今日(7/20)の「サンデーモーニング」で、金子勝が出演して米住宅公社2社の問題について解説していた。2社の業務は、米国の民間金融機関から住宅ローン債権を買い上げて、それを証券化したり保証を与えることだが、金子勝によれば、現在2社の発行証券には買い手がつかず、業務が停止した状態にあると言う。ポールソンが7/13に発表した
対策は、「公的資金を投入して2公社の株式を購入する可能性がある」というもので、公的資金投入の確言でも国有化でもなく、支援策の具体内容はFRBからの貸出増加と政府が融資枠を拡大して資本増強を図るというところに止まっている。金子勝は直ちに2社を国有化する必要があると述べ、米国の金融政策当局の対応が、日本の不良債権処理のときと同じかそれ以上に
「too little too late」
な性格が顕著である点を指摘していた。サブプライム問題が起きたとき、米国は日本と違って迅速果断に処理して解決すると言っていたが、実際には日本以上に問題を先送りさせている。
前回と
前々回の記事で「世界」に掲載されている金子勝の経済分析論文「グローバル・クライシス」を紹介したが、今回は「文藝春秋」
8月号に載っている
スティグリッツのインタビュー「
世界に猛毒をばらまく米国経済」を紹介したい。このインタビュー記事は、論文形式ではないので、経済実態の概念把握というリクエストの点では金子論文と較べて読者の期待に十分応えられないが、逆に、読みやすさという点では優れていて、世界経済で何が起きているのか、何が問題なのかについてミニマムなサマリーを与えてくれる。書店で立ち読みで較べて、金子勝の「世界」論文に当たるのが面倒だと思う人は、スティグリッツの「文藝春秋」インタビューを手元に置くことをお奨めしたい。「文藝春秋」はわが国で最も発行部数の多い月刊誌であり、日本の政治意識マップにおいて常に中間にポジショニングされる保守層のマジョリティが信頼して読む総合誌である。すなわち「世間の常識」がそこに示されている。国民世論への影響は決して小さくない。
スティグリッツは、2001年にノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学教授で、クリントン政権時代に世界銀行の副総裁などを歴任した屈指のエコノミストであり、『
世界を不幸にしたグローバリズムの正体』などの著書で知られているとおり、米国主導の新自由主義経済に批判的で、格差や貧困の問題に対してセンシティブな立場に立つ経済学者である。このインタビュー記事が成功しているのは、実にインタビュアの
東谷暁の構成と質問が素晴らしいからである。大事なポイントを外さずに聞き、狙った回答を引き出している。読むとわかるが、インタビュー全体のシナリオが東谷暁の頭の中にきれいに描かれていて、その中身がスティグリッツが主張したいメッセージと見事に同期がとれていて、コンパクトな一般経済認識のパッケージになっているのである。非常に出来がいい。経済報道のジャーナリズムとして佳作の内容になっている。一言で言って、このインタビューのメッセージは反新自由主義であり、小泉・竹中改革に対する痛烈な批判の記事内容となっている。
そのことに率直に驚かされた。全部で9頁のインタビューは、サブプライムの問題の現状認識から始まり、グリーンスパン批判に及び、証券化手法の批判が展開される。
「本来、リスクを管理するための金融商品が、逆にリスクを増大させてしまった」(P.165)。この結論は、「世界」7月号の金子勝の
「本来、リスクをヘッジするための金融商品が、膨張した投機マネーの利得機会を与えるための金融商品に変貌し、かえってその価格崩落の可能性が金融市場のリスクを高めてしまう」(P.76)の言葉と同じである。スティグリッツは、債権を細切れにして証券化する金融手法に対して適切な規制が必要であると言い、「情報の非対称」による恣意的で欺瞞的な証券市場のあり方を批判し、金融ビジネスの倫理に言及している。米国の住宅価格はさらに今後10%下落して、米国の不良債権全体も膨らむ見通しを述べている。インタビューは1か月前に行われているから、住宅公社2社の破綻については話題になってないが、恐らくどこかで米政府の対応を批判、即刻2社を国有化せよと主張しているに違いない。
インタビューの半ばに小泉竹中批判の読みどころがある。これは文藝春秋社の「改革」に対する態度転換としても読むことができるから、東谷暁の質問に注目して引用したい。
「日本はサブプライム問題が起こった直後から、株式市場が急落しました。もちろん、経済も低迷し始めています。すると、国内の経済学者や元官僚などから。『小泉改革を停滞させているから、経済が落ち込んで、外国の投資家たちかが引き上げ始めたのだ』という議論が巻き起こりました」(P.167)。それに対してスティグリッツは、
「それは間違っていますね」と言下に一蹴、サブプライム問題で各国の経済に打撃を与えて低迷させた原因と責任は米国にあると言い切る。
「アメリカは今回、非常に毒性の強い金融商品、恐るべき猛毒の住宅ローン担保証券を世界中にばらまいたのです。ヨーロッパも日本もその猛毒の被害を受けたのです」(P.167)。さらに、東谷暁は、次のように畳みかけて聞く。
「小泉改革が最盛期を迎えていた時期にも、教授は構造改革を強調する小泉路線にかなり批判的だったように記憶しておりますが」。
スティグリッツは待ってましたとばかり答える。
「小泉政権が主張した構造改革のなかには、当時の日本経済にとってあまり重要ではなかったものも多くありました。たとえば、郵政民営化ですが、あの時期に、なぜ民営化しなくてはならないのか、私は理解に苦しみました」。これだけでも、読者の私は東谷暁の美技に快哉して手を打つが、さらにとどめとも言うべき質問をスティグリッツに発する。
「その郵政民営化を主導した竹中平蔵元郵政相は、この頃、日本はアメリカを見習って金融大国になるべきだと論じています。また、日本は製造業にこだわるのをやめて、金融にシフトすべきだと論じる経済学者もいます」(P.168)。スティグリッツは、
「私に言わせれば、ものづくりか金融かと、無理に選択する必要はないですね」と常識的な応答で返している。その後に、今度は大田弘子の「もう日本は経済は一流とはいえない」発言の批判へと続く。インタビューの核心は、まさに日本の新自由主義経済政策への批判にあることがわかる。読者は、スティグリッツよりも東谷暁の質問の方に関心を奪われ、記事全体のキーメッセージを察知する。
今月号の「文藝春秋」には、あの
湯浅誠の記事(「
貧困大国ニッポン」)が載っていて、スティグリッツの新自由主義批判の記事と言い、まるで「世界」を読んでいるような感がある。時代の空気が変わりつつある。「文藝春秋」は常に日本のマスの世論の中心に位置どりする総合雑誌であり、2年前は安倍晋三の登場を支持し、その前は小泉改革をずっと支持する言論を吐き続けてきた雑誌であったはずだ。その「文藝春秋」が小泉・竹中の改革路線を否定する記事を載せはじめた。すなわち経済政策への立ち位置を左にずらし始めたことを意味する。そうしなければ、真ん中のポジショニングをキープできないからであり、新自由主義から離れて福祉国家へ歩み寄ることが保守層の政治意識に適合する時代に変わりつつあることが象徴的に意味されている。時代のトレンドが反貧困になり、反新自由主義にスイッチしたのであり、保守でマスの関心を追う「文藝春秋」編集部がその時代の真実を追認したのだ。それほど、「文藝春秋」の経済記事が「世界」と同じになるほど、現在の日本人は生活が苦しいのであり、新自由主義で傷めつけられた患部の症状が重いのである。
この動きは、今後さらに国内の論壇で明確な潮流となるだろう。「文藝春秋」だけでなく、「諸君」や「正論」も追従せざるを得なくなるはずだ。竹中平蔵の顔がテレビから消える歓喜と祝祭の日も遠くない。