近ごろ聞かなくなった言葉 (1) - 「改革」の退潮と改革の進行と
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昨夜(5/23)の「報道ステーション」に解説者として鳥越俊太郎が出演して、後期高齢者医療制度の問題について提案を語っていた。鳥越俊太郎はこの番組に月に一回だけ金曜日に登場する。今の後期高齢者医療制度は持続可能な保険制度ではなく、保険料負担の急増で払えなくなる高齢者が増えて数年後の制度破綻は確実であること、そもそもの問題は小泉改革で財政再建のために毎年2200億円の社会保障費の削減が決められたこと、その改革行政のために医療や介護や福祉の分野で深刻な弊害が生じていること、これを解決するためには国の予算の根本的な組み替えが必要であること、米軍基地を維持するための思いやり予算の2200億円を社会保障の予算に回す決断をするべきであること、を明確に述べた。鳥越俊太郎が、国の予算を組み替えて防衛費を削って社会保障に回せと主張するのを聞くのは二度目で、昨年末の「報道ステーション」でも同じ発言をしていて、ブログの記事で取り上げている。

そのとき、去年の古館伊知郎は、「そうですねえ、そうなるといいんですが」とニヤけた顔でやり過ごしたが、今回もまた同じ薄笑いの表情で受け流し、言葉では「そうですねえ」と応答しながら、すぐに別の話題に切り替え、鳥越俊太郎の真剣で妥当な提案を言外に拒絶する態度を示した。2200億円の思いやり予算を社会保障費へ振り向ける「予算の組み替え」を真面目に取り上げて議論しようとしなかった。鳥越俊太郎の予算論こそが現状の問題を解決する最も簡単な手段であり、それはあまりに明瞭で、何も議論の余地はないはずだが、鳥越俊太郎の提案がマスコミでは(日本の世論では)正論にならない。野党の民主党でさえ鳥越俊太郎の提案を自己の提案として出さない。道路問題と国交省の無駄遣いについては半年近くも同じ議論を延々としているのに、駐留米軍への思いやり予算の無駄については国会で論議しようとしない。民主党にとっては、不要の度合いは米軍への思いやりよりも地方の道路建設の方が高いようである。

このところ、「改革」の言葉がマスコミで積極的な響きを失ってきた。「もっと改革が必要だ」とか、「改革が足らないから日本経済は駄目だ」という言い方で自己の政策を主張する論者が目立たなくなった。改革のプロパガンダが勢いを衰えさせている。自民党の中で改革屋として売り込んでいたのは、山本一太、世耕弘成、小池百合子、渡辺喜美、山本有二など無数にいたが、最近は彼らがテレビで「改革」を連呼する場面が少ない。田原総一朗や岸井成格や田勢康弘が「改革」を問答無用に擁護する場面も出なくなり、一時の水戸黄門の印籠のような魔力が消えている。私は一貫して「政治言語としての『改革』の揚棄」を唱えてきた立場だから、特に現在の状況がそう見えるのかも知れないが、私にはこの傾向が一時的な現象ではなく不可逆的な政治的現実であるように思われる。シンボルとしての「改革」の輝度の低下は回復できない水域に達している。「改革」の単語の連発で政策の正当性を説得できる時代は終わった。竹中平蔵は国民生活にとってすでに反動でしかない。

どうしてそうなったのか。一つの大きな要因は4月からの後期高齢者医療制度の施行とそれに伴う激痛にある。後期高齢者医療制度が小泉改革の政策として導入されたこと、改革による社会保障費2200億円削減に伴って制度設計されたこと、それらがマスコミ報道を通じて徐々に認知されはじめ、改革の本性や実質が国民に知覚されてきたからである。改革とは新自由主義の経済政策の総体である真実にようやく多くの国民が気づき始めた。新自由主義についても、それを概念として自在にハンドリングできるところまでは至ってないが、その記号を「よく分からないが何か悪いもの」というマイナスイメージで受け止める認識までは大衆レベルで達したと言える。今後の参議院での廃止法案の審議を通じて、国民の中での学習と覚醒はさらに高まることになるだろう。小泉構造改革が全盛の頃でもそれに反対した勢力はあった。例えば、3年前の郵政民営化選挙のときは、国民新党と共産党と社民党が改革路線に反対を訴えていた。小泉純一郎の「改革」に騙されたという実感が広がりつつある。

その国民的実感をマスコミが否定したり曖昧にゴマカシたりできなくなった。マスコミの中で最も露出度が高く、自公政権の筆頭代弁者としてテレビで国民に政治を解説して納得させているイデオローグの首魁が三宅久之だが、三宅久之でさえもさすがに後期高齢者医療制度については正当化の世論工作が困難であることを認めていて、立ち回りに苦労している様子が散見される。小泉純一郎と竹中平蔵が言った改革は、痛みに耐えれば経済が回復して生活がよくなるというものだった。痛みは一時的なものであり、我慢して耐え凌げば、必ず元の景気や暮らしの水準を取り戻せるというのが小泉改革の約束だった。しかし、それから何年経っても生活の水準は戻らない。戻らないだけでなく日を追って悪化し、増税に苦しみ、さらに年金や医療の不安に喘ぐようになっている。他人事だった生活苦や将来不安が確実に自分の問題になってきた。自分の問題になると誰も自己責任論で済ませられなくなる。国民一人あたりのGDPも世界第2位から第18位に急降下した。改革という公約が嘘で失敗だったことが明らかになってきた。

それと、改革が新自由主義の政策であるという真実の了解と同時に、その新自由主義が世界で惹き起こしている深刻な弊害が明らかになり、日本国内の問題が単に一国レベルの問題ではなく、実は世界的な問題である実情も見えてきた。すなわち原油と食糧の価格高騰であり、それが世界中の貧しい国と庶民に与えている経済被害である。昨年までは、この問題は需要と供給のバランスで要因説明され、中国や新興国の需要の増加のためにエネルギーと穀物の市場価格が上がったと説得されていたが、最近はマスコミの報道の視点が変わり、石油メジャー資本のボロ儲けやタイのコメ市場相場への投機マネーの流入が紹介されるようになっている。資源や穀物がないわけではない。新自由主義の投機マネーによって不当に市場で価格が高騰させられているのである。新自由主義者が原油市場や穀物市場で大儲けするために、世界中の資源食糧輸入国の人々が収奪され、生活を犠牲にさせられているのだ。1リットル110円でよいはずのガソリンを160円で買わされるのは、1リットル50円を新自由主義者に搾取されているからである。

明らかな不等価交換を全世界的に合法化されて経済内強制をのまされているのだ。合法的な市場の等価交換の外皮をもった不等価交換、すなわち搾取である。新自由主義は究極のところまで来た。同じように石油価格の高騰に苦しみ、食料品価格の高騰に苦しんでいる日本の国民は、政府米の配給の列に並ぶフィリピンの貧困層庶民や、コメ価格の高騰で暴動を起こしたハイチの貧民の困窮を他人事とは思えない。新自由主義は貧しい国と人をさらに貧しくする。原油価格と穀物価格の高騰は、これから日本経済と国民生活を直撃して、耐えられなくなった家庭や事業者を押し潰し、半年後には、きっと現時点では想像できないような苛烈で凄惨な社会問題を噴出させるだろう。日本でも世界でも。新自由主義を選択した帰結はこれから明らかになるのであり、日本国民は小泉純一郎と竹中平蔵を支持した責任を取らされるのだ。古館伊知郎と岸井成格に騙された過失責任を取らされるのだ。改革教に陶酔させられて集団発狂した愚行の責任を負うのだ。激痛の自己責任に直面して血反吐を吐き、硫化水素で自殺しようかどうかという一歩手前の地獄でのたうち回るのだ。

「改革」という言葉はマスコミの表面に出なくなったが、新自由主義は着実に恐ろしい政策を進行させていて、さらなる日本の新自由主義化を用意周到に固めている。決してリアルな制度政策レベルで改革を後退させてはいない。それは二つあり、一つは外国人労働者の門戸開放である。自民党は外国人の定住を推進する基本法の制定に着手した。来年の通常国会で提出して成立させる。5/2の報道では、法務省が外国人の在留期間を現在の3年から5年に延長する規制緩和の方針が明らかにされた。これまで、犯罪の温床となっていた不法就労外国人の取締りのために、この制度は規制強化の方向にあったはずだが、逆に規制緩和へと政策を転換した。5/1の新聞記事では、法務省が日本の大学に留学する外国人の入国資格を簡素化する方針を決めたと報じられている。この規制緩和は今年度からで、すでに着手されて「留学生30万人計画」に向けての動きが始まっている。これまでと逆だ。4/6には経済同友会が海外からの単純労働者の受け入れ推進を提言している。「少子高齢化に対応して」というのが財界と自民党の名目だが、この問題はあまりマスコミの表面で報じられていない。

当然、労賃を安くするための政策である。最低賃金を今よりも低くする。非正規労働者の割合を今よりもさらに増やす。そのために単純労働力として外国人労働者を輸入して働かせる。連合が非正規と貧困問題の打開に本腰になったために、それに対するカウンターとして外国人労働者の流入解禁に踏み切る。この問題については民主党の今後の対応が注目されるだろう。前にネットで情報を発見したことがあるが、前原誠司は単純労働者の外国人受け入れ積極派の急先鋒で、政権にいた竹中平蔵などが言う前に規制緩和推進の政策提言をしている。口実は「少子高齢化対策」である。もう一つの新自由主義政策の進行は、言うまでもなく、例の5/19に出された社会保障国民会議の「年金改革」の試算提言で、消費税率を10%にするか18%にするかという話である。この件については今回は詳しく触れないが、消費税の値上げを既成事実化する動きが本格的に始まった。食料品と生活用品が値上がりして、電気やガスの公共料金が値上がりして、あらゆる消費者物価が20%も30%も値上がりして、その上で消費税が倍になったら、国民の生活は一体どうなるのだろう。そこへ低賃金で働く外国人労働者が大量に入って来たら。

「改革」という言葉は輝きと勢いを失って後退しつつあるが、新自由主義の政策は着々と力強く推し進められている。自民党と民主党に新自由主義の政策を根本的に転換しようとする動きは見えず、自民党と霞ヶ関は逆にマスコミに隠れて新自由主義を加速させる方向にある。改革をめぐる退潮と進行の二つの動きに注意せよ。

【世に倦む日日の百曲巡礼】

1983年に公開された米国映画 『フラッシュダンス』 のテーマで 、
アイリーン・キャラ『What A Feeling』 を。

主演はジェニファー・ビールス。
この頃から米国のダンス文化が爆発して世界中に影響力を及ぼして行く。
マイケル・ジャクソンが登場するのもこの頃。



ダンスは新自由主義の米国が世界を征服して行く際の文化的な戦略核兵器だった。
とすると、ダンスと音楽で米国に勝てる国は...やはりブラジルしかない。
アイリーン・キャラの映像もあるね。



読者の皆様の期待を裏切らない「百曲巡礼」を今日もよろしく。