7年前の5月1日、私は北京空港から成田に戻ってきた。その日は、偽造旅券で不法入国した金正男が成田から国外退去になった日で、処分を差配したのは外相に就任したばかりの田中真紀子だった。金正男は私と入れ替わりに北京へ飛び、二人は黄海上空ですれ違っていた。田中真紀子が外相に就任したのは、その5日前の2001年4月26日。第一次小泉内閣のときだった。私が中国に降り立ったのが同じ4月26日で、宿舎のテレビのニュースで小泉内閣誕生の映像を見た記憶がある。中国の人たちは、新しく誕生した小泉政権に大きな期待を寄せていた。その前の森政権のとき、国旗国歌法の成立や周辺事態法の成立や「神の国」発言があり、日本は極端に右傾化し、自由主義史観運動の毒々しい興隆があり、右翼マンガのブームがあり、中国の人々、特に改革開放時代に日本と深い関係を持ってきた日本語を話すエリート層の人々は、日本の右傾化を心配し、日中友好の稀薄化と形骸化に心を傷めていた。
そのとき、中国の人々が小泉新政権に期待を寄せた理由として、外相に田中真紀子を起用した組閣が大きかった。反中右傾化の度を深めて行く日本の状況を何とか食い止めて欲しいと願い、田中真紀子に希望を託していたのである。彼らは私にこう言った。「
日本が右傾化したのは、きっと経済が悪くなったからですよ。でも、バブル崩壊から時間も経ったし、必ず日本経済は立ち直ります。経済がよくなったら日本はまた元の正常な状態に戻って、今のような酷い右傾化はなくなるでしょう。小泉さんは改革をすると言っているから、私たちは小泉さんに期待しています。日本経済に早くよくなって欲しい」。この話は嘘ではなく、作り話でもなく、私が実際に中国で聞いた言葉だ。日本語で聞いた言葉だ。絶対に死ぬまで忘れない言葉だ。その言葉に対して私がどう返事したかは、2年前の
ブログの記事で書いた。そして小泉内閣の5年間があり、現在の日中関係がある。読者はこの上の言葉を噛み締めて欲しい。そして歴史の皮肉と残酷さに思いを馳せて欲しい。
4月27日のテレビ朝日の「
サンデープロジェクト」に、久しぶりに朱建栄が出演していた。3年前の「反日デモ」のとき以来の姿である。朱建栄は「反日デモ」のとき、エキサイトのBLOGを開設して情報を発信していた。あれから閉鎖したのだろうか。探したが見つからなかった。「反日デモ」のときは朱建栄と葉千栄がよく頑張った。ファナティックな反中狂騒一色で染まった日本の政治番組で、獰猛で暴慢な日本のマスコミ右翼の怒声と咆哮を浴びながら、日本語の能力を駆使して中国の立場を弁明していた。「世に倦む日日」が政治の記事に注力し始めたのは「
中国の反日デモ」が直接の契機である。それまでは本と映画の話題が中心の趣味のブログだった。目立たない方がよく、アクセス数も少なくてよく、気の合う人に読んでもらうのが目的で、トラックバックを精力的に送信したりもしなかった。「中国の反日デモ」以来、方針を変え、なるべく多くの人に読んでもらうように努力するようになった。それは、マスコミだけでなくネットの中も狂暴な嫌韓反中右翼一色に染まり、マスコミ以上にネットの中が反中反共イデオロギーで充満して轟然としていたからだ。日中友好の立場に立ったBLOGは本当に一個もなかった。
朱建栄は1957年生まれで今年51歳だが、文化大革命のときに下放の経験がある。「
ワイルドスワン」のユン・チアンと同じ。年齢を考えれば、文革末期と思われるが、BLOGの中で朱建栄は自身の下放体験について短く語っていた。私が田舎の映画館で女の子と『エマニエル夫人』を見ていた頃、朱建栄は長江下流にある中洲の島の農村で下放生活を送っていた。4/27の「サンデープロジェクト」では、米戦略国際問題研究所の渡部恒雄と田原総一朗と3人の討論だったが、例によってと言うべきか、本来は司会で中立であるべき田原総一朗が、なりふり構わず獰猛に朱建栄に襲いかかり、朱建栄が論理的な説明で反論するのを声を荒げて途中で遮り、自分だけが討論の進行を独占して反中プロパガンダを吠えていた。渡部恒雄は田原総一朗の横に寄り添い、田原総一朗に庇護してもらう格好で、喋るときもまともに朱建栄の方を見ず、専ら保護者の田原総一朗に向かって何かブツブツと垂れていた。この不細工な男は何者なのだ。ルックスも最悪、トークも最低。とてもテレビに出れるような人間ではない。米戦略国際問題研究所とは一体何なのだ。親の七光りと田原総一朗のコネ以上に、米資と電通の差し向けなのだろう。
しかし、これほど無能でルックスバッドな男が出ては、反中情報工作のプロパガンダも全く効果が上がらない。結局、朱建栄と渡部恒雄ではまともなディベートの勝負にならず、田原総一朗が朱建栄の説明に途中でオブストラクションを入れて無理やり遮断、一方的に話題を変え、朱建栄の説明を視聴者に聞かさないように悪質な討論妨害を繰り返していた。田原総一朗の手法は狡猾で、「チベットは独立していた」という田原総一朗の発言に対して朱建栄が歴史的根拠を提示して反論すると、「もう昔の話はいいから大事なのは今の話で」と喚いて朱建栄の反論を強引に中断させ、今度は、3/10から3/14までの暴動の事件詳細について朱建栄が説明を始めると、「そんなこと言ったって共産党がチベットを弾圧したから」と話を混ぜっ返して3月の暴動の事実検証の議論を潰す。それに応じて朱建栄が「解放」前チベットの奴隷制や僧侶の特権支配の歴史を説明し始めると、またぞろ「昔の話をしたって仕方がない」と切り捨てて話の腰を折る。結局のところ、朱建栄にはまともな説明をさせないのだ。させる気がないのだ。朱建栄を叩くという田原総一朗のシナリオがあるだけなのだ。討論を偽装した中国バッシングであり、視聴者を反中へ誘導するのが番組の目的なのだ。
無意味な反中宣伝番組だったが、それなりに収穫はあった。米戦略国際問題研究所の研究員の立場の渡部恒雄は、3月のチベット暴動の真相について「ブラックボックスですよね」と小さく言い、実際のチベット人犠牲者の数が何名なのか、何が発端で誰の責任で事件が発生したのか、自らの立場で責任を負って明言することができなかった。チベット亡命自治政府は、この4/27の討論の時点では、チベット側の犠牲者数は140名(4/30の最新の発表で203名)と言っている。だが、朱建栄はこの発表に対して中国政府の公式見解で反論、「
140名のうち氏名が出されたのが50名、氏名と住所が示されのが5名、そのうち4名は生存、1名は該当者なし」の当局調査結果を示したが、渡部恒雄はこれに対して何も反論を返すことなく「ブラックボックス」を繰り返した。犠牲者140名(現在203名)の数字は本当にどこまで信用できるのか。この数字の出所は、米政府系ラジオ放送局「自由アジア」と米国に拠点を置くNGO団体「チベットのための国際キャンペーン」である。朱建栄も「米政府系の団体が最も情報を持っている」と言っていたが、この米政府系ラジオ局とNGO団体の提供する情報は果たしてどこまで信憑性があるのか。世界と日本のマスコミはその情報を検証しようとする態度がない。
中国が世界のメディアをチベットに入れないから中国の発表は信用できないという主張は理解できる。だが、それなら、米政府系ラジオ局や米国拠点NGOの発表はどうして事実であると無条件に信用できるのか。せめて、中国側の反論に対する再反論を米政府系ラジオ局やNGO団体に求めるべきで、4名が生存していたとする中国側の発表にどう反論するのか、残り135名の名前と住所は発表しないのか、それを聞き質してもよいのではないか。それ以上に、私にとって不可解なのは、現地情報を持っている米政府系ラジオ放送局とNGO団体の人間が表に出ないことである。プレス発表はダラムサラのチベット亡命自治政府が行っている。情報を持っている人間が裏に隠れてないで表に顔を出すべきだ。それができないから、彼らは根拠を明瞭に示せないから、渡部恒雄をして「ブラックボックス」と言わしめているのだろう。田原総一朗やマスコミは、犠牲者数を含めた事件の真相が不明である責任を中国政府の非公開の体質や政策だけに求めているが、情報についての責任は一方の当事者である米政府系ラジオ局やNGO団体にもあるはずで、万が一、彼らが政治目的で意図的に虚偽の情報を流していたのであれば、これは重大な国際問題であり、その非を糾弾されて然るべきだろう。責任者が表に出て堂々と話をするべきだ。
そう言えば、亡命自治政府が昨日4/30に「犠牲者203名」の最新情報を
発表したが、日本のテレビのニュースでその情報を取り上げて報道した番組はなかった。暫定税率復活でそれどころではなかったというのが実情だろうが、この問題の関心が、チベット暴動を離れて、北京五輪ボイコットと中国のレジームチェンジへと関心が移動させられている報道の実態が分かる。チベットは単なる材料の一つであり、狙いは国民世論を中国バッシングへ斉一化することである。日本では胡錦濤主席の来日に向けて、ありとあらゆる中国関連情報を中国バッシングの材料に動員する動きが固まっていて、上野動物園にパンダが来るという情報でさえも、中国の謀略外交だから警戒せよという表現とメッセージで伝えられるようになった。中国は北朝鮮と同じ扱いにされ、嫌悪や侮辱や罵倒が投げつけられる悪の存在になっている。6年前の北朝鮮の「喜び組」報道の前夜と同じ思想環境になっている。日中友好の立場を守ろうとする言論人がいない。日中友好こそが日本の21世紀の要だと考える人間がいない。中国に挑発を仕掛け、日中関係を冷戦に持ち込もうとする人間ばかりだ。20年前を振り返れば、そういう主張をしていたのは右翼だけだった。マスコミを含めて日本中が狂暴無頼な反中右翼になり、私だけが20年前の日本人と同じ日中友好を言っている。
不思議な光景だ。20年前に較べれば、中国のシステムは先進国とコンパチビリティを増しているにもかかわらず。