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憲法九条 of 敗戦71年の真実



「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

戦争責任者の問題

伊丹万作
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

ノーマル記事(1段)

【YYNews】■来るべき我々が望む【市民革命政権】の政権公約= 『いま日本に必要なのはこと50』‏

山崎康彦


いつもお世話様です。

【杉並からの情報発信です】【YYNewsLive】【市民ネットメデイアグループ】
【草の根勉強会】【山崎塾】主宰の山崎康彦です。

今の日本には、政治、社会、経済、金融、選挙制度、裁判制度、官僚制度、地方
自治など明治維新から現在まで継続されてきた【国民支配と搾取の構造】と、
戦後日本を植民地にしてきた【米国支配】を根本から変えていく【市民革命】が
必要だと思います。

この【市民革命】の主体は、既存の社民党や共産党に代表される【左翼・護憲リベラ
ル】や、小沢一郎氏に代表される【保守リベラル】や、山本太郎氏に代表される
【無党派リベラル】では不十分であり、今まで日本の政治の表舞台に登場してこなかった
1,000万人の『利権・特権を拒否する自立したフツーの市民』がその中核を担い、
日本の歴史上初めての本格的な【市民革命】を行う必要があるのです。

我々はこの【市民革命】によって、安倍晋三ファシスト&サイコパス首相とその
一味(自民党、創価学会=公明党、自民別働隊、日本会議、神社本庁、在特会、右翼・暴力団)
など極右ファシスト組織)を完全に打倒して、日本を【完全な独立】【主權在民・民主主義】
【個人の自由と基本人権の擁護】【反戦平和】【完全な平等】【人間の尊厳尊重】【隣国との平和共存】
社会に大転換するのです。

そのために我々は今何をすべきなのか、第一弾として『いま日本に必要なのはこと50』 にまとめましたので
お読みください。

これらの政策は、来るべき我々が望む【市民革命政権】の政権公約になるものです。

▲『いま日本に必要なのはこと50』

1)いま日本に必要なのは【1%の富裕層の幸福】ではなく【99%の一般庶民の幸
福】だ!

2)いま日本に必要なのは【大企業の繁栄】ではなく【中小零細企業と個人の繁
栄】だ!

3)いま日本に必要なのは【経済成長】ではなく【格差解消】だ!

4)いま日本に必要なのは【デフレ脱却】ではなく【投機経済脱却】だ!

5)いま日本に必要なのは【超金融資本主義社会】ではなく【共有・共生人間資本
主義社会】だ!

6)いま日本に必要なのは【一般庶民の犯罪が大犯罪として摘発され政治家や官僚
や大企業経営者の大犯罪が見逃される社会】ではなく【政治家や官僚 や大企業
経営者による国民反逆罪が厳しく追及され処罰される社会】だ!

7)いま日本に必要なのは【日本国憲法99条の公務員の憲法順守義務が有名無実に
なっている社会】ではなく【罰則規定を設け全ての公務員に憲法順 守義務を徹
底させる社会】だ!

8)いま日本に必要なのは【大企業経営者の年収が非正規労働者の500倍にもなる
不平等社会】ではなく【民間企業経営者の年収上限を労働者の平均 年収の10
倍以内に制限する社会】だ!

9)いま日本に必要なのは【国会議員一人当たり年間1億2000万円の税金とさまざ
まな議員特権が与えられている】のではなく【国会議員の年収上 限を労働者の
平均年収の3倍以内に制限し議員特権を廃止すこと】だ!

10)いま日本に必要なのは【平均年収750万円と公務員特権を享受する公務員天
国】ではなく【公務員の年収上限を労働者の平均年収の3倍以内に 制限し公務
員特権を廃止すること】だ!

11)いま日本に必要なのは【大企業経営者の年収が非正規労働者の500倍にもなる
不平等社会】ではなく【民間企業経営者の年収上限を労働者の平 均年収の10
倍以内に制限する社会】だ!

12)いま日本に必要なのは【民間銀行と日銀と政府が信用創造特権を独占して巨
大な投機資金を生みだす実体のない信用ベース経済】ではなく【民間 銀行と日
銀と政府の信用創造特権をはく奪して実体のある実物経済へ転換すること】だ!

13)いま日本に必要なのは【戦争】ではなく【平和】だ!

14)いま日本に必要なのは【徴兵制と軍法会議で戦争に駆り出される従順な若
者】ではなく【徴兵を拒否し他国民を殺すことを拒否する勇気ある若 者】だ!

15)いま日本に必要なのは【政府の命令に従って子供や孫を戦争に送り出す親】
ではなく【戦争で他国民を殺すことを拒否する勇気ある子供や孫を守 りきる
親】だ!

16)いま日本に必要なのは【天皇や軍人や政治家や官僚が主役の天皇制軍事独裁
社会】ではなく【人間の尊厳と個人の自由と基本的人権が尊重される 平和な社
会】だ!

17)いま日本に必要なのは【原子力エネルギー】ではなく【自然エネルギー】だ!

18)いま日本に必要なのは【戦争マフィアや金融マフィアや原発マフィアや繁
栄】ではなく【平和で放射能被ばくのない借金のない国民の繁栄】だ!

19)いま日本に必要なのは【除染後に福島住民を帰還させること】ではなく【福
島県民200万人を県外に集団移住させ生活再建を国が全額補償する こと】だ!

20)いま日本に必要なのは【メルトダウンした福島第一原発の核燃料をそのまま
にして忘れること】ではなく【メルトダウンした福島第一原発の核燃 料を国の
責任で完全に封じ込めること】だ!

21)いま日本に必要なのは【日銀が増刷した270兆円をメガバンクにただでやるこ
と】ではなく【福島住民200万人の集団移住と生活再建に使う こと】だ!【

22)いま日本に必要なのは【日銀が増刷した270兆円をメガバンクにただでやるこ
と】ではなく【メルトダウンした福島第一原発の核燃料の完全に 封じ込めに使
うこと】だ!

23)いま日本に必要なのは【日銀が増刷した270兆円をメガバンクにただでやるこ
と】ではなく【非正規労働者や生活困窮者の生活支援に使うこ と】だ!

24)いま日本に必要なのは【日銀が増刷した270兆円をメガバンクにただでやるこ
と】ではなく【資金繰りに苦しむ中小零細企業への低金利融資に 使うこと】だ!

25)いま日本に必要なのは【実体のない信用創造をベースにする金融経済】では
なく【日々の暮らしをベースにする実体経済】だ!

26)いま日本に必要なのは【独占・独裁】ではなく【共有・共存】だ!

27)いま日本に必要なのは【利権・特権を求める強欲な人】ではなく【利権・特
権を拒否するフツーの人】だ!

28)いま日本に必要なのは【命を惜しみ名声や地位や金を求める強欲な人】では
なく【命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ『始末に困る人』】 だ!

29)いま日本に必要なのは【政府や大手マスコミの大本営報道を盲目的に信じる
人】ではなく【自分の頭で考え真実・事実を追及する賢明な人】だ!

30)いま日本に必要なのは【権力の犬に跪く従順な羊】ではなく【権力に異議申
し立てをする怒る狼】だ!

31)いま日本に必要なのは【ファシスト政権の権力乱用を黙殺する人】ではなく
【ファシストの権力乱用を許さず断固戦う人】だ!

32)いま日本に必要なのは【自己の利益のために他人をだまし利用する人】では
なく【社会正義のために自己犠牲できる人】だ!

33)いま日本に必要なのは【アメリカの植民地日本】ではなく【永世中立の独立
国日本】だ!

34)いま日本に必要なのは【日米安保条約の毎年の自動延長】ではなく【日米安
保条約10条い従い条約の破棄を一方的に通告する政府】だ!

35)いま日本に必要なのは【政府や支配層に支配・搾取されっぱなしの愚民】で
はなく【政府や官僚や財界や大手マスコミに騙されない賢明な市民】 だ!

36)いま日本に必要なのは【形ばかりの議会制民主主義と偽装された主権在民社
会】ではなく【真の民主主義と本物の主権在民社会】だ!

37)いま日本に必要なのは【憲法違反の巨大カルト宗教団体の権力支配】ではな
く【カルト宗教の免税特権廃止と洗脳支配禁止による政教完全分離社 会】だ!

38)いま日本に必要なのは【アベノミックス】ではなく【アベノサイバン(安倍の
裁判)】だ!

39)いま日本に必要なのは【サイコパス(人格破壊者)のファシスト首相】ではな
く【真の民主主義と本物の主権在民社会を実現する利権・特権を拒否する首
相】だ!

40)いま日本に必要なのは【民意を反映しない選挙制度=小選挙区比例代表制】
ではなく【一票の格差をゼロにし特定の団体や地域の利益を代表にし ない選挙
政府度=大選挙区1区比例代表制】だ!

41)いま日本に必要なのは【日本国民の利益よりも米国支配層の利益を優先させ
る売国政治家や売国官僚や売国御用学者】ではなく【『世界がぜんた い幸福に
ならないうちは個人の幸福はあり得ない』と考える利権・特権を拒否するフツー
の市民】だ。

42)いま日本に必要なのは【【憲法の番人】の責務を放棄し安倍晋三ファシスト
による『憲法破壊』策動に一切抵抗せず黙認しているに最高裁判所】 ではなく
【最高裁判所の上位に位置し違憲訴訟を専門に扱う憲法裁判所の創設】だ!

43)いま日本に必要なのは【政治家や官僚や大企業経営者による『大犯罪』を見
逃し一般庶民の小犯罪をあたかも大罪として摘発する最高検察庁】で はなく
【最高検察庁の上位に位置し政治家や官僚や大企業経営者や大手マスコミの『大
犯罪』を専門に摘発する独立検察官制度】だ

44)いま日本に必要なのは【最高裁事務総局の【昇進】と【転勤】により完全支
配されるヒラメ裁判官】ではなく【時の権力の影響されない公正な裁判を行う
選挙で選ばれた裁判官】だ!

45)いま日本に必要なのは【国会と司法を実質的に支配し権力の乱用を可能にす
る行政権力の独裁】ではなく【日本国憲法第41条『国会は国権の最高機関』の
規定に従い、衆議院の解散権は首相ではなく衆議院自体が持ち、首相の恣意的な
解散権乱用を禁止する】ことだ!

46)いま日本に必要なのは【象徴天皇制という名の天皇制】ではなく【天皇制を
廃止し日本国憲法第41条『法の下の平等』をすべての国民に保障すること】だ!

47)いま日本に必要なのは【憲法の条文を知らないで公的任務に就いている政治
家や官僚や公務員】ではなく【『日本国憲法認定試験制度』を創設し て全ての
政治家や国家公務員や地方公務員や準公務員は中級以上の資格を取得する義務】だ!

48)いま日本に必要なのは【最高法規である日本国憲法の条文を知らずに投票す
る国民】ではなく【『日本国憲法認定試験制度』を創設して全ての有 権者に初
級以上の資格取得を義務化しすべての国民が【日本国憲法】を理解し身につける
こと】だ!

49)いま日本に必要なのは【電子投票装置や電子読み取り機械のソフトを不正に
改悪し選挙の開票結果を恣意的に変更する選挙不正行為の横行】では なく【す
べての選挙の開票はいくら時間がかかろうが衆人環視の元手作業で実施するこ
と】だ!

50)いま日本に必要なのは【世襲や企業や官庁や宗教組織や労働組合などの組織
選挙やバカ高い供託金による世襲議員と利権・特権議員の横行】では なく【世
襲を禁止し、企業や団体からの献金を禁止し、企業や官庁や宗教組織や労働組合
の組織選挙を禁止し、供託金を廃止すること誰でも政治家に立 候補できるこ
と】だ!

(終り)

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【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】
情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
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注釈をつけます

①安倍内閣が前年の18倍の巨額「軍事研究」予算を閣議決定!
大学や科学者も軍事協力に前のめりに

2016.12.22 Litera

http://lite-ra.com/2016/12/post-2794.html

本日、2017年度予算案が閣議決定した。高齢者の医療費自己負担などを引き上げたことで社会保障費の自然増分から約1400億円もカットした一方、防衛費は5兆1251億円と過去最大に。なかでも目を見張るのが、軍事応用研究のための資金を大学などへ提供する「安全保障技術研究推進制度」に110億円の予算を盛り込んだことだ。

「安全保障技術研究推進制度」は2015年から開始された制度で、防衛装備庁が設定したテーマに基づいて大学や企業などから研究を公募、採択されれば研究費が支給されるというもので、同年は3億円を予算として計上。今年度は倍となる6億円がつぎ込まれたが、来年はこれをなんと一気に18倍も増額させたのである。

だが、急速に「軍学共同」を押し進めてきた安倍首相にとって、この増額は既定路線だった。事実、自民党は今年6月2日に開かれた国防部会で同制度への予算を「100億円規模」に拡充させることを安倍首相に提言。他方、防衛省は同制度の「1件あたり3年間で最大3000万円支給」という内容を「1件あたり5年間で最大十数億円支給」へと拡大させることを計画。そして今回、110億円という予算が組まれたのだ。

厳しい経営を余儀なくされて背に腹を変えられない大学や研究者の頬を札束で叩き、カネで釣ろうとする安倍政権の浅ましさ──。毎度ながらそのゲスっぷりには反吐が出るが、110億円という莫大な予算が意味するのは、この制度が「研究者版経済的徴兵制」だということだ。つまり、安倍政権は「戦争ができる国」づくりのために科学者を動員しようと本格的に動き出しているのである。

しかも問題は、こうした学問の自由を踏みにじる安倍首相の狙いに対し、当の大学や研究者たちが手を貸している現実だろう。

それを象徴するのが、日本の科学者の代表機関である「日本学術会議」会長・大西隆氏による、今年4月に開かれた総会での発言だ。

日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」とする声明を発表、67年にも同様の声明を出している。しかし大西会長は「私見」としつつも、この声明を否定するかのように、こう述べた。

「国民は個別的自衛権の観点から、自衛隊を容認している。大学などの研究者がその目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきではないか」

科学者が戦争に協力してきたことへの反省から、日本学術会議は「軍事研究には絶対に従わない」と声をあげてきたその事実を、大西会長はこんな詭弁で覆そうとしたのだ。ちなみに大西会長が学長を務める豊橋技術科学大学は、2015年度の「安全保障技術研究推進制度」で研究が採択されている。

そして、「防衛のための研究ならOK」という詭弁と同様に、大学や研究者が軍事研究を肯定するために用いる言葉に、「デュアルユース」(軍民両用)がある。

たとえば、カーナビのGPSなどは軍事のために開発された技術だが、このように軍事技術が民生利用されれば生活は豊かになる、だからこそデュアルユース技術は推進すべきだ。そういう声は研究当事者のみならず大きい。

だが、名古屋大学名誉教授である池内了氏は、このような意見に対し、『兵器と大学

なぜ軍事研究をしてはならないのか』(岩波書店)のなかで以下のように反論している。

〈(軍民両用が)可能になったのは軍からの開発資金が豊富にあったためで、最初から民生品として開発できていれば、わざわざ軍需品を作る必要はないのである。これまでの例は、あくまで軍事開発の副産物として民生品に転用されたに過ぎない。要するに巨大な軍事資金が発明を引き起こしたのであって、戦争が発明の母であったわけではないことに留意する必要がある〉

さらに同書では、獨協大学名誉教授の西川純子氏も、アメリカの軍産複合体の例を綴るなかで、デュアルユースの危険性にこう言及している。

〈デュアルユースは科学者にとっても福音であった。これを信じれば、科学者にとって研究費の出所はどうでもよいことになる。科学者はためらいなく軍事的研究開発費を研究に役立てるようになるのである。研究者を「軍産複合体」につなぎとめることができたのは、デュアルユースという魔法の言葉のおかげだった。
 しかし、科学者にとっての落とし穴は、軍事的研究開発費の恩恵にあずかるうちに、これなしには研究ができなくなってしまったことである。軍事的研究開発費を受け取らなければ彼らの研究はたちまちストップする。科学者は研究をつづけるために「軍産複合体」に依存する選択をとらざるを得なくなるのである〉

この指摘は、軍需産業界だけではなく軍学共同にもあてはまるものだろう。大学や研究者たちが軍事研究という言葉を糖衣で包むようにデュアルユースと言い換え、国から巨額の研究費を得るうちに、それに頼らなくては研究ができなくなってしまう……。そうなれば、国からの予算を確実に得られるより軍事的な研究に専念せざるを得なくなる状況が生まれるはずだ。

戦争のために科学が利用される──安倍政権によって再び繰り返されようとしているこの悪夢のような状況に、しかし、抵抗する動きもある。今月7日に関西大学は学内の研究者による「安全保障技術研究推進制度」への申請を禁止する方針を打ち出したが、このほかにも広島大学や琉球大学、京都大学、新潟大学などが「軍事研究の禁止」を再確認している。

学生と教員たちが軍事協力をしないと誓った名古屋大学の「平和憲章」には、こんな宣言が綴られている。

〈わが国の大学は、過去の侵略戦争において、戦争を科学的な見地から批判し続けることができなかった。むしろ大学は、戦争を肯定する学問を生みだし、軍事技術の開発にも深くかかわり、さらに、多くの学生を戦場に送りだした。こうした過去への反省から、戦後、大学は、「真理と平和を希求する人間の育成」を教育の基本とし、戦争遂行に加担するというあやまちを二度とくりかえさない決意をかためてきた〉

〈大学は、政治的権力や世俗的権威から独立して、人類の立場において学問に専心し、人間の精神と英知をになうことによってこそ、最高の学府をもってみずからを任じることができよう。人間を生かし、その未来をひらく可能性が、人間の精神と英知に求められるとすれば、大学は、平和の創造の場として、また人類の未来をきりひらく場として、その任務をすすんで負わなければならない〉

戦争に手など貸すものか。いま求められているのは、大学を軍の下部組織にしようとする安倍政権に抗う声だ。そして、科学は平和のために貢献すべきという大前提を、いまこそ確認する必要がある。
(水井多賀子)

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日本でも進められているキャッシュレス社会は支配層が庶民から際限なくカネを巻き上げる仕組み

2016.12.19 櫻井ジャーナル

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201612190000/

日本でもキャッシュレス決済が浸透してきた。そうした方向へ日本を導くひとつの指針が2014年6月24日に閣議決定された「日本再興戦略」改訂だろう。それによると、「現金取扱い業務の削減や、現金引き出し等の手間の削減や取引決済の安全性の向上、買物弱者や介護が必要な高齢者にとっての利便性の向上、行政分野における徴収や給付事務の効率化、決済に伴って得られるビックデータの活用等による販売機会の拡大」が推進の理由だという。さりげなく潜り込ませている「徴収」や「ビックデータ」といった語句は、庶民からカネを巻き上げ、個人情報を収集して監視システムを強化することを意味する。

キャッシュレスということは手元に現金を置くことができず、資産の管理を金融機関に委ねなければならなくなる。金融商品を買ったところで同じだ。全ては支配層が管理するコンピュータの中に記録される。

人間の行動を調べる際、カネの流れを追うのは基本だ。つまり、キャッシュレス社会では支配者がコンピュータを使い、庶民の行動を容易に把握、管理することができるということ。

遙か昔から情報機関や治安機関は個人情報を収集、分析してきた。通信を盗み読むことは基本中の基本で、1974年12月にはCIAが封書を開封して情報を収集していることが発覚している。1974年12月、その責任を問われて防諜部門を指揮していたジェームズ・アングルトンが辞任させられている。このアングルトンはアレン・ダレスの側近で、イタリアのファシストやイスラエルと緊密な関係にあったと言われている。

アングルトンを止めさせたCIA長官、ウィリアム・コルビーはCIAが実行していた秘密工作の一端を明らかにした。例えば上院の公聴会でベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムについても語っている。

このプログラムは「解放戦線の支援者」と見なされた人びとを殺し、解放戦線を支えていた共同体を破壊することが目的だったと見られている。恐怖でアメリカに服従させようという思惑もあっただろう。

コルビーによると、1968年8月から71年5月までに2万0587名のベトナム人が殺害されて2万8978名が投獄されたというが、この犠牲者数は一部にすぎない。例えば、1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民504名がウィリアム・カリー大尉の部隊に虐殺された「ソンミ事件」もフェニックス・プログラムの一環だったが、これはカウントされていない。

コルビーを1973年9月にCIA長官にしたリチャード・ニクソンは74年8月にウォーターゲート事件で辞任、新大統領のジェラルド・フォードはデタント派を粛清、後にネオコンと呼ばれる人脈を引き上げて好戦的な体制を作り上げた。そうした中、CIA長官は1976年1月にコルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。

1970年代は電子技術が急速に発展した時期で、必然的に監視技術も進歩した。最初の民間通信衛星が打ち上げられた数年後、アメリカのNSAとイギリスのGCHQは共同で衛星通信の傍受を始めている。

NSAとGCHQの連合体はUKUSA(ユクザ)と呼ばれ、その配下にはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関が存在する。この体制は1956年にできあがるのだが、NSAの存在が明るみに出るのは1972年になってから。ランパート誌に内部告発の記事が掲載されたのだ。

GCHQはダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボールがタイム・アウト誌で明らかにした。その結果、アメリカ人だったホゼンボールは国外追放になり、キャンベルは治安機関のMI5から監視されるようになる。そのキャンベルは1988年8月に地球規模の通信傍受システムECHELONの存在を明らかにしている。(Duncan

Campbell, 'Somebody's listerning,' New Statesman, 12 August 1988)

情報機関は通信を傍受するだけではなく、各国政府機関、国際機関、あるいは金融機関などからデータを盗み取り、分析する仕組みを作り上げた。その一例がINSLAW社の開発したPROMIS。このシステムには日本の法務総合研究所も注目し、1979年3月と80年3月に概説資料と研究報告の翻訳を『研究部資料』として公表している。

この当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫であり、システムを開発したINSLAWと実際に接触していたのは敷田稔だ。言うまでもなく、原田は後に法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任、敷田は名古屋高検検事長を務めている。

その後も電子技術の進歩は凄まじく、21世紀に入ると個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆるデータの収集と分析を行うことのできるシステムが開発されている。

ACLU(アメリカ市民自由連合)によると、スーパー・コンピュータを使い、膨大な量のデータを分析して「潜在的テロリスト」を見つけ出すシステムを開発していた会社も存在する。どのような傾向の本を買い、借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかなどを調べ、分析しようというのだ。こうした情報が集まれば、国民ひとりひとりの思想、性格、趣味などを推測できる。

キャッシュレス社会になれば、タックスヘイブンなどを利用して資金を隠す手段を持たない庶民のカネは支配層に捕捉されてしまう。環境保護や平和を訴える団体、何らかの政治的な団体などに寄付をすればブラックリストに載る可能性があり、支配層に批判的な動きは封じられる。場合によっては「制裁」で口座を封鎖されることもありえる。勿論、金利や手数料の設定も支配層の自由にでき、庶民は際限なくカネを巻き上げられることになるだろう。

日本はまだ捨てたものじゃない! 女子高生が百田尚樹批判(simatyan2のブログ) http://www.asyura2

日本はまだ捨てたものじゃない! 女子高生が百田尚樹批判
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11955189164.html
2014-11-21 17:43:54NEW ! simatyan2のブログ


やしきたかじん妻のラブストーリーを捏造して書いた、「殉愛」という本
の書評欄が批判の嵐であったことは前にも書きました。


今度は彼「百田尚樹」の出世作「永遠の0」について、盈進高等学校
2年生の女子生徒が書いた感想文が、日本福祉大学2014年度の
第12回高校生福祉文化賞エッサイコンテストに入賞しました。


題名は「永遠に0」


これが非常に素晴らしい内容なので掲載したいと思います。


永遠にゼロ


盈進高等学校 二年 川上 明莉


多くが「感動した」と言う。私はすっきりしない。本のタイトルは
『永遠の0』。


「急降下の直前、三人の搭乗員は私に向かって笑顔で敬礼しました」


「彼らの笑顔はすがすがしいものでした。死にいく人間の顔とは思え


 ませんでした」


(『永遠の0』/百田尚樹/講談社文庫/2009年/85頁)。


私は瞬間的にその後のことを想像した。


極限の恐怖ってどんな感覚なのだろう。


遺体は無残で、海をさまよったのではないか。


敵艦にも死者がいただろうに。


家族や生き残った仲間はその死をどんな思いで受け止め、どのような
葛藤のなかで生活してきたのか・・・ だが、この本にはわずかな記述
しかない。


特攻隊員の遺書を三○編ほど読んだ。


圧倒的に両親や家族に心を寄せている。


「お父さん、お母さん、大変お世話になりました。


もう思い残すことはありません」


(『知覧特別攻撃隊』/村永薫編/ジャプランブックス/1989年/52頁)。


胸がつまり、涙があふれた。


ただ、本当にそうなのだろうかと、悩んだ。


「そんな時代だった」のである。


でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う。『永遠の0』。


「ゼロ」は、「絶対的」という意味であろうと、私は理解する。


すなわち、大日本帝国が誇った零戦の「ゼロ」に音を重ね、米軍戦艦
に「十死零生」(絶対に死ぬという意味)で体当たりした特攻隊の方々
の(絶対的な)無償の愛をテーマにしたのだと思う。


本はよく売れ、映画もヒットした。私はその状況と、ヘイトスピーチ
などの排外的社会現象や集団的自衛権をめぐる政治は無関係では
ないと思う。


現代社会は戦後六九年にして、凄惨な死を忘れ、単純で美しいものに
あこがれているのかもしれない。


であるなら、現在はもはや戦後ではなく、すでに「戦前」ではないだ
ろうか。


太平洋戦争におけるアジア各国への加害も含め、亡くなった尊い命の
犠牲の上に、私たちは平和憲法を手にし、現在の日常が成り立っている。


「戦争を永久に放棄する」。


私はこの永遠の誓いに勇気づけられ、誇りを感じる。しかし今、私たち
がこれを放棄するなら、あの尊い命の犠牲は「永遠にゼロ」となろう。
http://www.n-fukushi.ac.jp/50th/essay/2014/the_fourth_field/saiyusyusyo.html


これは百田尚樹「永遠の0」への痛烈な皮肉であり批判だと思います。


そして猛スピードで右傾化しつつある現代日本への警鐘でもあります。


とにかく今の日本は読売テレビの「たかじん」の番組を出発点とした
右翼思考の人物たち、安倍晋三、百田尚樹、元旧皇族竹田恒泰、
青山繁晴など、怪しい人物が入り乱れて今の日本を極右方向に導こう
として躍起になっています。


なにも愛国精神や右翼が全部悪いと言ってるんじゃないですよ。


日の丸や君が代が悪いと言ってるのでもないのです。


純粋な右翼ならともかく、この連中は偽右翼とも言うべき、日本人の
右傾化を利用して危険な状態に足を踏み入れさせて儲けようと企んで
いるから危険だと言っているのです。


偽右翼と暴力団、偽右翼と統一教会は繋がっているのです。


下の写真は安倍晋三の祖父、岸信介と統一教会の教祖文鮮明です。

Baidu IME_2014-11-23_7-50-24.jpg

こちらは先日逮捕された山口組金庫番、永本壹柱と安倍晋三が
統一教会とのつながりから議員会館で会っているところです。


Baidu IME_2014-11-23_7-54-14.jpg写真のキャプションを入力します。

前から何度も書いてますが、安倍晋三を推してる青山繁晴は近畿
大学の客員教授であり、その近畿大学の理事長は安倍内閣の世耕
弘成官房副長官なのです。


また世耕は電通とともにマスコミ対策とチーム世耕なる組織でネト
ウヨを操って世論誘導を行っているのです。


全てが金と権力で繋がった間柄なんですね。


だから今度の選挙こそ彼ら闇の組織に再び政権を任せてはダメな
のです。


しかし長年のテレビなどマスコミの影響で大衆は洗脳されて続け、
若者もネット掲示板などで洗脳され、希望は無くなったかのように
なってしまいました。


ただ冒頭の女子高生の入賞感想文を見て、世論に惑わされず、
しっかり自分の考えを主張する若者がいたことで、一筋の光を見た
ように思います。

05. 2014年11月21日 20:15:06 : pj0KXIvxBk
D通について言及していたので、以下、コメントする。
体制に批判的な意見・世論の湧き上がり、それもまだ芽が出かかった時点で、素早く火消し的意見や記事
がネットに現れるのか不思議でならなかったが、ソーシャルネットのビッグデータがしっかり監視・分析され、世論の
<適正化>の手段が体制側に伝授されている可能性が高いと疑いを深めている。D通系の某社が怪しい。

ネトウヨと呼ばれる人々は<自生>しているのではなく、自民が<植林>してきた<サクラ>の可能性すらあ
る。事実、私の友人関係でウヨ君は居ない。居るのはその名の通りネットの世界ばかりであり、ネットの伝播性や
匿名性を利用して世論を作為的に<適正化>していた節もある。そのカラクリにD通系の某社が関わっている
とみる。

自民党が政権に復帰したのは、安倍自身がリニューアルしたからでも、自民党が生まれ変わったわけでもない。
ネット社会の裏のカラクリを用いて、世論を捏造しているに他ならない。その意見が多数であるかに見せかけて
多数派同調バイアス(雰囲気)を誘っているに過ぎないのだ。選挙の争点外しなどこのカラクリを用いれば朝飯
前である。

ビッグデータは喧伝されるような企業のマーケティング活動(下流)だけの用途なのだろうか?もっと上流の思
想・信条にかかわる意識を読み取り、その上流を支配したい政治家や企業人にとって、何を仕掛ければ
彼らに都合の良い環境にできるのか指南する用も為すとすれば恐ろしいことである。

原発技術開発に将来を賭けるH社の傘下の情報システム某社が出資し、T大情報理工学部が技術協力をする
この某社の公開特許情報を調べてみると、表向きは単なる広告支援システムであるが、思想・信条の監視・
分析と<適正化>の手段の提供に用いることが可能な技術があることを知る。

その某社のHPには「風評監視」がサービス項目として挙がる。そして人々が<ホットできる社会>を実現する
ことがその会社の理念と書かれている。そのサービスと理念を以て体制順応型人間を大増産する社会を志向
していることは明白である。<ホット>の部分は個の多様な考えを縛り上げて同化・単一化を求める<絆>
と同義である。

多数の意見が多様性・独立性・分散性を持って存在して当然のネットに、<ホットすること>を意図的に求める
こと自体が、それらの属性と正反対のバイアスなのである。<和を以て貴しとなす>とばかりに、個を抹殺
し集団のマジョリティを創出し、長いものに巻かれろとばかりに付和雷同を促すことでもある。

インターネットを使った選挙活動の解禁は、インターネットなる媒体があたかも公正・中立・健全かの如くの前提である
が、もし上述の某社のような網が事前に張られており、特定の政党がその網を<適正化>の下で自在に手
繰り寄せることができたら、歪んだ次元になりかねない。<その場だけの多数の雰囲気>を創出すること
は簡単だからである。

自民の一年生議員がネット戦略に執心なのも頷ける。彼らはもう先輩議員のようなベタな選挙活動はしない。
彼らに都合する世論なるものをITを駆使し創出・流布すれば良いのである。多数派同調バイアス(雰囲気)を
巧妙に醸成すれば、その他大勢は付和雷同となることを知っているからである。

その意味で、ネットなる仮想空間を選挙システムに用いること自体、大きな過ちである。公開討論会のように、
衆目監視の中で正々堂々と意見を闘わせるべきであり、その目の届かないシステムを背景に備えたネットで駆け
引きするようなネット選挙を政治家が言い出した途端に胡散臭いと我々は思わなければならない。

すでに、googleで経験済だと思うが、一度軽く覗いただけのサイトのサービスや商品の情報が後から付いて
まわるあの薄気味悪い影法師。個人のネット上のアクティビティを勝手に記録している訳だが、当然、個人の思
想・信条・意見も記録。特定秘密保護法が罷り通る我が国。いつ影法師がそちらに付くかわかったもので
はない。

インターネットに依存せず、ノイズや工作によって攪乱されない新たな情報伝達手段を、我々はコミュニティー毎に構築
する必要があるのかもしれない。特定秘密保護法を良いとするこの国である。こうツィートすること自体が
すでにリスキーなのである。私自身、ネットに「さよなら」を言う日は近いかもしれない。


『日本国憲法破壊罪』『国民生活破壊罪』の自公超ド級・S級戦犯5人,A級戦犯13人、B級戦犯23人の根拠地に
【草の根勉強会】を立ち上げよう!

地元選出の"悪"を退治するのは地元有権者の責任だ!

【S級戦犯】

1)安倍晋三(山口4区・100,829票)

2)麻生太郎(福岡8区・126,684票)

3)菅義偉(神奈川2区・147,084票)

4)石破茂(鳥取1区・93,105票)

5)北川一雄(北川一雄(大阪16区・66,673票)

【A級戦犯】

1)岸信夫(山口2区・96,799票)

2)高坂正彦(山口1区・120,084票)

3)河村建夫(山口3区・93,248票)

4)谷垣禎一(京都5区・76,733票)

5)高市早苗(奈良2区・96,218票)

6)萩生田光一(東京24区・126,024票)

7)茂木敏充(栃木5区・101,514票)

8)稲田朋美(福井1区・116,855票)

9)二階俊博(和歌山3区・108,257票 

10)下村博文(東京11区・129,587票)

11)塩崎恭久(愛媛1区・99,900票)

12)中谷元(高知1区・78,219票)

13)野田毅(熊本2区・92,873票)

【B級戦犯】

1)小渕優子(群馬5区・114,458票)

2)石原伸晃(東京8区・116,193票)

3)鴨下一郎(東京13区・113,036票)

4)松島みどり(東京14区・87,546票)

5)平沢勝英(東京17区・125,351票)

6)小池ゆりこ(東京10区・93,610票)

7)山田美樹(東京1区・101,015票)

8)土屋正忠(東京18区・106,143票)

9)細田弘之(島根1区・100,376票)

10)竹下亘(島根2区・123,584票)

11)石原宏高(東京3区・116,623票)

12)大島理森(青森3区・59,280票)

13)額賀福四郎(茨木2区・142,238票)

14)船田元(栃木1区・110.030票)

15)木内実(静岡7区・132,698票)

16)古屋圭司(岐阜5区・90,116票)

17)後藤田正純(徳島1区・92,168票)

18)岸田文雄(広島1区・96,236票)

19)笹川博義(群馬3区・83,837票)

20)福田達夫(群馬4区・102,153票)

21)小野寺五典(宮城6区・101,223票)

22)木村太郎(青森4区・79,156票)

23)森英介(千葉11区・110,965票)

☆(6)今日のサブテーマ:

ここにきてオピニオンリーダーと呼ばれる著名な評論家や小説家の立ち位置がおかしくなっているのは何故なのか?

例えば外交評論家で元レバノン大使を務めた天木直人氏は、12月27日のブログで『小沢一郎も山本太郎も見事に行き詰った。
そんな二人が生き残りのため、政党交付金目当てのためにおよそ政策やこころざしとはまったく無関係に野合したのだ。』と大批判している。

また、耳の聞こえない天才作曲家を演じた稀代の詐欺師・佐村河内氏をNHKや出版社に紹介し『佐村河内ブランド』がクラッシック界に
浸透したきっかけを作った張本人が文壇の大御所五木寛之氏だった!五木寛之氏はこの詐欺師の片棒を担いだ件に関し
『自分は関係ない』と一切沈黙している。

五木寛之氏は『青年の門』などの社会派小説で多くの読者を獲得してきたが、日本国憲法を破壊し、平和国家日本を戦争国家日本
に変身させ、アベノミックスやTPPによって国民生活を破壊する暴走を繰り返している安倍晋三ファシスト&サイコパス首相と
自公ファシスト政権に対して何の批判もせずに、ただ困難な時代には『個人の身の処し方で克服できる』という自己責任の
人生論でごまかしている!

20年ぶりに突然『脱原発』で登場した細川元首相と小泉元首相の元首相コンビや『倒産寸前の大阪府を4年でピカピカの優良企業に
立て直した』と全くの大うそをついて大阪市民をだまして大阪市長選に圧勝した天性の詐欺師・橋下大阪市長や【自民別働隊】の
共産党などの政治家や政党に我々は決して騙されてはいけないのだ!

それと同時に、天木直人氏や五木寛之氏などのオピニオンリーダーと呼ばれる著名な評論家や小説家や経済人にも
我々は騙されてはいけないのだ!

【関連情報1】

▲ 小沢一郎と山本太郎の末路を残念に思う

2014年12月27日 天木直人のブログ

http://www.amakiblog.com/archives/2014/12/27/#003057

きょう12月27日の各紙が小さく報じていた。

小沢一郎の生活の党に山本太郎が加わって、「生活の党と山本太郎となかまたち」という新たな政党が出来たと。

これで政党要件が満たされろことになり、政党交付金を受け取れることになったと。

私は、いずれこうなるだろうと思っていたから、驚きも失望もしない。

しかし、恥も外聞もかなぐり捨ててここまで露骨に「政治」にしがみつく小沢一郎と山本太郎に、哀しみを覚えるだけだ。

私の長年の読者にとってはすで機会あるごとに書いて来たからわかると思う。

小沢一郎が国策捜査で潰されたとき、私は小沢一郎を応援した。

政治的復権を果たした暁には、小沢一郎にもう一度自民党政治に対抗する政治を作ってもらいたいと期待したからだ。

小沢政治塾に二度呼ばれ講義もしたし、小沢一郎にも二人だけで二度会って私の思いを伝える機会にも恵まれた。

しかし小沢一郎は最後まで権力と戦う覚悟はなかった。

政策よりも選挙の集票を優先して人選した。

私は失望して離れて行った。

一方の山本太郎とも私は一時期、関係を持った間柄だ。

山本太郎の母親が、私のブログやメルマガの愛読者であることを知った私は、今から3年ほど前に母親が一人住んでいた
大阪・箕面市のマンションを訪ねて話をしたことがあった。

その時、意気投合し、母親を通じ山本太郎と知り合うことになった。

しかし、彼もまた私を裏切ることになる。

それから一年半の歳月がたち、小沢一郎も山本太郎も見事に行き詰った。

そんな二人が、生き残りのため、政党交付金目当てのために、およそ政策やこころざしとはまったく無関係に、野合したのだ。

長続きするはずがない。

うまくいくはずがない。

何よりも、彼らに安倍政権に一矢を報いることなどできはしない。

安倍政治に絶望し、安倍政治に代わるあらたな政治を渇望する善良な国民の心をとらえることなど、彼らにはできるはずがない。

さぞかし安倍政権は笑って眺めているだろう。

その気になればいつでも潰せる。

私は残念に思う。

もっとも、この二人は、そんな私の思いをなど屁とも思わずに、いまの日本の絶望的な政治状況の中で、国民をそっちのけで、
自らの政治屋稼業に邁進することだろう。

やはり残念だと繰り返すほかはない(了)

【関連情報2】

▲佐村河内を売り出したのは五木寛之だった!作家タブーで封印された新事実
 伊勢崎馨

2014.12.16Litera

http://lite-ra.com/2014/12/post-712.html

2014年を振り返ると、ビッグニュースのひとつにあげられるのが佐村河内守氏のゴースト問題だろう。耳の聞こえない
天才作曲家の佐村河内氏が、実は全聾ではなく作曲も新垣隆というゴーストライターの手によるものだった──。   

このスキャンダルは、メディアにも波及した。佐村河内氏を“現代のベートーベン”と紹介した新聞、テレビ、雑誌に、
“ペテンに加 担した”と非難が 殺到。多くのメディアが謝罪する事態になった。中でもNHKは、ドキュメント番組『NHKスペシャル』
(13年3月31日放映)で 真っ先に佐村河内氏を取 り上げたとされ、後に検証番組を放映し、おわびする事態にいたった。

だが実はNHKの紹介以前に、佐村河内氏をメディアの寵児にする起爆剤の役割を果たした人物が存在した。それが
大御所作家・五木 寛之氏だ。

先日、発売された『ペテン師と天才』(文藝春秋)は、「週刊文春」でゴースト問題をスクープした作家・神山典士氏によるノンフィ クションだ。
そこ には佐村河内氏、そしてゴーストライターの新垣隆氏の半生や関係を追いながら、“虚像の作曲家”がいかに誕生し
破綻していったかが丹 念な取材で描かれてい るのだが、その中に佐村河内氏がどのように有名になっていったかの記述がある。
少し長くなるがその経緯を追っていきたい。
96年に佐村河内氏と出会い、2曲のゴーストを手がけていた新垣氏に3曲目の依頼がきたのは99年のことだった。

「新垣さん、今度は200人編成のフルオーケストラが新垣さんの曲を演奏してくれます。録音の時は指揮もしてください。
ゲームの製作発表会で演奏する、約 20分の交響曲を作曲してほしいのです」

この「ゲーム」とはカプコンが製作する「鬼武者」という戦国を舞台にするアクションゲーム企画だった。佐村河内氏はこの企画の
音楽監督に指名されていたのだ。

日本経済が冷え込み、音楽業界にも不況の波が押し寄せていた時期だった。そんな時、200人のフルオーケストラで指揮をするという
依頼に新垣氏は心が動き、曲を作り上げる。一方、佐村河内氏もまた、この作品をきっかけに欺瞞の自己プロデュースを加速させていくのだ。

本書ではカプコンの社員で、いまは都内の公共ホールのプロデューサー・大原康夫氏(仮名)がこう語っている。

「佐村河内さんは1999年の『鬼武者』の発表の日に『全聾宣言』をして、その日から全聾ということにしました。(略)確かに当時から、
売り込み能力は凄 かったです。『鬼武者』のサウンドトラック版に付いている解説書に掲載された横尾忠則さんの絵と五木寛之さんの
コメントは、佐村河内 さんがアポなしで二人の事務所に乗り込んでとってきたものです」

五木氏は「人間存在の根底に触れる音楽」と題された文章を寄稿し、佐村河内氏を絶賛した。だが、これはほんの序章に過ぎなかっ た。
著者である神山氏もこう記している。

「佐村河内は横尾や五木というビッグネームを訪ね、『自分は聴覚障害を持つ作曲家である』『完成したこの曲を聴いてほしい』、
『オーケストラと邦楽界が融 合した壮大な曲だ』と吹聴して歩いた。その結果として、二人から大きな贈り物をもらうことになる。
 ことに五木においては、この関係が最後まで続き、それが大きな波紋を呼ぶことになるのだが──」

「大きな波紋」とは一体どういうことか。それは、佐村河内ブランドがNHKや出版界に浸透し、さらにクラッシック界に足を踏み入れる
きっかけを五木氏が作り出し、その売り出しの“装置”となったことだ。

06年、佐村河内氏にNHKから仕事のオファーがあった。

「──ある作家を主役にして世界7カ国をまたにかけた壮大な旅番組の音楽を手がけて欲しい。佐村河内さんに頼めないかという
提案が、当の作家からあった」

その番組とは『五木寛之 21世紀・仏教への旅』であり、もちろん「当の作家」とは五木寛之その人だった。この番組は07年の
正月に放映される。

さらに五木氏は出版界にも佐村河内氏を紹介する。目的は佐村河内の自叙伝出版のためだった。07年頃、大手出版社・講談社で
五木寛之氏を担当していた文芸部・豊田利男氏のもとに佐村河内氏の自叙伝の企画が舞い込んできた。この企画を持ち込んだのも、
五木寛之当 人だ。

「他ならぬ五木の頼みとあっては豊田は断るわけにもいかない。長年一緒に五木の仕事を手がけていたフリー編集者の浅間雪枝に
この企画を担当させて、『交響 曲第一番』のタイトルで07年10月に発刊している」

当時、佐村河内氏は一枚のCDを出す事もなく、タイトルにある交響曲は一度も演奏されていなかった。にもかかわらず五木氏は
この企画を旧知の編集 者に依頼し、自らも帯にコメントを寄せた。その帯によって佐村河内氏の「現代のベートーベン」「全聾の天才作曲家」
のイメージが完成 されたと神山氏は指摘 する。

五木氏を起点とした連鎖はさらに続いていく。この自叙伝を読んで佐村河内氏の被爆二世体験を知り、感動したのが当時の広島市の
秋葉 忠利市長だった。そして08年8月の「G8議長サミット」の記念コンサートに佐村河内起用を“独断”で決めた。

こうして、全聾、被爆、クラッシックの天才という称号を佐村河内氏は手に入れたのだ。その後の佐村河内氏は、障害者の子どもを利用する形で、
活躍の場を広げ、存在感を増していく。 

だが五木氏の影響力はこれだけで終わらなかった。その後、多くのメディアが佐村河内を取り上げる中、そこに怪しいにおいを感じた者もいた。
しかし五木氏の存在が目くらましとなってその疑惑は暴かれることはなかった。

「執筆した記者やカメラマンたちは、いずれも3つの迷宮を前にして、その扉をこじ開けることができなかった。もちろん私もその一人だ。
すでに出合った時に は「Time」(2001年9月15日号の「聴力を失ったビデオゲーム音楽の巨匠」と佐村河内氏インタビュー)の記事があり、
自叙伝 が出版され、CDでは 『鬼武者』や『交響曲第一番HIROSHIMA』があり、五木寛之の推薦の言葉があった」

五木寛之という大御所作家は、佐村河内氏の“売り出し”や“権威付け”に大きな役割を果たしただけでなく、メディアを欺く装置と しても
機能してい たのだ。もちろん五木氏も多くの人々と同様、佐村河内氏のペテン的な能力に騙された被害者なのかもしれない。しかし、
NHKに紹介し た張本人が五木氏であ る事を考えると、その果たした役割、責任はNHKに匹敵するくらいに重大といえるだろう。

 だが、ゴースト問題をスクープした「週刊文春」でも、後にこの問題を検証、謝罪したメディアでも、五木氏の責任は追及されること は
なかった。それ どころか、その存在すら一切取り上げられることはなかった。それは現在、大きな問題となっている百田尚樹『殉愛』問題同様、
作家タ ブーによるものだ。

 今回、文藝春秋で刊行された本書で、五木寛之氏に関する記述を削ることなく出版されたことは評価に値する。しかし、それは
ノン フィクション作品の中に一幕としてかろうじて登場しただけで、週刊誌では同書を紹介する記事にも、一行も五木氏の名前は出てこない。

出版社系週刊誌における作家タブーはあまりに強固だ。しかも、その影響力は芸能人と違って、しばしば政治や社会問題の報道にまで
及んでくる。これは雑誌ジャーナリズムにとって、最大の、しかし永遠に解決されない問題といえるだろう。
(伊勢崎馨)

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