人類は、かつて自分の親族、友人が死亡し、大きなショックを受けている最中にも、世界が以前と何等変化無く、まるで誰も死ななかったかの様に動いて行くのを見て、慄然とした。そして自分が死んだ場合にも、自分が死のうと生きようと、そんな事には関係なく、昨日と同じように、明日も世界が動いて行く事に気付く。
自分の生き死に等に、世界全体は無関心であり、自分の生死、人生全てが、この社会、世界とは無関係である事を人間は自覚させられる。哲学では、これを疎外意識と言う。世界と自分とは無関係という意識である。
人間は自然に、この世界で起こる出来事全てに「距離を置いて見る」ようになる。自分とは無関係であるから、地震が来ても嵐が来ても、「だからどうした、自分とは関係ない」という見方をするようになる。
人間は、自分が死んだ後にどこか別の世界に行く、と考え始める。この世とは別の世界、「あの世」を想念し始める。「こことは別の場所」から、この世界を眺め、「距離を置いて」見るようになる。
人間は、当初、固い木の実を自分の拳で叩き潰して食べていた。しかし、その行動に「距離を置いて」見るようになる。距離を置くと、丸い拳を先端に付けた棒状の腕が木の実を叩き潰している。丸い物体、棒。そのイメージを自然界に投影すると、野原に丸い物体=石と、木の棒が転がっている。石と棒を組み合わせ、斧を作る。これで固い木の実を、今まで以上に容易に潰して食べる事が出来るようになる。技術の発達である。
人間が技術を発達させる根源には、「世界に距離を置いて見る」事、自分が「死すべき存在である」事の自覚、世界と自分が無関係である事、自分が死んでも、その事を世界全体が無視するという「嘆き・悲劇」がある。
この悲劇、死ぬ事の自覚が、技術を生み出した。自分が死んでも、世界全体がそれを無視するという孤独が、技術を生み出した。
人類はこの悲劇、自分が「死すべき存在である事を超えようと」執念を燃やしてきた。
死を克服するため、死後の世界がどうなっているかを探求し、死後、人間が空の彼方に消えるという信念から、死後の世界の探求は、宇宙の探求につながって行く。宗教と天文学の発生である。死を克服をするために、病気の克服に執念を燃やし医学を発達させ、食料不足による餓死を超えるために富の蓄積に執念を燃やし、経済と金融を発達させる。自分が死んだ後にも、人々に自分を思い出してもらいたいがために、名声を求め著名になりたいと考える名誉欲、出世欲を持ち、自分が一番の名声を持ち、死後も末永く記憶してもらうためにナンバーワンの名声を求め、権力闘争を繰り返す。自分の短い命を克服し、自分が生きて考え感じていた事を文字の形で残し、文学、美術、音楽の形で残し、自分の死後もその芸術が生き残り、鑑賞され、自分の考えと感情が世界に生き続けることを望む。
こうして、文字の発明は、死の克服への執念から起こった。
あらゆる学問、芸術、経済活動、政治.権力闘争が、死の克服という人間の執念、「死すべき存在」という悲劇と孤独から生み出されて来る。
この根本的な悲劇の自覚を忘れた時、市場経済が生み出される。死んだ後の世界にまで財産は持って行けない。一生かかっても使い切れない程の資金を蓄積する、市場経済の異常行動は、死の自覚を忘れている。通貨システムの中に、「死の自覚」を組み込む必要がある。蓄積された紙幣は、6ヶ月で死に、使用不可能になる。紙幣が死ぬ。消費期限を紙幣が持つ。富の異常な蓄積と一部への集中、貧富の差を阻止する。
死の克服への執念から生み出された文字には、2つの側面がある。目の前にあるリンゴを指し、「赤いリンゴ」と言う時、その言葉は具体的な物体を指し示している。しかし、その言葉を紙で書き、それを読んだ人間、あるいは耳でその言葉を聞いた人間は、「赤いリンゴ」から様々なイメージを思い浮かべる。ある人には「赤い」はイチゴのような赤さとしてイメージされる。別の人には、「赤い」は朱色としてイメージされる。ある人は子供の頃からアップルパイを毎日のようにオヤツとして食べてきたために、「赤いリンゴ」からアップルパイを思い浮かべる。アップルパイは、目の前のリンゴとは無関係である。死を自覚した人間が「こことは別の場所、あの世」を想念したように、「赤いリンゴ」という言葉は、目の前の「これとは、別の物」アップルパイを想念させた事になる。この「こことは、別の世界」を作り出す能力は、死の自覚、あの世の想念から生み出されたが、この能力が、小説、映画の形で、今、目の前にある世界とは別のフィクションの世界を作り出す。しかも、「赤いリンゴ」という言葉は、「こことは別の世界」に、イチゴのような赤いリンゴ、朱色のリンゴ、アップルパイ、という3つの単語を増殖させた。膨大な数の映画、小説が示しているように、この言語・記号の増殖作用は無限である。
この記号の代表的な物が通貨である。赤いリンゴ1つ、100円。この場合、通貨は具体的な物体を指している。通貨は実物経済の中で生きている。しかし、通貨は実物経済と「こことは別の場所」である、金融経済の中で、通貨が通貨を生む、無限増殖を行う。世界の実物経済が1000兆ドルであっても、通貨は8000兆ドルにも9000兆ドルにも増殖し、無限増殖する。
通貨の本質は、無限増殖であり、バブル形成能力であり、バブル崩壊=金融恐慌=世界大戦が、通貨の本質である。
言語は抽象度が高いほど無限増殖する。単なるリンゴという言葉からは、様々な赤いリンゴ、青リンゴ、アップルパイ等の言語が増殖する。しかし「お菓子に加工されていない、イチゴのような赤いリンゴ」と具体的に記載すれば、朱色のリンゴ、青リンゴ、アップルパイは増殖しない。抽象度を下げた、具体的な記号は増殖が抑えられる。
通貨の無限増殖を避け、人類が世界大戦で殺戮を繰り返さないためには、通貨の抽象度を下げる必要がある。「何でも買える通貨」「世界中で通用する世界通貨」という抽象度の高い通貨は、世界大戦を生み出す。地域通貨のような、使用範囲の限定された通貨、消費期限の限定された通貨は、無限増殖の阻止機能を持っている。
*・・・参考文献として、哲学者カントの「純粋理性批判」に始まる認識論の理論的系譜、特に象徴・シンボリズム研究の新カント派哲学のエルンスト・カッシーラの全著作は必読である。またソシュールに始まる現代言語学の著作全て、特にツヴェタン・トドロフ、ミハエル・バフチンの言語学は全著作が通貨理論の基礎になる。こうした哲学.言語学と通貨理論.経済学との橋渡しとしてのイントロデュースは、記号学学会編の「記号学研究」全巻、経済学者・吉沢英成の通貨理論が参考になる。
国家の発行する通貨、さらには世界政府あるいは国連の発行する世界統一通貨による、「市民生活の支配、植民地化」から、どのように脱出するか。この分野での経済学者・室田武の地域通貨の研究と地方自治=中央政府の「解体」理論は、経済と政治の並行したシステム転換が必要であることを示している。中央政府による支配から脱出するためには情報が中央に集中するシステムから、地方・各個人に分散する情報流通ルートを作らなくてはならない。こうした情報理論としてジェシカ・リップナック、ジェフリー・スタンプスの「ネットワーキング」論がある。人間の脳が本来、中央集権的でなく、分散型のネットワーク形態を持っていることについて優秀な言語学者でもある精神分析学者ジュリア・クリステヴァは語っている。クリステヴァの言語学は、先のバフチンの言語学と共に現代言語学の双璧を成す。こうした反中央集権思考は、宗教学ではユダヤ教タルムードの研究としてゲルショレム・ショーレムの思想書に結実し、ショーレムの親友ワルター・ベンヤミンの哲学書に結実している。ベンヤミンの哲学書は100年もののワインのように美味である。ショーレムの思想は、世界最高峰とも言われる美術史家アビ・ヴァールブルクの美術分類方法に受け継がれている。この美術史家は、自分の兄弟ポール・ヴァールブルクが米国中央銀行FRBを創立した事に激しく抵抗しながら、芸術の世界に逃げ込み、自分の美術史を形成した。この美術史、宗教学に見られる地域通貨理論は日本の近世文学研究者である広末保の井原西鶴研究、連歌・俳諧研究となって文学の領域に姿を現している。江戸幕府、明治政府といった中央政府に抵抗した地方分権派の生き方が、広松の古典研究、特に孤高の絵師である絵金の研究に見事に結実している。哲学・通貨・経済学・宗教学・精神分析・情報理論・古典文学・古典芸能等、細分化され専門家された学問の形を取りながら、これらは地域通貨の理論を語っている。