大都市の過密を解消するとともに地方都市育成の有力な戦略手段であるということを強調しておきたい。

 現在、わが国には約九百五十の大学があり、百八十四万人の大学生が在学している。そのうち六一%の学生が東京都および政令指定都市に集中している。進学率の上昇が地方から激しい勢いで若者を大都市に吸い上げてきた。

 戦前はナンバースクールといわれる旧制高等学校が地方の中都市にあり、豊かな個性と伝統をもった学風をつくって地元の文化の向上に大きく貢献してきた。地方の高等教育機関の充実は日本列島改造の文化的な核ともいうべきものである。地方の環境のいい都市に大学を整備し、あるいは既存の都市にとらわれない新しい視野と角度から湖畔、山麓など山紫水明の地に広大な敷地を確保して、新学園を建設していきたい。その場合、一学園都市あたりの規模は千五百〜三千ヘクタール、うち大学のキャンバスは三百〜九百ヘクタール程度を考えたい。

 (五)

 農村が都市と結びつき両者が相互にメリットをわかちあうときに近代農村の繁栄の道がひらける。農村は、都市と対立するものではなく、また、都市に従属するものであってはならない。そのためには、農村の基礎集落と圏域内の中心都市、あるいは他の基礎集落を交通体系で結びつける。流域下水道などの広域的施設も、できるだけ農村と都市を一体としてとらえて整備することがのぞましい。そして、農民の生活様式、生活意識の都市化に対応し、住宅を改良し、病院、診療所、運動場、文化センター、農村公園なとを整備する。若い人々が、心のかよい合うコミュニティで新しい農村文化を創造していけるような環境をつくることが重要である。

 農村地域は、食糧生産の場、農民の生活の場としての役割のほかに国土の緑なる部分を維持し、国民全体のいこいの場を提供する役割が一層強く要請されるようになってきている。これに応えるためには広域公園、ハイキングコース、キャンプ場など、山や森、湖、海岸と農村を一体とする総合的な自然のレクリエーション体系を確立しなければならない。

 (六)

 国土空間の再編成にはすぐれた計画性と先行性か必要である。国土計画は各省の個別の施策や計画に対し上位に立ち、それらの積極的な詞整をはかりうるものでなければならない。そのため強力な企画、調整機能をもつ機関として国土総合開発庁を早急に新設する方針である。

 また、従来の新全国総合開発計画を総点検するとともに二〇〇〇年までを展望した長期にわたる国土改造のビジョンを樹立することにしており、それにそって一九七五年から十年間にわたる新計画をスタートさせる予定である。この新しい計画は、人口、資源、食糧などの長期展望のうえに美しい自然と人間性豊かな高度福祉社会の建設プログラムを明らかにするものである。

 しかし、最も大切なことは、国土開発は、その対象となる地域社会の発意のうえに立って推進するということである。各地城社会の意思と選択を無視して国の計画を押しつけるようなことがあってはならない。国の役割は、全国的視野に立った将来への展望を明らかにし、そのなかでの各地城の位置づけを提案することにある。各地城は、これを基にしながら、具体的な方針の選択と計画の決定を自主的に行なう。この過程で、中央政府と地方自治体との間で対話の積み重ねと率直な意見の交換が行なわれるべきである。自治体が、国土空間の再編成の方向にそって地域開発を推進するに当たっては、地域住民の希望と筋の通った意見をくみ上げ、その理解と協力を求めることが必要である。

 そのためには、地域開発のプランづくりの段階から住民の参加を求め、住民とともに開発の基本的問題からじっくり討議する態度がのぞまれる。そして「開発をやるべきである」という大筋の意見が固まったあとの具体的な開発計画については、可能な限りの代替案を作成、提示し、各案の利害得失を明らかにして地域住民の合意をとりつける。

 新幹線、高速道路、ダム、発電所など全国的ないし広域的観点から整備を必要とするプロジェクトではあるが、建設予定地域にとってメリットのすくないものについては、地域に与えるデメリットを極小にし、また地域に十分な補償を行なうことが必要である。金さえ払えばいいというような考え方を排除し、道路と市街地の間に運動場をつくるとか、発電所の温排水を利用してセントラル・ヒーティング、温水プール、養殖漁業に役立てるなど開発の内容を地域の福祉向上に結びつけ、地域住民に広くメリットを還元していく工夫ものそまれる。

 第五章 自然、風土、人工の調和

 (一)

 もともと、日本の国土は、山、川、海、緑などのいずれをみても、豊かな自然に恵まれている。日本民族にとって、自然は、親しみ深いものであり、苛酷なものではない。しかし、自然に甘えることは、許されない。

 自然が、微妙な循環と連鎖のなかでバランスを保っているものであることは、最近とみに注目されるようになった生態学(エコロジー)によって明らかにされつつある。産業と生活と余暇という人間活動の全局面にわたって国土利用の再編成を進めるに当たっては、自然の循環と連鎖のなかに組みこまれた人間活動が、これに回復不可能な痛手を与えないように配慮することが必要不可欠である。このような配慮を怠って、自然に甘えれば、自然は、必ず環境破壊あるいは公害という厳しい返礼をもたらすであろう。したがって、土地利用計画のなかには、森林地帯や自然公園や自然保存地域を不可欠の要素として組み込むこととしたい。

 次に、産業や生活空間の開発を考える場合には、自然界と人間活動を、総合的な循環系あるいは連鎖系としてとらえ、新しい生き生きとしたバランスが形成できるような自然の受容能力の範囲内に開発の規模や態様を抑えることを基本として、事前に十分な調査検討を行なうべきである。これは、自然の受容能力あるいは浄化能力の範囲内に汚染物質の排出量を抑えることにつながる。汚染物質を薄めさえすればいくら出してもいいという濃度規制では不十分である。汚染物質の発生の絶対量を抑える総排出量規制にまで持っていかなければ、問題は解決できない。

 こうなれば、公害防止技術の開発に対する各方面の力の入れ方も、様相を一変するであろう。さらに、有害物質を全く外部へ排出せず、生産工程のなかで回収、再生処理するクローズド・システムの開発も進むであろう。日本の技術開発のニュー・フロンティアが、ここに大きくひらけているというべきである。

 自然と人間の触れあいをめぐってとくに強調しておきたいのは、緑地の保全と再生である。緑地が、大気の循環系を維持するために果たしている役割は、子供でも知っているし、水辺に誕生した人類の心の安らぎのためには、緑地の存在が必須の条件である。工場の周辺にも、町にも、村にも、豊かな空間と色濃い緑地を設けたい。「鎮守の森」は、日本民族の魂の安息所であった。開発は、自然と人工の新しいバランスを生み出すものであり、「鎮守の森」を復活する機会であると考えるべきだ。

 (二)

 国土利用の再編成は、土地と切り離して考えることはできない。土地は、国民生活、国民経済の基本的条件であり、国家形成の土台であるが、再生産は、できないし、移動もできないという特殊な性格を有している。土地は、利用するために存在し、利用によってのみ価値を生む。地価は、所有者の努力によるよりは、土地の利用をめぐる環境の変化、経済社会の発展などにより変動する。このような土地という財の特異性を考えるとき、ともすれば絶対的権利が主張されがちであった士地の所有権を公共の福祉に適合させることは、全国民的要請である。そのために、土地の所有権に制限を加えることは、国民一般に素直に受け入れられるべきものである。土地をめぐる最近の状況をみると、人口、産業の大都市集中は、大都市地域における土地利用の混乱、地価の異常な高騰等を招き、このため大都市地域での宅地難は、庶民のマイ・ホームの夢を遠いものにしている。加うるに、不幸なことに、一昨年来のいわゆる過剰流動性の発生と各種の思惑を背景として、大都市周辺のみならず全国にわたって土地投機の動きもみられた。

 長い目でみれば、日本列島改造というプロジェクトの推進は、かたよった土地需要の平準化を通じて土地問題の解決に寄与するに違いないが、最近の状況を克服するとともに、日本列島改造の条件を整えるためには、憲法が認める範囲内で最大限に公共の福祉を優先した土地対策を展開する必要がある。このために、新しい国土総合開発法の制定を発議したのである。

 土地対策の基本は、全国土にまたがる総合的な土地利用計画をたてることである。この土地利用計画は、都市は、都市計画、農村は、農村振興地域整備計画というような枠をのりこえて、国土の保全と利用の総合的バランス、広域的な経済社会生活圏の整備、全国的にみた各地域の機能分担等の視点に基づいて、地域住民の意思を的確に反映してつくられる。この計画は、たんなる色分けであってはならず、法的な拘束力をもつものでなければならない。また、土地の取引き、持主の都合や思惑に委ねないようにするために、土地をめぐる権利の移転について、公的なチェック(届出、勧告制、場合によっては許可制など)を加えることも必要である。このためには、国の地価公示制度の適用範囲をひろげ、士地評価の目安を明らかにするとともに、国、地方自治体、各種公団なとが、取引対象の土地を優先的に取得できる仕組みを整えなければならない。

 土地取引や土地投機による莫大な利益の発生を防ぐために、税制を活用することも必要である。土地譲渡益に対する特別課税や、土地の思惑的な取得、保有に対する新税の賦課などが既に実施に移されている。

 しかしながら、規制だけでは問題は解決できない。宅地の大量供給の体制をととのえなければならない。このため、地方中核都市の整備などをすすめるとともに、公的機関による大規模な宅地開発事業を大都市地域において緊急に推進することとしたい。

 (三)

 水は、土地とならぶ国土資源である。人間は、水と離れて生きることはできない。これまで、わが国は、雨がよく降り、水資源には恵まれた国であるといわれてきた。しかし、人口一人当たりの年間降雨量でみると、わが国は、アメリカやソ連の五分の一にすぎない。しかも、わが国の河川には急流が多く、降雨も梅雨期、台風期に集中しているという風土面での不利な条件をかかえている。

 日本とイスラエルを比較して広い話題をまいた書物のなかでは「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思い込んでいる」という一句に羨望と警告の念を含めて日本人の現状意識が紹介されている。浪費を「金を湯水のごとく使う」と表現するのは、いまでも通例である。このような通念は、いまや訂正を余儀なくされつつある。供給サイドにおける前述のような制約に加えて、急速な経済成長、生活様式の高度化などによる水の需要の増大によって、水の需給は、重大な危機にさしかかっている。既に、東京および大阪の大都市圏においては、夏季の給水制限が常態化している。国土利用の再編成は、この面からも、焦眉の急を要するわけである。

 最近、建設省が発表した広域利水調査第二次報告書によると、昭和六十年における人口は、一億二千百万人、工業出荷額は二百四十一兆円(昭和四十五年価格)と想定し、人口の各地城への配分割合は人口の集中抑制と地方分散によって現状を維持し、工業は、広域的に再配置したとしても、いわき郡山地域、南関東地域、京阪神地域、備後地域、高松地域、東予地域、松山地域、北部九州地域の八地域では河川水必要量の需給がひっぱくすること(年間不足量合計約四十億トン)が予測されている。とくに、南関東地域では、年間約二十億トン、京阪神地域では、年間約十二億トンが不足するとみられている。全国的にみると、新規河川水必要量約四百億トンに対して、約五百八十ヵ所のダムを建設することによって約四百六十億トンが供給可能とされているわけであるから、八地域以外では、約百億トンの余裕があることになる。

 したがって、今後、ダムの建設をはじめ水資源の開発を強力に推進することは、もちろん、人口、産業の大都市への集中抑制と地方への分散を従来考えられていたよりも、はるかに大規模に展開する必要がある。北海道、東北、南九州などがますます大きくクローズ・アップされることになろう。

 しかし、需要の分散だけでは、危機をのりきることは難しい。工業用水については、工場内での回収利用を徹底的に推進しなければならない。使用合理化のための指導、助成などについて立法措置も考えるべきであろう。新しい人工的な水源をエ夫していく必要もある。通産省では下水、産業廃水を高度処理して再生利用するための研究開発を推進しているが、このような工夫は、家庭用雑用水、ビル用水などにも及ぼしたい。こうした技術は、いわば水使用のクローズド・システム化であり、自然環境の保全にも大きく寄与するであろう。

 海水の淡水化にも力を注ぐ必要がある。河川やダムからの取水だけでなく、新しい技術を応用する努力もしなければならない。

 (四)

 ローマ・クラブのレポート、さらにはニクソン大統領のエネルギー教書は、資源やエネルギーの有限性に対する認識を急速に深めつつある。また、石油産出国の新しい動向は、エネルギー調達に対する安易な考え方に強い警鐘を鳴らしている。

 もともと日本の国土は、資源に乏しい。しかし、第二次大戦後においては、このことがかえって成長、発展に寄与したといっても過言ではない。大局的にみれば、世界の資源需給にはゆとりがあり、日本は、恵まれた海岸線を利用して工業港湾、流通港湾を整備して、国内資源にこだわることなく、好むところから資源を輸入することができた。タンカー、鉱石船などの大型化、高速化もこれに輪をかけた。海洋国家日本は、海を利用して豊富低廉な資源を確保して、めざましく飛躍した。

 いま、この状況が急速に変わっている。しかも、豊富低廉な資源の消費が自然環境に対して過大の負荷をかけて、公害問題を激化させていることも広く指摘されるようになっている。日本は、「平和」と「福祉」の基本ラインにそって、この恐るべき「おとし穴」から早急に脱出しなければならない。

 あくまでも国際協調の精神を尊重しながら多角的な資源開発、資源調達を推進することが、対策の基軸に据えられるべきであるが、国土利用の側面からみると、省資源、省エネルギー化にも格別の力を注ぐことも急務である。前述したような産業構造の知識集約化は、このための妙手であるが、このほかにも資源・エネルギーの節約、再生利用に関する諸方策を全面的に展開すべきである。とくに再生利用については、廃プラスチック、家電製品、廃車(自動車)、非鉄金属くず、古紙など多くの分野があり、システム的に技術開発を促進して、全経済社会にわたるクローズドリサイクル・システムの形成を考えたい。

 新しいクリーン・エネルギーの開発も今後の課題である。既に開発体制の整っている原子力のほかに、太陽エネルギーの利用、潮汐発電、地熱発電、石炭ガス化、水素エネルギーなどについて西暦二〇〇〇年の展望をふまえた革新的な技術開発に取り組むことにしたい。日本の国土に、輝く太陽と青ぃ空をとりもどすためのフロンティアがここにも存するのである。

 第六章 経済社会運営の発想の転換

 (一)

 これまでの日本は、先進諸国にキャッチ・アップすることを目標に、民間設備投資を軸にして、「成長が成長を呼ぶ」という成長追求型の経済運営を行なってきた。政府の政策も、重化学工業化を中心に経済成長の維持と拡大に重点をおき、企業も経営の規模拡大をおもな目標としてきた。この結果、日本経済は、世界有数の実力を持つにいたり、企業は、経営基盤を拡大し強化することに成功し、国民の所得もふえ生活水準も向上した。これまでのわが国経済の歩みは、疑いもなく成功の歴史であった。

 しかし、経済社会をとりまく諸条件は、大きく変化した。こんごは、成長を追求するだけでなく、成長によって拡大した経済力と成長の果実を、国民福祉の充実と国際協調の推進などに積極的に活用してゆくことが強く要請されている。すなわち、公害の防除、土地、水、資源の有限性に対する配慮、労働時間の短縮、定年延長、社会保障費用等福祉コストの負担、省資源・省エネルギー化の促進、消費者主権の尊重、経済協力の推進など国民の量質ともに高度化した社会的ニーズにこたえて各般の施策を展開してゆかねばならない。私たちは、これまでの成長追求型の路線追求をやめて、「日本列島の改造」という大プロジェクトを軸として経済社会の運営を成長活用型に切りかえるべきときを迎えている。

 (二)

 このためには、まず財政の役割に期待されるところが極めて大きい。いわゆる財政主導型の経済運営に移行することが基本的に重要である。その際、こんごの財政運営にあたっては、単年度均衡の考え方から脱して、長期的な観点に立った財政の均衡を重視していくべきである。すなわち、現在の世代の負担だけではなく、未来の世代の負担をも考慮した積極的な財政政策を展開することが必要である。子孫に借金を残したくないという考え方は、一見、親切そうにみえるが結果はそうではない。生活空間や余暇空間や生活関連の社会資本が十分に整備されないまま、次の世代に引きつがれるならば、その時代の国民生活に大きな障害がでてくるのは目にみえており、これを回避するためにも、世代間の公平な負担こそが重要である。

 また、経済成長の成果を国民福祉の向上に役立たせていくためには、インフレーションの回避に十分配慮しつつ、公的分野に対する資源配分をより一層拡充しなければならない。公共投資の重点は、限られた資源で最大限の効果を発揮するためにも、国民生活の充実に直接つながる生活空間、余暇空間、生活関連施設の整備および幹線交通通信ネットワークの形成等国土の有効利用のための関連事業に指向さるべきであろう。その際、財政資金の先行的、重点的な投入がのぞましく、実績主義による後追い投資は、財政に対する負担をかえって大きくするだけであることを銘記すべきである。

 さらに、社会保障の充実も、重要な政策課題である。早急に社会保障に関する諸施策の長期計画を策定して資源配分の増大と制度の充実整備を具体化し、経済成長の成果を社会のすべての階層に対していきわたらせ、ゆとりのある生活の基盤を確保してゆかねばならない。社会保障の将来における望ましい姿として、わたしは、(1)すべての老人が、親族による扶養、貯蓄等国民生活の実態からみて生活設計の基礎となりうる水準の年金を受けうること、(2)国民の多様化し、高度化する医療サービス需要が、予防、治療、リハビリテーションのそれぞれの局面において高い水準でみたされうること、(3)広く国民一般の社会福祉分野における施設やサービスに対する需要が適切にみたされうること、を頭に描いている。

 また、変動する経済社会のなかで、個々人が、自らの道を適切に選択し、天分とその可能性を生かしてゆくためには、人間資質の向上が必要である。とくに国際人として誰からも尊敬され信頼される新しい日本人を育てることは急務である。そのため、理想的な教育の条件と環境の確立に全精力を傾けなければならない。

 次に、これまで経済社会の発展の原動力として営々と努力してきた勤労者の財産づくりのために、積極的な政策をうちだして、これに報いなければならない。国民の大多数を占める勤労者は、賃金水準の向上により所得面では一応の充実をみているものの、資産性の貯蓄や持家などの資産保有面では著しく立ち遅れている。さらに、すでに資産をもっている者とこれから資産を持とうとする者との間の格差は拡大する傾向にあり、これが勤労者の社会的疎外感と不公正感を助長し、一般的には豊かな社会といえるこの世の中で生活への不満を深める大きな要因の一つとなっている。このため、わたしは、日本列島改造政策の一環として、全国各地に五百万戸分の宅地を整備するとともに、大都市近郊には五百万戸の高層住宅を昭和六十年までに提供して、勤労者の財産づくりにも役立たせたいと考えている。

 しかし、その一方で現在、わが国は激しい物価騰貴に見舞われている。これは、主として世界的インフレによる国際商品の値上がりと国内の旺盛な需要拡大に起因している。潮のみちるようにやってくる世界的インフレに対しては、これを阻止するための国際協力への努力を強めるとともに、国内においては、物価抑制策を手をゆるめることなく継続、強化することが必要である。同時に、企業や国民に対して、消費の自粛や資源・エネルギーの節約を強く求め協力をえながら、他面、いわゆる「インフレ心理」の伝ぱんは、絶対に阻止しなければならない。日本列島の改造など福祉社会の実現は、急ぐべきではあるが、インフレをひきおこしたのでは、その目的は、達せられない。こういう大事業は、国家百年の大計という長期的観点に立って、総需要の動向などを勘案しながら、適度なテンポで着々と実現してゆくことが肝要である。未来を望んだ強固な意思の貫徹と、現実の事象に対処する機動的、弾力的な決断の使い分けこそが、政治にたずさわる者の責務である。

 (三)

 長期的な見地にたった弾力的な財政運営にあわせて、新しい政策手法を積極的に導入することも必要である。

 まず、税制の政策的な調整機能の発揮、つまり禁止税制と誘導税制を積極的に活用することが必要である。西ドイツが、総合交通体系を確立するために、税制を調整手段として活用していることは広く知られている。超重量貨物を積んだ大型車が、道路の補装強度を無視して走れば、道路は破損する。そこで道路を破損するような重量物は、鉄道に移し、それでもカバーできないものは、船舶を使うように調整しなければならない。ちなみに六トン車に対し、西ドイツでは、百六十万円以上の税制が課せられている。これは、明らかに禁止税制である。同時に、「重量物は、オート・バーンを使うより鉄道や船舶を使ってくれ」という誘導税制でもある。このような発想は、都市の立体化、工業や中枢管理機能の地方分散等日本列島改造の大事業をすすめるために、十分活用してゆくべきである。

 また、各種の事業を進めるに当たっては、政府だけが主体となるのではなく、これまでの成長、発展の過程で蓄積され、醸成されてきた民間の資金、技術、バイタリティーを税制や利子補給などによって、上手に制御しながら活用する方策を工夫する必要がある。

 そのためには、まず、政府が、自らの責任でなすべきことを明確にし、やるべきことはやらなければならない。その他の領域では、公共性と収益性の兼合いに応じて、民間に委ねて適切な制御と助成を行なったり、公的主体と民間との協力形態を考えてゆく。事業の公共性を確保する必要があるとき、あるいは、多大の初期投資を要し投資の懐妊期間が長い事業について民間企業に投資決意を行なわせる必要があるときなどは、第三セクターを活用したり、国土総合開発公団などの公約機関が基盤づくりをした上で一定のルールに従って民間企業に施設整備なとを担当させる等、新しい方式を注意深く育てていきたい。

 民間の活力を利用しながら適切な制御と助成を行なっている例として、ニューヨークの不良街区の改良と、イタリアの労働者住宅の建設方式がある。前者では、公社が不良街区を全面買収し、住民には一時立ちのき先の住宅を提供する。買収した不良街区は、とりこわして整備し、民間デベロッパーに払い下げる。民間業者は、そこに新しい高層賃貸住宅を建てるがその家賃は安い。公社が、あらかじめ家賃から逆算して民間業者が採算のとれる安い価格で士地を払い下げるからである。他方、公社の赤字は、連邦政府および市の補助金で埋められる。後者では、生命保険と損害保険の剰余金は、労働者住宅の建設以外には使うことができない。しかし半面、固定資産税の二十五年間免税、国有地の無償払下げなどの恩典が用意されている。これらの事例を、他山の石として、わが国でも、民間の創意と活力を日本列島改造の大事業に自発的に参加させるために、資金、税制面で助成措置をとるとともに、これを適切に制御し誘導する方策を具体化してゆくべきであろう。

 (四)

 自由主義経済体制の下において、民間企業は、自発的な創造力と積極的な企業家精神を発揮することが基本であり、これが海洋国家日本、福祉国家日本を支える経済的な基盤である。しかしながら、経済社会運営の基本が転換されてゆく過程では、国際的信頼の確保、自然や資源に対する節度、地域社会との融和、消費者主権の尊重など民間企業に求められる社会的ルールの幅と深さは、増大しつつある。このような国際的、国民的、社会的要請に応えて、企業がその負うべき責任を十分に果たしてゆくため、企業は、自らの責任体制を自主的に強化してゆくべきであろう。新しいルールの確立とその順守は、政府の個別的介入にまつような領域ではない。内外の経済社会の各層のコンセンサスに支えられた共通基準が明らかにされ、これに即してそれぞれの企業が、自主的に行動規範を定め、これをひろく経済社会に宜明して自からを厳しく律してゆくことが望まれる。既に、対外投資とか商社活動の分野では、こうした努力が進みつつある。自由と規律の正しいバランスこそ、新しい経済社会を支えるルールの基本であるというべきであろう。

 結び

 第二次大戦後、四分の一世紀の間にアジアでは最初の高度工業国を築きあげた私たちは、いま、それを足場に平和と福祉のための新しい日本の創造に取り組もうとしている。私たちは、私たちの住むこの日本を、もっと美しく、もっと住みよく、もっと心豊かなものにしていきたい。また、世界の人々と、人種やイデオロギーの違いを乗り越えて、相互に深い理解と信頼の上に立つ友情を築いていきたい。

 私が二十六年間の政治生活をつうじて一貫して追及してきたテーマも畢竟、そのことに集約される。私は一九四七年、新憲法のもとで行われた第一回総選挙で衆議院に議席を得た。そして一九五〇年、国土総合開発法をつくったのを手はじめに道路法改正、有料道路制の創設、ガソリン税の新設、河川法改正、水資源開発促進法の制定などを手がけ、一九六八年に都市政策大綱をまとめ、一九七二年に日本列島改造論を公表し世に問うた。この間の本州四国連絡橋公団の新設、全国新幹線鉄道整備法の成立、自動車重量税法の実施および工業再配置促進法の制定など日本列島改造の骨組みをなす一連の重要な施策はいずれもそこに盛られた思想をひとつひとつ具体化したものである。

 日本列島改造を含む新しい日本への道はけわしく困難である。しかし、私たちが、いまやらなければ日本はやがて行きづまってしまうことは目に見えている。新しい時代を切りひらく牽引力となりうるのは常に青年の特権である。明日の日本を担う青年たちが理想への挑戦、人類への献身、歴史への参加のなかに自らの生きがいを見出すことを期待したい。





(私論.私見)